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親族の悪口という名の呪詛

愚痴は心の膿

皆さんのご家庭は家族の愚痴を聞かされる家庭環境でしたか?
全く家族の愚痴を聞かされない家庭環境など皆無と思います。
お父さん靴下脱ぎっぱなし、お母さん同じ献立ばっか、娘の深夜の長電話がうるさいなどなど…
ホームドラマでも垣間見えるような内容から
まだらボケの祖母が時々徘徊して困る、祖父の介護が大変だなど重みのあるものまで様々な愚痴があるかと思います。

家族の愚痴に限らず「愚痴」を聞かされていい気持になる人は少ないのではないでしょうか?
大抵の場合、愚痴はお互いに言い合ってすっきりする心の膿を吐露する手段ですし、それを聞かされるだけの人は心のゴミを投げつけられたも同然です。
では親子の場合はどうでしょうか?

逆らい難い親子の関係性での愚痴

別の記事でもお伝えした通り、私には精神疾患のある叔母がいます。
入退院や問題行動と繰り返す叔母の愚痴は常に母と祖母の専売特許でした。
兄妹はいません。父と祖父は仕事があり、家を空けることが多かった記憶があります。
学校から帰り、おやつの時間。菓子をつまみながら聞かされる叔母の愚痴。そこから派生していく父の愚痴、祖父の愚痴。パート先の愚痴、近所の愚痴。愚痴だけでお腹いっぱいですね笑
きっと母と祖母にとってそれが唯一の息抜きだったのだと大人になった今では感じています。
しかしながら当時の私は「母は本当は父のことを嫌っているんだ、お互い顔を突き合わせている時は穏やかに過ごしていても、いなくなった途端にこうして罵っているんだ」
「私も自分のいないところで母と祖母に悪口を言われているんだ、父や祖父も私が知らないだけで私のことを本当は嫌っているのかもしれない」いつしかそんな風に考える様になりました。

幼い子に愚痴を聞かせ続けるのは一種の言葉の暴力だと思います。
いや、洗脳にも等しい。歪んだ価値観の植え付けです。
仮にふと弱音が愚痴として子供の前で漏れてしまったら
「でもパパはお仕事頑張っててえらいよね」と言ったようにプラスのイメージで締めくくれるようにすれば子供の心を壊さずに済むのではないでしょうか。
大人は大人で日々をいっぱいいっぱい生きているかもしれませんが、それは子供には関係のないことです。
愚痴がどうぞ、大人だけの環境で。
そして家以外で、ね。


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