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【体験談】過酷すぎた44歳の切迫早産…産後に声が出なくなったアナウンサーが復帰するまで

今回は、アナウンサー歴25年で声の仕事の大ベテラン、岩見知香さんが体験談を寄稿してくださいました。

壮絶な出産から、早産による点滴生活の後遺症で声枯れに苦しんだ経験、そして乗り越えるまで…多くの人の勇気になる話です。

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こんにちは、フリーアナウンサーの岩見知香です。

私は2人目の妊娠時に「切迫早産」と診断されました。お腹のハリがひどく、点滴を24時間、1カ月半もの間投与し、その間寝たきりだったため全身の筋肉が衰えてしまい、特に口の周りや舌の筋肉が衰えた結果、仕事に復帰したときに全く声が出なくなってしまいました。無理に声を出して喉に負担をかけ、声枯れや炎症による痛みなどで病院に駆け込む、というのを繰り返していました。

今回はそんな私の壮絶な切迫早産体験と、産後の変わり果てた姿にもがき苦しんでいた時に出会った、声を始め、表情筋も心も体もトータルでケアしてくれる究極の改善方法についてご紹介します。

1.44歳で「超高齢ハイリスク妊婦」認定

1人目を41歳、2人目を44歳で出産。1人目は低置胎盤で週が進んでも治らず、8カ月で個人病院から京大病院へ転院しました。「超高齢ハイリスク妊婦」と位置づけられ、それがかえって安心を生み、大量の自己血採取にも前向きに取り組み出産に挑みました。そんな苦労をした経緯があったので2人目はこれを越すことはないだろうとたかをくくっていました。


しかし!1人目よりも辛いつわりから始まりました。妊娠が判明してから7カ月過ぎまで苦しみ、入院もしました。


ようやくつわりがおさまり普通の生活ができるようになった8カ月の検診で、お腹が張って常に硬さがあったので錠剤を処方されました。

その翌日9月5日に、娘と久しぶりにお風呂に入って、たくさん喋って遊んでいたら、湯あたりをおこし、気持ち悪さで食事がとれず横になりました。すると今までにないぐらいのお腹の張りで、咄嗟に危険を感じすぐに病院へ行きました。


エコーをお腹に当て張りの周期を調べてもらった結果、切迫早産と診断されました。「張りの頻度が高く、とりあえず今日は病院で点滴をうって様子をみましょう」と言われました。この時は、数日病院で安静にして点滴をうてば2〜3日で退院できると思っていました。

しかしその考えは甘かったのです。気持ちの整理も、荷物の整理もできていない状態からの、長く辛い入院生活が始まりました。


2.壮絶な切迫早産の治療

①日に日に増えていく点滴の濃度と量

点滴を受け一泊し、翌朝、夜間診療で入院を決定した先生が病室にいらして、夜中お腹につけていた張りを調べるエコーのデータを見ながら、

「どうかな〜?...うーん、まだ帰れないね。
 点滴は必要だったからね。家にいると動いてしまうでしょ?
 もう少しいましょうか~。」

と、笑顔で優しく、そして少し申し訳なさそうにおっしゃいました。私も笑顔で「はーい」と呑気に答えていました。

ほとんどの場合、点滴は一度すると正期産まで抜けない=ずっと入院だ ということを知る由もなく、先生の笑顔に騙されていました(笑)


私が受けた点滴薬の名前は「ウテメリン」といい、切迫早産でまず最初に使われる薬で、子宮の筋肉の収縮を抑えます。副作用は色々言われていますが、病院でうけた話では

  • 全身の筋肉の緩み

  • 脱力感

  • 疲れやすい

  • 力が入らない

  • むくみ

  • 唇や口内のただれ

  • 歯ぐきの出血

などでした。

ウテメリンはその時の症状によって濃度と量が変わっていきます。投与できる限界の値が120と決まっている中で、私は40からスタートしました。これ以上になると更に副作用のきつい「マグセント」という薬が待っています。受けていた妊婦さんの話では、筋肉がひどく緩み瞼も重くて開けにくくなったとのことでした。

