見出し画像

不完全な父親と仕事人~私の人生の”最高速度 ”~

みなさん、こんにちは。柳本です。

最近育児についていろいろ思うことがあり、ふと、ある漫画の1シーンを思い出すことがあります。

それはもはや国民的な漫画と言ってもいいONE PIECEのことですが、皆さんは読み進めるのを途中で挫折したりしていませんでしょうか?私は「アラバスタまでは良かったんだけど、空島編でちょっとつまずいたわ」という多くの友人を見てきました。今回はその空島に行く前の話で安心してくださいw

アラバスタ王国に王女ビビを送り届けるために航海を続ける麦わらの一味。そんな中、巨人と恐竜達が住む太古の島リトルガーデンである病気にかかってしまったナミ。40度を超える大熱が出て、ルフィすら心配する始末。同時にアラバスタでの重大事件のニュースをビビは知る。ナミを治すために島を見つけて医者を探すべきか、このままアラバスタを目指すか、決断を迫られるビビ。その時、彼女は、

「これからこの船を”最高速度”でアラバスタ王国へ進めてほしいの!」と言うわけなんです。まぁ王女だし、国心配だよなぁと思いますよね。「当然よ!約束したじゃない!!」と強がるナミ。でもビビは、

「だったらすぐに、医者のいる島を探しましょう。一刻も早くナミさんの病気を治して、そしてアラバスタへ!!それがこの船の”最高速度”でしょう!!?」と決断するんですね。当時中学生ながら、この話を読んだときは凄い決断だなーという感想を抱いていましたが、親になった今は別の受け取り方をしました。

ということで前置きが長くなりましたが、今回はこのビビの最高速度という定義について改めて考えさせられた、というお話です。

労働は続くよいつまでも

以前のnoteでも少し触れましたが、私は結婚してからも、お互いの仕事の関係で長らく妻と別居生活を続けていました。結婚していながら独身貴族さながらの生活スタイルでした。

特に、結婚後の数年間は仕事が楽しくなってきた時期ということもあり、忙しければ9時10時まで仕事をすることも普通で、残業制限を逃れるために仕事を持ち帰って夜中までやるということもザラにありました。週末も基本土曜日は働いていて、土曜の夕方位から遊びに行く、なんて生活でした。

もちろんもっとハードに仕事をされている方々が世の中にはいるのですが、それでも自分の好きな様に仕事に時間を注ぐことができていたと思います。

そういう働き方をしていたことも相まって、成果も出て、上位者からも認めてもらい、それなりに「仕事ができる人」と認知されていたと思います。大変なことも多かったですが、尊敬する上司や仲間と仕事をするのは楽しかったですし、その時間は私にとって大切な思い出です。

しかし、この独身貴族の仕事・生活スタイルは突然終わりを告げられるのでした。妻の妊娠が判明したからです。人生においてとても嬉しいことなのに、私がその時率直に感じたのは、今までと同じ仕事・生活のスタイルではいられないだろうな、ということです。

子供が生まれるということに無自覚・無知だった私

恥ずかしながら、子供が生まれるとわかって私が積極的に動けたことはほとんどありませんでした。世の中の先輩お父さんたちからお叱りをうけることを覚悟して吐き出します。産婦人科を探す、出産の仕方を決める、産休育休についての制度を把握する、申請のサポートをする、これらのことは妻が主体でほぼ自力でやっていました。そして子供が生まれるということに対して積極的に関わらないことで妻から何度か怒りの言葉をもらいました。

そういうやり取りがあって私もようやく重たい腰をあげ、少しずつ妊娠・出産・赤ちゃんのことについて知るようになりました。恥ずかしい話、マタニティマークも言葉は知っていたけど、それがどんなものなのかも知りませんでしたし、妊婦さんの大変さも慮ることすらできていませんでした。

妻が叱ってくれていなければ、もっと無関心な夫だった気もして、恐ろしいです。

今まで通りにいかないもどかしか

さすがに今までと同じような仕事の仕方をしていると、体調の変化が大きい妻と一緒に生活できないと思い、家庭に時間を割き始めました。妻の妊娠を機に同居するようにもなり、まずは早く帰って家事をして仕事は持ち帰って夜にやるようになりました。

