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「手を放しても目は離すな」を心に刻んだ日

人を育てるのは容易ではない。企業での人材育成も、家庭での子育ても相手は自分の思うようには動いてくれない。そういう時に、改めて人間同士で交流をして生きているのだなと気づく。これまでnote記事では私自身の話をしてこなかったが、今回は少し触れてみたい。

私は過去に人材育成の師匠と言える上司に出会えた。その中でたくさんの学びを頂いたし、当時どうしようもない位、わがままで失礼で迷惑をかけまくっていた私を最後まで諦めずに指導してくれたことにとても感謝をしている。

この人材育成の師匠の金言を紹介したツイートがこちら。

私のTwitterライフの中で現時点で間違いなく最高数のRTといいねをいただいたツイートになる。正直このツイートがこれほど多くの方に指示いただけるとは思っていなかった。私の中で大事にしている言葉ではあったが、これだけ多くの方にいいねを頂けるということは、ある種の普遍性があると感じた。

人材育成についてはテクニックももちろん重要なのだが、教える側の動機付け(マインドセット)も大切なので、今回はこのツイートが生まれるきっかけになった私の体験を共有しつつ、その部分を掘り下げていきたい。


宇宙人降臨!?

当時の私は自分でいうのもなんだが、結構な問題児だった。入社後に直属の上長になった課長が、お世辞にもまじめで仕事をしっかりとやる人間でなかったというのもあり、実力もないくせに私の中では「上司には反発するもの」という謎のセオリーができてしまった。


振り返ってみると上司の言うことは全く聞かない、部長と打ち合わせしている最中に寝る、仕事の関心が極端に低く好き嫌いが激しい、ジャンプコミックスの発売日は我慢できずにトイレで漫画を読む(これはほんと最低!)というなかなか最悪な新人だった。

その頃ちょうど構造把握力を高める勉強を始めていただけに、仕事の経験はないがなにかと物事を俯瞰しようと頭でっかちな部分があり、どうしても部分的に見えるその当時の仕事にやりがいやプライドを感じられなかった。またその仕事への態度が他の上司との関係性を悪化させ「あいつは宇宙人だから仕方ない」と上位者からはかなりキワモノ扱いをうけていた。

当の本人はそんなことを言われても全く気にもしていなかったが、信頼のおける先輩とこの金言をくれた上司(長いので以下「金さん」で統一)がいなければ、もっと性根の腐った人間になっていただろうと思う。いつの時代も人に助けられて私は生きている。


そして上述のような状況を見かねた他の上司たちが私の指導係としてこの金言の上司こと金さんを私の直属の上長として送り込んだのである。

ここから2人の長い長いバトルが始まるのであった。


上司との初バトル!

思い返せばいろんなバトルがあるのだけれど、一番最初に金さんとバトったのは、部長用の報告資料の作成の時だった。当時の部長があんまり好きでなかった私は全くもってその資料の品質を高めず、前回言われた内容を反映しないで再確認の打ち合わせに臨んだり、細かいミスのオンパレードばかりしていた。人の好き嫌いで仕事の品質を落とすなど、今考えるとプロとして失格だが、一方で自分が尊敬しない人のために一生懸命になるのもなんだか人生の無駄遣いのように思っていた。そんな態度でいるものだから、金さんからはまずこの仕事のやり方を徹底的に改めるように言われた。私は「悪いですけど、あの部長のためにこんな数字出すことに時間を割きたくない。そもそもこんな仕事やりたくないんですよ、僕は」となかなかに生意気かつ失礼なことを言ってバトルの火蓋を切った。今思い返しても顔から火が出る言動だ。

金さんはそんな私に「君が上司を信頼できないのはわかった。それは今変えられないとしよう。しかし君がこの仕事を手を抜いたら、君と一緒に仕事をして、この資料完成のために数字を出してくれているチーム員の仕事ぶりにも泥を塗るわけだ。君が意味ないと思っている仕事のために一生懸命数字を揃えてくれているメンバーにそんなことを言って申し訳ないと思わないのか?

上司に迷惑をかけるのは一向に気にしていなかった私だが、チームのメンバーには嫌な思いをさせたくないとは思っていたため、この言葉は正直刺さってぐぬぬ、となった。

しかしまだまだ天邪鬼な私は、表面上は特に何も言わなかった。ただ、この時から私は金さんの仕事の考え方について学ぼうと思い始めた。


適当さが招いた失態

金さんとの何度かのバトルを経て、仕事に対するスタンスは多少マシになったものの、まだまだその当時の仕事に対してプライドを持てていなかった。

しかし、その仕事への中途半端な態度がある事件を起こすのである。この話は正直今でもあまり人にはしたくない。他の人からすれば大したことがないと言われるかもしれないが、私にとっては深い反省と後悔だった。

ある夏の昼、一本の電話がかかってきた。「先日頂いたこの資料の数字間違っているんですけど、どういうことですか?なんでこんな適当な数字をだしたんですか!!」ある重要な資料の数字の計算を間違えたまま提出してしまい、取引先から大クレームを受けたのだ。