毎日朝と夜に30分〜1時間かけてお腹の張りのデータをとって確認し、症状が悪くなれば濃度(本数)と量を増やしていきます。ヒヤヒヤの毎日でした。

また、当時9月だったので次々に台風がやってきて悪天候に気分が滅入るだけではなく、看護師さんによると気圧の変化で産気づいたり張りがひどくなるそうで、精神的に追い詰められていきました。

入院して3週間を過ぎたころ、濃度6A(6本分)1時間に16mlで、6A×16ml=96までになりました。投与できる限界は120なので1時間に20mlがマックスになります。4mlを超えると次の薬「マグセント」になります。濃度や量をあげる時、なんとも言えない罪悪感にも似た感情になりました。赤ちゃんに何度も「ごめんね」と泣きながら声をかけていました。

正期産の37週まで後13日、帝王切開手術まで21日。あと4ml… 1回の台風で4ml増えた過去の経験に蓋をして、ただ祈る気持ちでした。

②点滴により腕は穴だらけ、血管はボロボロで内出血

24時間点滴で薬剤をいれ続けますが、針をずっと同じ場所に刺したままではその部分の血管がもろくなってしまうので少しずらして差し替えていました。

2週間を過ぎたあたりからだんだん腕が痛くなってきました。薬剤の投与で血管を傷つけ、針が刺さっている場所が青く腫れてきて、薬剤が血管の中へ入らなくなってきました。常に痛みがあり点滴が苦痛でたまらなくなりました。1時間に数回、数センチ単位で針の場所を差し替えるということも増え、腕は穴だらけ、血管は破れてボロボロ、看護師さんも刺す場所に毎回苦労されていました。

●ある日の会話

看護師さん:’’はり’’はどうですか~?

私:痛いです~

看護師さん:えっ?!大変!どのように痛いですか!!

私:チクチクして、ジーンっと重くって!痛くて腕が動かせません!!!

看護師さん:...あ~!もしかして点滴の針?私はお腹の張りを聞いていたのよ〜。ってことは、お腹は大丈夫そうね~

と笑いながら部屋を出て行かれました。「だから腕、痛いんですけど〜」と心の中で叫んだのは言うまでもありません。

③絶対安静、ひたすら寝たきり

入院2〜3週目、腕の痛さがピークに達した時、体の異変も起きていました。絶対安静でトイレ以外寝たきりなので、床ずれや骨盤の痛さ、筋肉が衰えているので歩き方を忘れるくらいぎこちなく、身も心もすっかり病人になっていました。

そんな時の活力は毎日お見舞いに来てくれる当時3歳の娘と母でした。14時から面会ができるので、毎日14時に「来たよ~!!」と元気な声が響きます。お菓子や私が残しておいたゼリーを食べて喋って、その後私の横で寝る、というのが日課でした。

帰る時の大泣きにはこちらも辛くなって大泣きしましたが、「明日ね〜」と何度もハグをして見送りました。近いとは言え、毎日娘を連れてきてくれた母に感謝しています。

④チューブから唯一の解放は2日に1回のシャワーのみ

いつも点滴のチューブに繋がれている状態で、点滴の機械は下にキャスターが付いていて引きずりながらトイレに行きます。

最初は犬を連れて歩いているようで、「散歩みた~い」と思っていましたが、後半は私が引っ張ってもらっているような状態でした(笑)

唯一チューブから解放されるのは2日に1回のシャワーのみ。この時は束の間の解放感でした。シャワー時、針は今の状態がベストなら刺したまま、穴や痛みが限界なら抜いてはいりました。針は取りたいけれど、次新しく刺す痛みを思うとどちらでもいいという心境でした。