そこで非常に強く感じたのが、「今までと同じアウトプットが出せない…」ということでした。考えてみれば当たり前ですよね。働く時間だけを切り取っても当然家に早く帰って幾ばくかの家事と妻のケアをして、妻の就寝後に仕事をする。何日かの無理はききましたが、数か月も続けることができませんでした。そうすると必然的にアウトプットが下がってきます。一緒にやっていた同僚にも迷惑がかかるなぁと思いながらも、でもどうしても以前と同じアウトプットには到達しないんですね。まぁ今まで独身生活をしているようなものでしたので、一緒に人と住むことの大変さもあったのでしょう。

私はただの凡人なので、もっと根を詰めてやれる方は両立もできると思います。でも私には無理でした。

明らかにアウトプットが落ちたことを周りからどう見られているのだろうか、特に一緒に働いているチームのメンバーからどう思われるかと、内心びくびくしていました。

仕事と家庭のバランスをどうするか。本当はもっと仕事に全振りしたい、けれどそれでは家庭がもたない。この悩みは慢性胃炎になる程度には私を苦しめました。

娘の誕生と誓い

そうこうしている内にも、妻のお腹は大きくなり、とうとう臨月を迎えました。母子ともに健康で、お腹の中の赤ちゃんも元気にキックを繰り返していました。定期健診で妻と一緒にエコーを見るのが楽しみでもありました。

命が生まれるって素晴らしい。自分の子どもが生まれてくる。この幸福感は仕事で得られるものとは全く別のものでした。期待と不安が入り混じる感情。

妻は産後に母親と赤ちゃんに加え父親が数日一緒に泊まることができる産婦人科を探し、それができるよう申し込みをしました。

しかし、仕事ではこの出産予定日周辺に山場があり、私がその山場に出張るかどうか、ということが職場で少し議論になりました。当時の上司の理解もあり、最終的には1週間前後休みをもらえることになりましたが、他のメンバーが頑張っている中、仕事が振られなくなる、休むというのは私自身が心苦しく、慢性胃炎の胃が更にキリキリする思いでした。

そこで改めて気づいたのは、私の中では仕事を優先するという価値観で10年近く生きてきたんだなということ。仕事は好きだけど、出産というイベントを通してそれに憑りつかれているような感覚を覚えました。悩んだ時に先輩に相談すると、「人生において大切なことを選べば良い」とアドバイスされ、その仕事を断る方を選びました。

そして、出産当日立ち会うことができました。無事に生まれてきた娘は小さく、こんなに小さく愛くるしい人がいるんだなぁと感じました。そして娘の手を握りながら「この子が大きくなった時に活き活きできる社会にしたい」という大それた誓いをそっと心の中で立ててしまったのです。

仕事以上の難易度と責任感

ドラマならここで子供が生まれてハッピーエンドかもしれませんが、世の中の親の皆さんは良くご存知の通り、生まれてから大変なことが本当に沢山あります。

正直、産後すぐに病院で一緒に過ごした時は、ものすごく暗い気持ちになりました。なぜなら、不定期に起きる娘にミルクをあげるために起こされる、気が休まらない、まずこれがキツイ。それに何か失敗して、か細い命が消えてしまわないか心配で心配で。不規則な生活が数日続いただけで私の豆腐メンタルは結構やられていました。それでも私の場合は外に買い出しに出たり、1日は病院から家に戻り休むことができたのでマシでした。

睡眠を阻害されるだけでなく、除菌、おむつ替え、あやす、沐浴など本当にバタバタ。ゆっくりと食べる時間もない。娘が生まれた時のかっこいい誓いはかすんでいきました。これはキツイって心の中で弱音を吐きました。自分が何か失敗をすると大切な命が失われるかもしれない、だからしっかりしなければ、という責任感ももれなく慢性胃炎の胃の中にずっしり伸し掛かります。自分の育児レベルの低さを棚上げにして言いますが、産後鬱になる女性が多いのは非常に納得しました。

妻の実家に帰ってからも週に数日年休を取得して泊まりましたが、数日泊まっただけでヘロヘロに。わからないなりにしっかり育児をする妻を頼もしく思うと同時に尊敬もしました。

娘が日々育つことで必要なタスクの量や質が変化することも育児の難しさを感じた瞬間でした。娘の成長が意味するところは覚えた技はすぐに使えなくなり、次のステージに強制移行するということ。仕事なら得意で押し切る、苦手から逃れるという手もありますが、育児にはその選択肢がほぼありません。

