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声帯注射からひと月が経って

昨日、声帯を太くする注射を打ってから初めて、診察を受けた。 

 その前に、アンケート用紙を渡され、2週間以内の声の調子を記入するように言われる。 結構な項目をチェックしていくのだが、予想以上に本調子には戻れていない。 まだ掠れてる感じがあるというより、割れている感じ。 朝、起きたとき声が出るか不安。 ひとに、聞きずらいと言われる、などなど、正直にチェックをつけていくと、ほとんど「よくない」だったことに気付かされた。 診察の前に、声の検査を受けた。 その結果は、結局、知らされないまま…

 診察室に呼ばれ、アンケートについて再度聞かれた。
声が掠れますか…出しにくいですか…うーん ファイバースコープで、声帯を視たた先生に、声帯はしっかり太くなってると言われ、声を出したときの、声帯の状態を撮ったビデオを見せてもらったら、たしかによくなっていた。 どんどん使いなさい、そうすれば声は1、2ヶ月で変わるよと。 ボイトレもOKですと言ってもらいホッ。 

 ほんとはもういいのに、声を出すのが怖くて出せなかったんだなぁ… このひと月、大きな声を出したり、歌ったりしないできたら、なんだかこのままでもいいかな、みたいな気分になっていた。 コロナ禍以降、ほぼ家族以外、話す機会がなくなって、せいぜい話すのは、大学病院の先生と看護師さんくらい。 母が入院していたときも、話すのは病院の看護師さんや担当の先生とソーシャルワーカーさんくらい。 母が他界して、父も入所したひと月は、電話で父と話す以外、ほぼ誰とも話さなかった。 父とは、ロングステイから帰ってからも、あまり話していない。 話した方がいいのはわかっているので、 話そうとは思うのだけど、そもそも話す話題がない。(父もそう言っていた)

 子供の頃からそうだった。
母がクラス会などで、数時間家にいないときは緊張して、できるだけ別の部屋にいた。もちろん会話もなかった。 ある時、母が留守にしているときの話になって、父から「二人きりだと、緊張するんだよなぁ」との言葉を聞いて、私だけじゃなかったんだと、ちょっとびっくりしたことを憶えている。 

 なぜだろう… ずっと一緒に暮らしてきた数十年間。
思えば母とは価値観が近いのに、父とは価値観がほぼ合わないままだった。 いつも何かについて(例えばニュースの話題)話をすると、母とは考え方、感じ方、抱く感情が似ているのに、父とは噛み合わない。 どうしてそうなるのか疑問だった。 そして、この噛み合わなさは、ふたりが育った家庭環境によるものなのかと感じたことが何度もある。 

母と私は共に一人っ子で、それだけでも感覚に共通なものを持っていることは容易に想像できる。加えて、母は祖父母、叔父叔母たちと同居していたので、贅沢はできなかったが、比較的ゆとりがある環境だった。 私も、父は教員だったので特別ゆとりがあったわけではなかったが、一人っ子だったことで恵まれていたことは間違いない。 

 そんなわけで、最初から価値観が違う父とはことごとく話が合わず、若い頃は、ぶつかることも多かった。 が、あるときから、どんなに話をしても、交わらないんだなと気づき、言い争いを避けてスーッとひくようになった。 

 相手と話ができる、おしゃべりができるのには、ある程度、考え方や価値観を共有できることが必要な気がする。 討論会やディスカッションといった場では、自由に持論を持ち寄ったり、ぶつけ合ったりできるし、それが重要だけれど、それ以外の、他愛のない話やおしゃべりをできる相手は、やっぱり気心が知れる、気が合う、価値観が近い、同じ趣味を持っているなど、通じ合うものがなければ、難しい。 

 コロナ禍で、ひとと話をすることだけでなく、親しいひととの会話もほとんどなくなって久しい。
自宅での発声練習と、ボイストレーニングを再開するのに加え、母が他界して3ヶ月たち、そろそろ直接会えない、友人、知人とZOOMやモバイルを使って、会話を楽しむ時間を持ちたいと思い始めている。

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