分かる 〜 アイディア 〜 一枚の写真に

昨日今日で二つ言葉を覚えた。

どちらも「そんなの知ってるよ!」な言葉なんだけど、なぜその漢字を使うのか、由来は? みたいな事を分かっちゃなかった。

#万年筆
#破風
(これらの言葉をドーのコーの言いたい訳じゃないので、気になる方はご自身でお調べくださいまし。)



それを知ったからってナニがドーなるってもんじゃないんだけど、、

それでも一寸は、それらの物・事なんかの成り立ちを知って、なんで作ろうとしたのか、どんな工夫を考えたのか、、ってぇのは、物・事、それらを作ってきた人たちの考えの本質を少しばかりでも理解するキッカケになりそうで楽しい。



たぶんね、、そーいう小っちゃなコトなんだけど、そーいうのの積み重ねってぇのが写真を撮るのに活きてくる。

大大先輩のを又聞きしたハナシ、、オフロード・バイクのレーシング・モデル(いわゆるモトクロッサーってヤツ)撮影で、泥濘路のコーナーを泥土塊を飛ばしながら豪快な走行シーンを撮ると。

大大先輩もバイクには乗るし個体に対する技術的造詣もあったから、撮影に立ち会うメーカーの設計技術者やモデルになるライダーさんに「リヤのスプロケットは●●丁でしょ、フロントは幾つが付いてんの?  (担・●●丁です。)  だったらコーナー入って立ち上がりは□●△な感じだよねぇ、、」と。実走行をイメージしてシーンを想定した打ち合わせをする。

メーカーの人たちも甚く納得・感心して大大先輩カメラマンに全幅の信頼を寄せて、新製品の走行撮影はレギュラーになったんだと。

バイクにソコソコ乗ってて写真やってたら、まぁそんなモンだよねぇ、そんな特別感心するほどでもねぇょ、、な事なのかもしれないけど、撮ってもらうクライアントさん方にしたら安心感だったり納得感ってぇのが得られるよね。

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そんなこんなして〝本質〟ってぇのをどんだけ理解しているかで、被写体に対する向き合い方や描きだし方が違ってくるはず。

方法論として、、どれだけ凄い技術や沢山の知識を学んでいても、被写体を理解できない寄り添えない撮り方ではダメなんだと思う。



今時分、写真・映像学科に入学したての皆さんは、たぶん〝バードアイ・ドッグアイ = 超ローアングル・俯瞰アングル〟で撮ってきなさいなんて課題出されて「ぉぉ、、」なんて盛り上がってるかもしんないけど(笑)、それは知識で撮影技術として一つの方法。さらに言えばカメラ位置によって被写体がどのように印象を変えるかという事を知る授業になる訳ですょ。

・・・したらば、人物ポートレートを撮る、その時にカメラマンはどの位置にカメラを構えるのがベストなのか、、そう考えるキッカケになってもおかしくない。

被写体になる人物を座ってもらって撮ろう、、 それが椅子なのかフカフカのロー・ソファーなのか地ベタに座ってもらうのか、その時のカメラ・アングルはドッグアイなのか正対なのか脚立に乗って真俯瞰にするのか、、みたいな。ね。w

その人らしさや、意図した演出をする上で、どんな見せ方がより効果的なのか、、そんなフゥなアイディアを生む考えはキリがないよね、、どんだけ真摯に思い考えカラダを動かし続けられるか、、なんて思うんだよナぁ。

そーすっと、いつか偶々かもしれない時に、誰も想像しなかったよーな素敵か凄げぇ〜か美しいか分からんけど、素晴らしい出来栄えの一枚の写真になるかもしんないじゃんか。

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追記


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