仕事と比較すること自体がナンセンスかもしれませんが、私には普段の仕事以上に難しく、厄介に感じました。恐らく、やらないといけないタスクの性質が違うんですね。育児休暇って「休暇」じゃなくて仕事ですね。妻を見ていて休んでいる暇どこにあるねんって思いました。

私の今の最高速度を決めた日

家族で一緒に住み始めて、仕事と育児を同時に行う。これは妻の妊娠時期よりもさらに仕事への1点集中を難しくしました。

確かに妻は育休を取って娘をケアしてくれていますが、それは自分が何もしなくていいということを表すわけではない。なのでどうしても仕事にさける時間の割合が減ります。

もちろん自分自身でできる業務効率化の努力や優先順位付けはしました、それでも同じアウトプットは出せない。

その状況に加えて、直近のコロナ禍による在宅勤務。娘も大きくなり、手がかかるレベルも高まっています。オンライン会議中乱入する娘、作業中に大泣きされる、散歩に連れて行かないと機嫌が悪くなる、挙げるときりがありませんw 努力はしましたが、仕事のアウトプットは更に下がりました。そのことで上司からもお咎めをくらいました。自粛のストレス、人に会えない、娘のケアもしないといけない、仕事もアウトプットを出さないといけない、でも集中できない。ぐるぐる、頭の中で回っていました。

しかし、悪いことばかりではありません。平日夜と週末育児をしていた気になっていたけど、妻はこんなにも大変だったのか、ということにも気づきました。娘とこんなに一緒に過ごすことも今までなかったし、可愛さを感じ、癒しも得て、娘の日々の成長も間近で見ることができました。仕事の優先度が下がる分、家族との時間の方は高まりました。

だからある時、今仕事と育児の両方をできる限りやれている状態が私の今の”最高速度”でいいんじゃないかと思えるようになりました。もちろん過去の実績と比べれば、今の仕事のアウトプットは同じではありません。育児も不完全だし、まだまだダメな父親です。本当は両方完璧にやれるといいけど、私にはそこまで能力も体力もないのです。だから、今自分ができる限界を挑戦し続けていれば、それは私の最高速度って思うことにしようと。完璧でなくてもいい、そう思えると少し気が楽になりました。

ビビがドラム王国に立ち寄ってナミの病を治したように、人生においても仕事一本の道でなく、「育児」という島に寄ったっていい。最高速度は人それぞれなのだと。

この考え方については、いろんなご批判もあると思います。責任感が足りないとか、仕事へのプライドはないのかとか。でもこういう視点を持つことを許される社会であってもいいのではないかと思います。いろんな価値観の中の1つとして普及していけばいいなと思うのです。

多様な価値感のある社会を目指して

育児を頑張ろうと思うのだけれど、仕事と家庭の板挟みにあって悩んでいる方は性別に関わらず多くいらっしゃるのではないかと感じます。私の最高速度の話も自分が納得しただけで周りの人に理解してもらうまでには至っていません。

私のこの最高速度の定義は仕事に対して一種の諦めのように聞こえるかもしれません。でもこれを諦めと捉えない価値観を持つ人が増える社会に変える必要もあると強く感じます。

そのためにもまず多くの人にこの考え方を知ってもらいゆっくり理解を深めていく必要があります。また、生産性を高める方法を徹底的に研究、実践する。定期的に業務の優先順位付けと業務改廃を行う。担当者の側でできること、マネジメントの観点で変えられることは幾つもあると思います。

誰かが犠牲になってその犠牲の上に成り立つ仕事は不健全なのでは?という疑いも持つべきだと感じるようになりました。仕事にも家庭にも充実感を持ち、人生を謳歌するための方法はどこかにないのか?そういう探求が必要なのではないかと、今はそう思います。

多くの人がビビのようなそれぞれの”最高速度”の決断ができる社会にするために、不完全な父親・企業人ながら私に出来ることを考えていきます。答えはまだありませんが、小さな小さな芽として、大切に育てていきます。

私たちにできることを一歩ずつ。

この記事が面白かった、役に立ったという方はサポートをよろしくお願いします。柳本の新たな記事を書くためのやる気が劇的に増加します!