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日常会話しかできない

言葉が違うから違って当然なんやけど、言葉の意味って言うか、その言葉が持つ概念って言うか、認知って言うか、世界の作り方って言うか。

ありがたいことに、大学まで出させてもらえた家庭環境やったから、母国語の日本語にはほとんど苦労した覚えはない。
だから字を見て読んだり、誰かと話したり聞いたりしてて、理解は出来てるって思ってた。

今ここに来て、この年になって自分の国語力が、全く小学生くらいから変わってなかったんやって気付く。
中学高校大学社会人と時間をかけるにつれて、もちろん扱える(と勝手に思ってる)単語の数は増えたけど、その単語や言葉をどれだけ深く理解してるかって点では、小学校くらいからほとんど成長してなかったんじゃないかなって。

30代になって訳あって読書が始まって、40代半ばになって訳もなく文章を書き出して、今になっての気付き。
国語力が圧倒的にないわ(°Д° )←コレ。

「ヨミカキソロバン」は出来る。何ならたぶん一般くらいには出来る。だから日常の生活で不便と感じることはない。
そして不便と感じないから、足りてないことに気付けてなかった(°Д° )マサカッス

日常で知らない言葉に出会うことは、ほとんどない。本を読んでても、誰かと話してても、知らない言葉は、ない。

でもその作者や話者の意図を意図通り理解してるかって言うと、多分違う。出来ていない。
そして何なら、その「意図を読み取ろうとする」って読み解き方しか持ってないってことが、自分の国語力があまりに低いってことを、嫌っていうほど物語ってる。

図で表すとこう。
こうね。こう。
こうなって、こう。
そうそう。こう。

ここには図はないけどね。
ある場所にはあるのよ。


この国語案件は、まだまだもっともっと欠片を集めたり、深く潜ったり、並びを変えたり、テストしてみたりってことが必要。
いまの自分じゃ入口もわかってなさそ。
そやのに仮説。

「国語力の高い低いは、おそらくそのまま人生の豊かさを左右する。」

小学生レベルの国語力の自分やから、それを説明出来るはずがないのよ。
「説明出来た」って自分では思っても、「説明出来てない」って現実が出来上がってる。
小学生から成長してないからね、そりゃ。

ただこの国語案件は、死ぬまでの面白ゲームが一つ追加されたってことで、間違いなさそう。
これは「日本語話者と日本語使って、どこまで繋がれるかゲーム」と言えるのかな。
このゲームも楽しそうだ^ ^

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