ロック、歌謡曲で国民的ヒットを飛ばした作詞家・松本隆の「スゴさ」に迫る!

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。

このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

本日のテーマは…

ロック、歌謡曲で国民的ヒットを飛ばした作詞家・松本隆の「スゴさ」に迫る!


  • 日本を代表する作詞家・松本隆

2020年に作詞活動50周年を迎えられた作詞家の松本隆さん。
今日は日本を代表する作詞家、松本隆さんについてお話したいと思います。

50年にわたる作詞家としてのキャリアで手掛けられたのは2100曲以上。
チャート1位が50曲以上。誰もが耳にしたことがあるだろう数々の大ヒット曲の作詞をされている方です。
1949年の7月16日生まれで、東京は青山の生まれ育ち。
大学進学の直前に同じ都内エリアのバンドシーンでは有名になりつつあった細野晴臣さんに自ら電話してバンドやろうぜと誘います。

ちなみに松本隆さんはドラマーだったんですが、細野さんといくつかバンドを組んだ後、大滝詠一さん、鈴木茂さんを加えた4人で「はっぴいえんど」を結成。このバンドでドラムを担当すると同時に、大半の曲の作詞を担当していました。

この「はっぴいえんど」というバンドが日本語詞を歌うロックの元祖とも言われてますし、元祖でありながらも日本語ロックの金字塔とも言えるようなアルバムを残しています。

そもそも、当時ロックバンドをやる若者というのは、基本的にアメリカ、
イギリスのロックバンドのカバーばっかりだったんですね。ロックは英語で歌わなきゃロックにならないでしょっていう認識が特に若者の間では非常に根強かったみたいです。でも、松本隆さんは「いや、自分たちで書いた日本語の歌詞で歌わないと、本当に人々の心に残る作品にはならない」と頑なに主張し、他のバンドメンバーも説得して、当時としてはかなり実験的な日本語でロックバンドをやるってことをやっていた。
だから松本隆さんは日本語ロックの開祖とも言える人物なわけです。

ただ、ここで一つ注意したいのは、それ以前に日本語のロックが存在しなかったかっていうと、実はそういうわけでもないんです。
「はっぴいえんど」以前にもグループサウンズってものがありましたから。グループサウンズとは何か?
THE BEATLESとかTHE ROLLING STONESなどが60年代に世界的に流行して、それがすぐに日本にも入って来ます。で、そういう音楽スタイルを真似つつ日本語で歌う歌謡曲が生まれて、日本で大流行するんですね。
それがグループサウンズなんですが、これもつまり音楽のスタイルとしてはロックで、歌詞は日本語なんですよ。

まぁメロディーの作りとか歌詞の内容はそれまでの既存の歌謡曲にかなり
近いとはいえ、日本語ロックが「はっぴいえんど」以前に全く存在しなかったわけではないんです。

  • 当時最新のスタイルだった日本語ロックバンド

なのに何故「はっぴいえんど」が、つまり松本隆さんの詩作が日本語ロックの元祖と言われるかというと…「はっぴいえんど」以前のグループサウンズの音楽というのはあくまで歌謡曲の中の1ジャンルなんですよ。
つまり分業制が色濃く残る日本の音楽業界の古式ゆかしいシステムの中で
作られた音楽ですから、アーティスト本人は曲を書いてないんです。
作曲家・作詞家の先生方が書いているんですね。

いくらTHE BEATLESっぽいサウンドや衣装で歌っていても、THE BEATLESと
違い、アーティスト本人が曲を書いているわけではなかったというわけ。

対して「はっぴいえんど」は、自分たちで曲を作り、歌詞を書きます。
本当の意味でイギリスのTHE BEATLESだとか、アメリカのThe Bandなんかと同じタイプの自作自演のロックバンドだった。
歌詞が日本語か英語かという話以前に、自分たちで曲を書けるというだけで当時の日本ではかなり珍しく、最新型のスタイルだったわけですよ。

