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毒にも薬にもならない

のんびりした喫茶店でのんびり待ってたりすると、これまで考えなかったことをのんびり考えられるのが、とても良い。

この場所に来て耳にするようになった
「地域を盛り上げたい」
「伝統を伝えていきたい」
言葉として、とても素敵。

この言葉が使われる文脈はだいたい
「日本全体としてテンション下がってきてるよね。自分たちの生活している地域も同様にテンション下がって来てるよね。だからイベントなんかを催して、地域の伝統を掘り起こして、テンション上げて活発な地域にして行こう」って使われ方。
想いとして、とても素敵。

そんな言葉や想いを目にした時に思うこと。
「地域」は日本中にあって、「伝統」はその地域に人が生活してた時間の長さに比例してある。
事実としてそれはある。オフコース。
だからその「言葉」が使われたり「想い」を持ったりすることは、とても自然なこと。ナチュラリー。
つまりそんな「言葉」が使われたり、「想い」を持ったりすることは、誰かに言われたわけじゃなくても、自然に発生する。エグザクトリー。

ここでちょっと考える。
時々出てくる外国人なんなの?ってことと、テンション下がってるって事象が、日本全国の地域で起こってるとしたら、そんな「言葉」を使ったり、そんな「想い」を持つことは、日本全国で自然に発生するんじゃないの?
いま自分のいる場所で起きてる事象は、特別なことではなくて、とても一般的なことじゃないの?
目の前で起きてるから、まるで特別なことのように見えちゃうけど、ちょっと立ち止まって考えたら、ちょっと視野を広げてみたら、あまりに一般的な、どこにでもある事象なんじゃないの?
だって、同様の課題は、日本全体に起こってて、同様の地域は、無数にあって、同様の想いもまた、無数に発生するんやからね。

としたら
「地域を盛り上げたい」
「伝統を伝えたい」
って言葉も日本全国無数にあって、その「想い」も日本全国無数にあるはずで。
つまりその言葉も想いも一般化されてて、そこには求心力も訴求力も、期待するほどないんじゃないのかな。

でも何故か使いたくなるこのフレーズの魅力は、一体なんなの?って部分を掘ると、脱線しちゃいそうやから、この場所では掘らないよ。

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