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くせのうた

今朝、Twitterを開いたら、知り合いが星野源さんの東京ドーム公演を2年前だと呟いているのを見て軽くショックを受けた。

えっ!あの日から、まだ2年しか経っていないの!?

慌てて2年前(2019年)の手帳を引っ張り出して、2月のスケジュールを見てみたら、あった。27日、28日東京ドームと書き記している…ということは、父がインフルエンザで倒れ、大学病院に緊急搬送されてから、まだ2年しか経っていない。感覚としては、もっと前、3、4年前のことのように思っていたのに…

2年前の2月16日の未明、父が体調不良を訴えたところからすべては始まった。
前日、15日の夜、食欲が急に落ちた父、熱を測ると37、8度になっていて、危ないなとは感じていたが、まさか、数時間後にあのようになるとは…

朝を待って、救急車を呼ぶかどうか母と話し合うが、救急車の場合、どこの病院に搬送されるかわからない。できるだけかかりつけの病院に連れていきたいということで、受付時間を待って、介護タクシーを呼ぶことにした。
この時すでに、父の意識は混濁状態で失禁もあった。

タクシーの運転手さんの力を借りて、どうやらこうやら車に乗り込み、かかりつけの病院へ。
病院では、すでにインフルエンザの患者さんで、入院病棟はいっぱい。
担当の先生の診察を受けると、インフルエンザにかかっていて、心不全を起こしている。早急に入院が必要との診断だった。
急ぎ、入院先を探してくれるも見つからず、最後の手段として、先生が勤務してる大学病院の、救急に搬送することになり、母と私も一緒に救急車の乗り込み、大学病院に向かった。

大学病院の救急で、投薬と点滴の処置を受けた父は、しばらくして容体が落ちつき、一週間の条件付きで、入院することに。

実は、その翌日、私は一泊で、星野源さんのドームツアーの名古屋公演を観に名古屋に行くことになっていた。これはもう、諦めるよりしょうがないなと思っていたら、母が「入院できたし、容体も落ち着いてきたので、大丈夫、行っておいで」と言ってくれた。
一泊はやめて、すぐ日帰りで帰ってきてとの条件付きだったが、それはもう当然のこと、行けるだけでも充分だった。

あのとき、なぜか名古屋もそのあとの東京ドームも、いわゆる神席と言われるステージに近い席だった。正直、これを逃したら、もう二度とこんないい席は当たらないだろうと思っていただけに、行ってもいいと言われたときは嬉しかった。
ただ、そこから本当の「怒涛の日々」が始まるとは夢にも思っていなかった。

名古屋ドームでのステージを終え、急ぎ帰京。
父の容体は安定してきたが、熱はまだ下がっていない。
なのに入院できるのは一週間、その後のことは、何も決まっていない。
困った、どうしようというときに、私がインフルエンザにかかり、発熱。
父のインフルエンザがうつったらしかった。

高熱が数日続くも、順調に回復。
あと1日、自宅療養が必要だったが、そんな時間的余裕はない。
まずは、介護保険の申請窓口へ。
数年前、一度手続きをしていたが、更新手続きをしなかったため、新たに申請することになった。(ここで時間的ロスが発生)
介護保険適用には、審査が必要。短くても数週間はかかると言われ、早急のサポートはできない、大学病院の相談窓口に行くことを勧められた。

その足で、今度は大学病院の相談窓口に行き、早急に、転院先を見つけなくてはいけないが、あてがないこと、そのため入院期間を延ばして欲しい、その間に転院先を探したいと話した。
何度も何度も、繰り返しそのことを訴えるも、なんの保証も得られず帰宅。
気がつけば、朝出かけて、夕方になっていた。

今も大学病院の相談室の前を通ると、トラウマとして、あの日の辛い体験が蘇り苦しくなる。

徒労感を抱えながら帰宅すると、あまりに帰ってこないことを心配して母が連絡したのか、従姉妹が駆けつけたくれていた。
夜になって、大学病院を紹介してくれた担当医の先生から、入院をあと数日延長できるようになったこと、最初に行ったかかりつけの病院に、転院できるよう交渉してくれて、OKが出たとの電話をもらった時は、嬉しさと安堵とで母と一緒に泣いたことを覚えている。

父の容体は、転院できるところまで落ち着いていたが、予定日の前日に誤嚥性肺炎を引き起こし、転院が2日間延びた。
延びた転院の日が、東京ドーム公演の日にぶつかった…なんという采配。
名古屋に続いて、東京ドームも行けるかどうかわからない、ギリギリの選択を迫られたが、ここでも、ダメでもともととりあえずキャンセルせず、いけるところまでいってみようと…

で、結局、ギリギリ間に合った。
転院手続きも済ませ、電車に飛び乗り東京ドームへ。

あの日、大きな大きな東京ドームで 「くせのうた」 の 悪いことは重なるな 苦しい日々は続くのだ…に涙をポロポロ流しながら聴いたことを思い出す。名古屋ドームの日は、父が倒れて大学病院に入院した日の翌日だった。 どっちも神席で、なんだか「頑張れ」と励まされているような気がした。

名古屋ドーム公演も、東京ドーム公演も、そんな時に出かけて本当にいいのかと考えたけれど、それから以降の大変さ、しんどさを思うと、あのとき無理をしてでも出かけたからこそ、今まで頑張れたような気がする。

あんな神席でライブを2回も観られたのは、きっと私への励ましでありエールだと、ことあるごとに思い出してきた。
あまりにいっぱいありすぎて、たった2年前のことだと思えず今日まできたことに、愕然としている。

2019年は父のことでいっぱいいっぱい、去年は私の体調がすこぶる悪かった。やっと今年落ち着くかなと思ったら、母が拒食症気味になり、気を張る毎日が続いてる。
あの日から、気が休まることなく、ずっと緊張してる。

時間を巻き戻したいとは思わないけれど、2年前のあの日以前の、穏やかな日々が再び得られることを、願わずにはいられない。

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