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似たもの同士と思っていたけれど

父が施設から帰宅して、数日が経った。

すでに、家の中(特に父の部屋)は、雑然として、もう少しで足の踏み場がなくなりそう)
この1ヶ月半、母がやっていたようにまではいかないまでも、整理整頓を意識して、できるだけ家の中が汚く見えないように、汚くならないようにしてきたのに、わずか数日で水の泡。

93歳だから仕方ないなぁと思いながら、そもそも父の性格が、物事に対して無頓着。
若い時からこんな感じだった。

例えば、便利さや合理性を優先するあまり、単身赴任から帰ってきたら、引き出しが開かないように、全部ガムテープを張ってあって、母と唖然とした。
当然、引き出しは合板なので、ガムテープを剥がしたところの塗装が剥げて、使い物にならなくなった。
そして、それは今も変わらず、というか歳をとって思考力が低下しているのか、せっかくいい小ダンスを買ったのに、引き出しに何が入っているかを書いたテープを貼り付けて、案の定、塗装が剥げている。
両面テープも然り、つけたものが時間経過によって取れてくるのと同時に、一緒に塗装が剥げて、引き出しはみるも無惨に…

せっかく綺麗になっているものを、わざわざ汚くなる使い方をしなくてもいいだろう」と、汚くしないでと言ったら、「こうやった方が便利なんだ」と。
なってしまったものは、仕方がないが、まだきれいなままをキープしている方の引き出しには、絶対テープ類はつけないことを、強引に約束してもらったが、常時、目を光らせておかないと、最近富に、記憶力が危うくなってきているので、ほんと心配。

母だったら、絶対にこういうことはしないのになぁとつい思ってしまう。
とにかく、几帳面で綺麗好きで、整理整頓が好きで、家の中を片付けるのが好きなひとだった。
物を大切にするひとで、衣服も、何十年と傷ませることもなく着続けていた。
先日、数十年前の写真を見たら、今もあるブラウスを着て写っていたのには、びっくりした。
今年も、そのブラウスを着て、病院に行ったりしていた。
しかも、まったく傷んでいない。
質の良いもの、デザインに飽きが来ないものを好んで買っていたことも、長年着られる理由なのだろうと思う。

ニット類も然り。
手が効く人だったので、春秋、夏、冬物のカーディガンやセーター、ベストは母の手編みのものがほとんど。私と共有で着ていたが、かっちり編んでいるので、2、30年経っても、型崩れしていない。
こっちにきてからは、まったく編み物をしなくなったけれど、編み物はあまりデザインに左右されないので、北海道で編んでいたものをずーっと着てきた。
手の込んだデザインのものばかり編んでいた母。
こちらにきてからも、よく周りのひとに、褒められていた。(私が着たときもそうだった)
全く知らない人に、素敵ですねと言われ、手編みなんですよと、謙遜気味に言うと、ええっーと驚かれていた。

私も、そんな母に編み物の手解きを受けて、セーター、カーディガン、ベストとひと通りは編める。ただ、手を悪くしたので、今はできないが…

季節が終われば、洗濯をして、洗濯できないものはベンジンで拭いて、しまう時もきちんと袋に入れ、衣替えをした日の日付を書いて、引き出しや衣装ケースにしまっていた。

私は、母ほど几帳面ではないし、体力もないので、すぐに疲れやすい。
母のようにはできない。
でも、やっぱり、母がやってきたことの8割くらいは、キープしていきたいと思っている。

空間認知能力がなくて、一度押し入れから出したものを、そのままの位置に戻すことができないのは、父と同じ。
今まで、どちらかというと、父の性格に似ているのかと思っていたが、母がいなくなってみて、どうやら違うらしいことがわかってきた。
本当は、どちらかというと、母の性格に似ていたんだなと実感することが、すごく多くなってきた。
片付け、整理整頓然り。
時間の感覚、ものごとに対しての捉え方。
そして、ひとに対しても…
昔、よく父に「相手に、二の句を継げられないようなことは言うな」と言われたけれど、それが今になってわかる。
ここぞというときには、相手が誰であっても、キツい言葉を吐いてしまうのが私だ。

母は、そんな私に「ひとりっ子は、誰も味方になってくれない。それくらいきつい方がいい」と言ってくれた。きっと母も、ひとりっ子であるが故の、悲哀、辛苦を舐めてきたのだろう。
実際、そうだった。

父に対して、もう少し寛容になれたらなとは思うけれど、そうすると、私の家事がどんどん増えてくる。
できるだけ、優しい言葉遣いを心掛けて、家の中が汚くならないよう、お願いしよう。


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