学歴という名の呪い

「あなたの持つ東京大学大学院卒業という学歴は、あなたのこれからの人生で呪いとなりうるかもしれない」

修了式での研究科長の言葉である。卒業してだいぶ経つが、今でもこの言葉は覚えている。

東京大学という機関は、学部生の卒業式での送辞が話題になりやすいが、大学院の修了式でどんなことが話されているかは外部の人間には知りえない。

修了式で一般的な学生は青服が指定される。赤は法科大学院のみのため尊敬の眼差しで見られる

その中で研究科長の話された内容の一つが学歴という名の呪いである。
多くの卒業生は一般企業に入るとエリートコースをなかば強制的に選ばせられる。民間でなくても、省庁でもそうだ。会社もその前提で入社をさせたりして、重い業務にきつい残業を与えたりする。そんなもの求められておらず、やりたい人がやればいいのに、東京大学だけでなく有名大学の卒業生たちは心のどこかで思っているのだろう。

例に漏れず自分もその一人であった。ただやりたいことをやって卒業しただけの理系学生だったのに、期待をされた。しかしながら、自分にとっては他愛のない能力でも、周りの人間から見たら特異なことであることはままある。顔の各パーツが数ミリずれている程度で勝手な嫉妬を受けたり、足がない人が「障碍者だからほかの能力もない」と思われたりと、人間はやはり外側で判断する傾向にあるのだから、それはしかたのないことなのだ
結局その会社は2年と経たず辞めてしまった。その間に海外で働く機会を得たことは感謝している。海外生活の適正はあった。日本人の基礎教養の高さ、ロジカルな思考に相反する農耕民族特有の保守性、異常ともいえる倫理的潔癖さも嫌いではない。自分はそういった日本人的な感性はほど遠く、外国人らとの関係はむしろ海外に住む駐在員よりも良好だったが、やはり日本という国が好きなのでしばらくは日本国内で住みたい。

話を戻そう。最終学歴というのはついてまわる。履歴書にも当然書かなければいけない。それは加護であり、呪いでもある。

高学歴というのは良いことばかりのような気はするかもしれないけれど、「あなたの持つ東京大学大学院卒業という学歴は、あなたのこれからの人生で呪いとなりうるかもしれない」という言葉は、自分にとって違和感を言い表す適当な言葉だと感じた。彼らは積んだ成功に囚われていく。

『天-天和通りの快男児』より抜粋

卒業シーズンでそんなことをふと思い出したので書き残しておく。

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