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伝統と現代の”からだ”の狭間で

中国武術「韓氏意拳」のモーニングクラス に参加。

今日は以下のようなことを学んだ。

・韓氏意拳のルーツとなる武術から見る集注観の違い。
・心意拳〜形意拳〜意拳〜韓氏意拳。
・中心からの身幅と集注観の違い。武器術と身幅。左右のズレ。

・ズレ・揃いと動性・安定性。ズレの中での動性・安定性。

・番外編 「ヒモトレ」が有効となる現代の身体性。

ちょうど、5月22日のライブに向けてのリハーサルで、いろいろな表現を試しているところだったので、沢山のヒントを受け取った。

先週に「能の集注観」でパフォーマンスをしたところ、今までにない表現が引き出された。

で、昨日のリハーサルで「別に能の身体に拘らなくてもいい」という当たり前の気づきがあり笑、

では現代的な身体、もしくは沢山動く、つまり「動ける身体」の武術の身体でやってみたらどうだろう?と思いつき、やって見た。

これはこれで、また新たな表現が生まれたが、

まだ他にもできそうな可能性がある、と感じていた。

そこで今日のレッスン。

伝統の身体・現代の身体。左右のズレ。動性の中の動性・安定性。

こういったことをヒントに、

・身体からアプローチしても良いし、

・既にやっているテクニックや、既存の現代的なテクニック(ボイスパフォーマンス、デスボイスやヒューマンビーボックス)を上記のポイントから分析しても良いし

・既存の伝統的なテクニック(能やホーメイなどの喉歌、などの民族芸能の発声)からスタートするのも面白そうだ。

一言で言うと
「伝統的な身体で現代的な表現をすることによる”ズレ”の模索」
すること

22日の本番まで毎日スタジオに入る予定なので、楽しみでしょうがない。


また、上記の動画を見てもらうとわかる通り、私が試そうとしている表現(ノイズボイス)は、一見、とても身体や喉に負担がかかるように感じると思う。

確かに、今まではかなり負担がかかっていた。

それが、最近、身体の集注観を知り、実践し始めてからは、身体の負担がかなり少なくなっていることに気づいた。

それどころか元気にさえなっている。ことに驚いている。

いや、正直言うと嬉しい。

伝統武術と出会い、
その無駄の無い動き、ヒトの身体の中の自然を引き出す術を体感してからは、
それを日常生活でも実践すれば、
疲れ知らずの活力に溢れた身体になるだろう、と感じていた。

が、”不自然”な現代的な環境の中で、”不自然”な身体が染み付いている身として、それはなかなかに難しい、とも感じている。

特に、表現の身体は、分かった上で”不自然”な身体を活用もしている。なので、そのような表現した後に、疲弊するのは仕方がないと思っていた。

ところが人の身体は本当に奥深い。

いや、もしかしたら、現代的な表現と、伝統的な身体の折衷点をようやく見つけられたのかもしれない。

話は少し逸れるが、

最近、私の役割について考えている。

今のところ、
私の役割は「マージナルな存在であること」だと感じている。

マージナルな存在=境界線を行ったり来たりする。

そのことについて考え、実践し、それによる新たな気づきを発信しつづけること。そしてまた考え、、、、、on and on。

How far I can go, How deep I can go.

今日気づいたが、期せずして、22日のライブの3組の出演者は、三者三様の身体と、それによる表現を提示することになる。

私の「現代的な音楽+伝統的な身体」、
チャスチャイクスキシュによる「トゥバの伝統音楽とトゥバ人を志向する身体」、
山田民族による「現代的な日本人の身体による現代的な表現」。

その違いを感じる、と言う観点でも、このライブイベントは非常に興味深いと思う。

徳久ウィリアム ノイズボイスソロ

日時:5月22日(土)13時〜15時

場所:CON TON TON VIVO
https://contontonvivo.com

他の出演者:
チャスチャイクスキシュ(ホーメイ)
山田民族(ギターetc.)

値段:3000円※要1Dオーダー

その他の詳細こちら
https://note.com/voiz/n/n635338d57f93


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