解放感にあまり長く浸っていると看護師さんが見に来て、「まだですか~?」と急がされます。シャワータイムは一瞬で終わります。

3. 出産当日

10月12日、ようやく正期産37週の朝を迎えました!体の至る所の痛みを忘れ、安堵と喜びに包まれた清々しい朝でした。この4日前に残り3mlまで迫りましたがなんとかウテメリンのみで持ちこたえました。

病院のスタッフの皆さん、家族、たくさんのメッセージを送って励ましてくれた皆さんに支えてもらい乗り切ることができたのだと、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

35歳の時に子宮筋腫の手術を受けていたので、帝王切開は決まっていました。病院の手術日が曜日で決まっていて、あと8日後です。

担当の先生は女性で、とても明るく朗らかな方で、何が何でも先生に執刀していただきたかったので「先生の休みにだけは赤ちゃん、出てこないでね〜」とまたまた祈りを捧げていました。

正期産を過ぎてからは点滴を減らし3日で0に。次の台風は週末、先生のお休みは明日の土曜日、「大丈夫かな〜」と思いながらトイレへ行くと、おしるしが...!

看護師さんにすぐ報告し先生が待つベッドへ。

子宮口も開いてきたし、今から手術しよっか~

と。いっ、今からですか?と心の準備をしようとしているその時から、看護師さんは高速で準備を始め、先生たちは青い服にすでに着替えておられました。

4. 出口の見えない産後ケア

37週2日 10月14日14:49 3100gの男の子を出産しました。

言葉では言い表せられない感動を味わい、赤ちゃんを一緒に頑張った相棒のように感じました。産後の痛さは多くのお母さんと同じで、帝王切開の傷口と後陣痛の痛みはこれまた壮絶でした。

2人目は妊娠してすぐにひどいつわりがきて

寝たきり→上の子最優先の生活→入院で寝たきり→出産→赤ちゃんのお世話

と、自分の体のケアというのをしばらくしていないことに気づいたのが出産1カ月後の状況でした。色々なところに不調がどーんと押し寄せてきました。特に筋肉の低下が著しく、

  • 歩き方を忘れるぐらい足が動かず、膝に痛みが走る

  • ご飯を食べるのが極端に遅く租借が思うようにいかない

  • 食べ物飲み物が飲み込みにくく、逆流する

など、普通のことができなくて愕然としました。

産後2カ月ぐらいの時に、助産師さんに「あなた喋ると舌が見えるのね」と何気ない会話でそう言われました。

この時は全く意に介していなかったのですが、大事な大事なサインだったのです。

5月4日が私の産後初仕事。毎年担当しているオーケストラコンサートの司会です。

「久し振りのステージだ~思いっきり楽しもう!」とマイクを握る手に力が入りました。


第一声で「あれ?声が出ない...。張った声が全く出ない。前に飛んでない。」「ブレスが頻回、呼吸が持たない、息が上がる、声が上ずっていつものトーンをつかめない...。」

それでも必死で声を出し、抑揚をつけ、できる限りの表現をした結果、喉を痛めつけてしまいました。

「これは大変だ、何かわからないけど前の自分じゃない...どうして...」

と落ち込みました。ここから仕事しては病院に駆け込む生活がしばらく続きました。

5. もがき苦しんでいる時に見つけた光

どうしたら元の体に元の声に戻れるんだろう・・・。

仕事や子育てで時間のない中、自己流で昔から好きだったヨガやストレッチを始めたりしました。

声は日常でも出しにくさがあり、仕事をしたら喉を傷めることがわかっていたので、仕事をするのが怖くなり、子育てによる疲れで精神的に追い詰められて、産後うつ状態になり仕事も断る日々が続きました。

体の不調は続き一向によくならない焦り、長く我慢させたお姉ちゃんをケアしようと赤ちゃん返りに付き合うも体力の限界、将来の仕事に対する不安など自分の中で抱え込んでしまい身動きのとれない状態が続きました。