先ほど、当時の若者はロックやるなら英語でやるべき。という考えが圧倒的多数だったと言いましたが、英語派の言い分として「英語じゃないとロックのリズムは出ない」とか、音楽的な根拠を示して主張する人たちも多かったようなんですが、これって結局、日本語で歌ったら歌謡曲になっちゃうじゃん!っていう、メインストリームに対する若者の反骨心みたいなものも多分にあったんじゃないかと僕は思うんですよ。

そもそも歌謡曲っていうのは、当時欧米のロックを好むオシャレな若者たちにとってはとにかくダサさの象徴みたいなものだったんです。
だから、自分たちがロックやるなら英語で歌うしかない!と思っていた。
だって、歌謡曲からなるべく離れたくてみんなロック聴いてたんだから。
それを日本語で歌っちゃったらせっかくのロックがダサい歌謡曲になっちゃうヨォ〜、って。当時のロック志向の若者はみんなそう思っていました。

それに対して「え、ちょっと待って。それならダサくない日本語詞をロックに載せれば良いじゃない?」と、いわばコロンブスの卵的な発想で、歌謡曲とは一線を画す文学的な歌詞を書くことによってそういった問題を一発解決したのが、他でもない松本隆だったってわけなんですよ。

それまでのグループサウンズはある意味大人が商品として作った日本語ロックだったのに対して、欧米のロックを愛好する若者による若者のための日本語ロックを生み出したのが「はっぴいえんど」だったんです。
日本語でもかっこいいロック出来るじゃんって世界に気づかせたバンドだったんですよ。「はっぴいえんど」が日本語ロックの元祖と言われる所以は
こんなところにあるんじゃないかなと思います。

  • 歌謡曲へのカウンターとしてのロックから歌謡曲のど真ん中へ

ところが!この「はっぴいえんど」はアルバム3枚だけ出して早々に解散します。

それで松本隆はどうしたか。ミュージシャンとしての活動はやめて、作詞業に専念することになります。小さい頃から文学とTHE BEATLESに熱中した
少年でしたから、天職という自覚はかなり早い段階からあったんでしょう。作詞家としてのその後の大成功はみなさんもよくご存知だと思います。
「木綿のハンカチーフ」「スニーカーぶるーす」「ルビーの指輪」「Romaticが止まらない」「風の谷のナウシカ」数えきれないほどの国民的なヒットソングを生み出すわけなんですが、凄く面白いのが、もともとは
歌謡曲というメインストリームに対してカウンターの立場からキャリアが
始まっているわけじゃないですか。いかに歌謡曲とは違うものを作るか?ということを追求していた人が、今度は歌謡曲そのものを作る立場になるわけです。

こういう風に言うと「おいおい、なんだよ体制側に寝返ったのか!?」
みたいに受け取られてしまうかもしれませんが、松本隆さんの作詞家としての姿勢としては実は一貫していて、今までは歌謡曲の外の世界で追求していたものを、今度は歌謡曲の世界のど真ん中に飛び込んでやってやろう。
つまり、歌謡曲そのものを変えてやろう!という志を持って作詞家に転身したんです。そして、実際にレコードの売上枚数という形でその歌謡曲の世界で勝負に勝ち続けて来た人なんですよ。

だから歌謡曲ど真ん中で大成功した作詞家先生でありながら、やっぱり根がバンドマンというか、自分自身の世界を追求するアーティスティックな姿勢をずっと持ち続けている。それでいて、作詞家っていうのはつまり注文を
受けて商品を作るある意味職人さんですから、職人としての役割もとてつもなく高い次元でこなしているっていう本当に稀有な存在なんですね。

このコーナーの締め括りとして松本隆作品で僕が一番好きな曲をかけます。実はこの番組でも一度かけたことがありますが、ちょっと大人になった「木綿のハンカチーフ」という感じで男女の会話形式で4番まで続きます。
「好き」とか「愛してる」とか「別れる別れない」とかそういう直接的な
言葉は一切出てこない。
情景描写とセリフ、そして洒落た舞台装置と小道具だけで登場人物の心情を浮かび上がらせるっていう松本隆マジックが存分に楽しめる曲です。

お聞きください、太田裕美で「ピッツァ・ハウス22時」

松本隆さんは僕のファーストアルバムの帯コメントを書いてくださっているんですが、実はお会いしたことはありません。

youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。

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