本来私がしっかりと品質を確認してOKを出さないといけなかったのだが、忙しさにかまけて確認を怠り、チーム員が算出してくれたものをろくにチェックもせずOKを出してしまったのだ。

取引先は大激怒!それは取引先の中でも中期的な戦略を考えるうえで大切な数字だったのだ。しかもこともあろうに私はそのミスをチーム員のせいにしてしまった。その当時のチーム員はすごく暗い顔をしていて、本当に辛そうだった。私は怒っている取引先の矢面にも立たず、ただおろおろするだけ。上司に見せていたあの威勢はどこにいったのか。思い返しても本当に情けない。

しかし金さんはこのミスとミスを看過したことには私に反省と改善を促したが、私の人格を否定するようなことは一切言わなかった。そして本来なら私が謝りに行くべきところをわざわざ他県の取引先まで出向いて、私の代わりに頭を下げてくれた。「君が扱っている仕事が誰にどう使われているかのイメージが持てただろ?反省はして欲しいが、自分を責めすぎるな。こういう時のために上司はいるんだよ」と出張から帰って私に告げた金さんの上司としての器の大きさに驚かされた。

さすがの私も自分の適当さのせいで、今回の事態を招いたことを痛感しており、これを上司に2度とやらせたら絶対いかん、と仕事に対する考え方や姿勢をものすごく改めた。また当時チーム員に対して自分がやってしまった非礼を詫びた。もちろん謝っても謝り切れないのは言うまでもないが。

そして金さんは私と一緒にどうすれば今回と同じミスが出ないようになるかの再発防止策を一緒に考えてくれた。そしてその打ち合わせをしていた時にこの金言をもらったのだ。

「人に仕事を任せる際は、手を放しても目は離すな、これだけは覚えておいてくれ。これは人材育成でも同じ。任せるのと放任は違う」

この時の金さんの言葉は深く深く私の心のノートに刻まれた。これは私が人材育成する時、チーム員や取引先に仕事を依頼する際に、必ず思い出す言葉である。そしてこの原体験をきっかけに、私は自分が提供する資料や情報が誰にどういう目的でどのように使われているのか、それを確認したり調べる癖がついた。受け取る相手の顔が想像でき、どのように使われるかがわかって初めて、これまで当時の仕事を毛嫌いして手を抜いていた自分の愚かさを恥じた。


再出発と卒業

この原体験を機に仕事への入り込み方、動機づけが大きく変わった。私は再出発をした。適当さは息をひそめ、仕事にも緩急をつけて、絶対ここは外してはいけないと自分が判断するものは特にこだわりをもって責任を全うした。私自身、自分の不甲斐ない言動のせいで大切な人に迷惑をかけるというが一番嫌だということにもあの体験から気づいたからだ。

金さんはそんな私に、人材育成のやりがいや楽しさを伝える仕事も振ってくれた。取引先向けの勉強会の企画やチーム員の人材育成を任せてくれた。

「ようやく君のやる気スイッチが入ったね」と言われたときに、自分でも少し変われたかなと思った。

それでも私自身が人材育成や教育に携わる中で何度も「手は放しても目は離すな」を口を酸っぱくして伝え、教えてくれた。自分が育成する側に立った時、仕事を依頼してやってもらう時にこのプロセスがいかに大事かを理解した。もちろん相手の能力や理解レベルに応じ、マイクロマネジメントのように逐一報告させる必要はない。ただ、仕事を進めるうえで困りごとがないか、仕事を頼む側も頼まれる側も初期の段階で同じ方向を向いているか、出てきた成果物の品質は問題ないかということは必ず確認する癖がついた。

そして一緒に仕事をして数年後、金さんの異動が決まった。受けた恩は数知れず、付き合ってもらった残業は百数時間に及ぶ。感謝の気持ちでいっぱいだった。「金さんにやってもらったことの恩返しがまだできてないんすけど」と最後の打ち合わせの時に伝えると彼は「君は恩返しの考え方を改めたほうがいい。何かをやってもらったらそれを本人に返すのではなく、次の世代に伝えて欲しい。君が私から学んだことを今度は後輩や君の将来の部下にやってあげてくれ。それが私への恩返しになる」そういって笑っていた。最後の最後まで金さんは金さんのままだった。


エピローグ

金さんとのエピソードは正直数えきれないあり、迷惑を沢山かけ、また名言も沢山いただいたので全てを今回で紹介しきれない。反響が大きければまた別の記事で届けたいと思う。

人生は一期一会だ、その中で数々の原体験があり、また人生の師匠と呼べる人との出会いがある。こうした師にどれだけ巡り合えるのかも人生を豊かにする要素だ。

人の数だけ人生がある。多くの人から学び、それを咀嚼し、また後代に伝えていく。学んだことを自分の中でまた価値を高め、次の世代にバトンとして渡す。それが私の中での1つの生きる目的だ。

このバトンが繋ぐ道である、バトンロードが遥か未来につながることを願って今日も自分がすべきことを着実にやっていきたい。


私たちに出来ることを一歩ずつ。



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