ようやく2歳になり断乳をし、少し自分の時間が持てるようになった時、

「このままではいけない、何とか昔の声を取り戻して楽しく仕事をしたい!」

と毎日思いながらも、何をどうしたらいいのか、出口の見えない暗闇を抱えて生活していました。

そんな時に事務所の先輩のラジオ番組にゲストとして呼ばれました。ウジウジしていたらダメだ、と仕事を受けることにし、下準備で他の番組のパーソナリティさんを調べていた時に、ある方の趣味で【声ヨガ】という言葉を見つけました。

声ヨガって!?すごく気になる!これかもしれない、これで何か自分が変われる気がする!

目の前に光が差したような感覚で、「声ヨガ、声ヨガ、声ヨガ」と何度も心で唱えながら調べました。体をほぐしながら吐く息に気持ちよく声を乗せ、呼吸を深め、心を整える...!私が抱えていた声の悩みは全身をケアすることで改善できるんだ!これだ!声ヨガで悩みを克服できる!と直感が確信に変わりました。

そこから声ヨガの学びが始まり、徐々に声を取り戻していきました。更に、声の大切さや自身の一番いい声を引き出す方法など多くの人に伝えたいという思いに突き動かされ、インストラクターの資格を取りました。コロナ禍での大きな決断でした。

声ヨガを学んでいくうちに、あの日の助産師さんの「喋るとき舌が見えるのね」の言葉の意味がすぐにわかりました。舌の筋肉がおちて口の下の顎(下顎)に乗っかっていたのです。滑舌が悪くなっていたのも、声道を塞ぎ声が籠っていたのも全て腑に落ちました。

落ちた舌をなんとか動かそうと余計なところに力が入り、常に歯を食いしばっていたので舌先が歯並びの悪い下の歯に押し当てられ、舌先に歯の型のギザギザがくっきりついてしまい、今でもうっすら残っています。

声ヨガで声を取り戻せただけではなく、たくさんの方との出会いで心も豊かになりました。

何より声ヨガを発案された幸さんとのご縁に感謝し、声ヨガで繋ぐ深い絆を長い時間をかけてこれからも大切に育んでいけたら幸せです。

1からのスタートをきり、声ヨガで自分を取り戻したので、過去の私のように声に悩んでいる人や声にコンプレックスのある人に寄り添って一緒に歩んでいきたいと思います。そして多くの人が自分の声を誇れるように、好きになれるように、いつも笑顔でいられるようにお手伝いをしていきたいです。

声ヨガに出会えたのは壮絶な苦労を乗り越えたからこそのご褒美なのだと、今心から思います。

声ヨガの仕事で自信を持てるようになった

SOELUでオンラインヨガ

オンラインヨガ&フィットネス「SOELU」で半年でのべ1000人以上の受講生さんに声ヨガレッスンを行いました。

塞ぎ込みだった私にも声を出すきっかけ、笑うきっかけを作ってくれるレッスンに魅了されています!
喉が開きました! 声が出やすいです。終わった後は口角を上げての笑顔が可愛くなった気がして笑顔になれました!!! 気持ちが明るくなってく良かったです♪

など嬉しいメッセージもたくさん届いています。

寺ヨガ開催〜御堂で声の響きを楽しむ〜

滋賀県大津市にある『大津別院』で、国の重要文化財である本堂を月1回、第3月曜日にお借りして声ヨガレッスンを行っています。声ヨガを始めた時からの、お寺の御堂で声ヨガをしたい!包まれる声の響きを感じたい!が叶い生徒さん達と一緒に楽しみながら、声ヨガを心を込めて届けています!

YouTube『びわ湖体操』やTwitterでも発信しているので、是非ご覧ください♪

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また声ヨガの学びをもっと深めたいという方がいましたら、声ヨガインストラクターの取得講座もありますので、興味がありましたらそちらもチェックしてみて下さい。

https://www.voiceyoga.jp/







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