ココロのホントを探してる。
『ひとりぼっちとココロの本と』。
僕にとっては五本指に入るくらい大好きなボカロ曲です。今年は2月の「SNOW MIKU 2018」のコンピレーションアルバム「雪あかりの夜想曲」にこの楽曲が収録されたことを皮切りに、5月のPIPPOさんの久々の投稿があったり、8月にはとうとうカラオケDAMでこの楽曲の配信が始まったりと事あるごとにこの曲のことを思いだし、聴きにいき、口ずさんできました。
スネアの刻みを経て、不思議、でもキャッチーなピアノフレーズが魅力のイントロから始まるこの曲は、少女「ココロ」(初音ミクwikiより、作者によってイラストの女の子にはココロちゃんと名付けられていることが分かっている)とその手に携えた「本」のお話です。そしてこれは同時に、誰もに当てはまりうる「孤独」と「自問自答」の歌でもあると考えています。
飽きるくらいに読み返したって
まだ ぼやけてる この世界を
ただ 独りだけで生きる心が
寂しくないか知ろうとした
自分の心は自分が一番よく分かっている(というより表に出さなければ自分以外には知られえない)一方で、自分の心は自分が一番よく分からないものだと思います。この曲における「この世界」は「自分の心」で、飽きるくらいに読み返す「本」にその世界のことが書かれているのだとすれば、飽きるほどに本を読み返す行為はそう、「自問自答」に等しいものであると思うのです。
誰もいないように ずっと広がって
呆れるほどに 何も見えない
確かに 歩けば近づけたのは
孤独のみだと知る
そして、自分の心内世界には自分以外の人がいるわけないのは当たり前です。それが「孤独」っていうことなんじゃないかなって思います。知ろうと思えば思うほどに、その事実だけはその輪郭をはっきりさせていくんじゃないかなって。
不思議だな きっと泣くはずなのに
涙の音も書いてるのに
笑うのは きっと違うけれど
嗤われることもないはずだろう
孤独が寂しいものなら、泣き方は知ってるんだし、泣けるはずなのに、泣けない。だからといって笑うのも違うとは思うけど、それを嗤われることはないはず。だって孤独だから。
どうか 今が生きてゆく
曲がらない正しさでありますように
「そうだ」と書いていなくて
また飽きるくらい読み返して探してる
「だから思ったままに、正直に生きていこう。」
ココロちゃんはこの曲のなかで終始一貫した考えを持っていて、でもそれを肯定してくれるもの(=「そうだ」と書いてあるページ)を探して何度だって自問自答を繰り返していくんです。
眠たい夜だって 生きてゆく
頑(かたく)なな正しさを憶えたまま
そうさ ただ独りきりが
この心に寂しくはないのだろう
まだ探しても見つからないだけだろう
終始一貫したその正しさは確かに頑ななままで、その決心を肯定してくれるモノはまだ見つかっていないだけだと信じてやみません。そして心においては、ただ孤独であることは寂しくないことだという「答え」に辿り着きます。
明るくなって照らされて
どうだ まだ ぼやけてるこの世界は
確かに寂しくないはずなんだと
少し目を伏せてる
眠たかった夜は明け、確かに光が行き渡っているのにも拘らず、それでもなお世界はぼんやりしていて自分のことが分からないまま。最初は寂しくなかったはずの心が少し翳ります。
答えに誓って泣くはずないって
涙の音は隠している
笑うのは きっと無理だけど
嗤われることはないはずだろう
先ほどとは打って変わって、泣きそうになってしまう心を抑えて、辿り着いたはずの「答え」に誓って寂しくなんてないと自分に言い聞かせます。だからといって笑顔を繕うことは出来ないと思うけど、それを嗤われることはないはず。だって孤独だから。
後悔なんて 生きてゆく
くだらない正しさにしなくてもいい
「そうだ」と書いていなくて
また飽きるくらい読み返して探してる
冷たい夜だって 生きてゆく
頑なな正しさを守れるなら
そうさ ただ独りきりが
この心に寂しくはないのだろう
まだ これは認めてはくれないけど
「それでも思ったままに、正直に生きていこう。」
ココロちゃんは歯を食いしばって、「そうだ」と書いてあるページ求めて自問自答を繰り返していきます。頑なな正しさを「守る」とあるけれど、裏付けはなくとも、寂しさや不安を感じてしまっても、ただそれが正しいとする「直感」だけを頼りに生きていきます。後悔して今までの正しさを曲げてしまうことがないように。まだ「本」はそれを肯定してはくれないけれど。
ほんとに きっと泣くはずないって
涙の音を掻き消してる
不思議と笑えもしたけれど
嗤われることはないのだから 笑えるさ
決意はより強固になり、涙の音も遮断してしまいます。これまでは違うと思っていたり、無理だと思っていた「笑み」すら不思議と零れてくるようになります。でもそれを嗤われることはないはず。だって孤独だから。
「笑えるさ」
言葉にすればたった五文字のその台詞に、偽りのない「本心」からの、強い決意を感じます。
どうか 今が生きてゆく
曲がらない正しさでありますように
「そうだ」と書いていなくて
また飽きるくらい読み返して探してる
「だから思ったままに、正直に生きていこう。」
終始一貫した考えは決意を固めた後にももちろん揺らぐことはありません。そして自問自答しますが、やはり「そうだ」とは書いていません。そしてココロちゃんは諦念の境地にたどり着きます。
眠たい夜だって 生きてゆく
頑なな正しさを信じたまま
「そうだ」と書いていないのなら
諦めて書き込めば見つかるだろう
頑なな正しさが 本当だろう
心に寂しくはないのだろう
諦念には二つの意味があります。
1 道理をさとる心。真理を諦観する心。
2 あきらめの気持ち。(コトバンクより)
ココロちゃんはついに、「そうだ」という文字列を本の中に探そうとすることを諦め、自ずからそこに「そうだ」と書き込んでしまえば見つかることを悟ります。本の世界においては人は誰しもが「ひとりぼっち」なんですから。
最後に彼女は頑なに貫いてきた正しさこそが「本心」じゃないかと気付いたんです。
この曲をはじめて聴いた3年前、僕はこの曲の歌詞が、それこそぼやけているように感じました。曲とイラストと、そういったものが積み重なった曲として僕は「ひとりぼっちとココロの本と」を好きになりましたし、それは今も変わりません。メロディも最高なんだ。正直歌詞は「なんかいいな」という月並みな感想以上のものが沸いてなかったんです。最初はね。
そしてこうやって自分なりにそれをなんとなく紐解けるようになった今でも、これが正しいのかは分かりません。でも、感じたままに一度その解釈を外へ向け、その意味で「ひとりぼっち」の鎖から解き放たれてみようと思いました。そして真意が違ったとして、僕が捉えたこの文の終わりに自分で「そうだ」と書き足しておこうかなという気持ちになっています。
自由に話したいことを話しましたが、やっぱり改めて #vocanote って素敵ですね。最近、自分自身が筆を執る(筆は執っていないけど)頻度というのは明らかに落ちてしまっているんだけれど、多々読ませてもらうなかでも感じます。
たくさんの人が思い思いに言葉を紡いで自分の中の「好き」だとかあれやこれやをぶちまける。書けずにいる間は行き場のないその想いを独り抱えていて「孤独」でも、書くことでほんの少しその呪縛から開放されうる。また、書くことで自分のなかの気持ちが整理できて「そうだ」と書き込むことが出来るようになるかもしれませんし、それを読んでくれた人が「きっとそうだ」くらい書いた栞をプレゼントしてくれるかもしれません。もちろん望めば語らずにその想いを胸のうちだけに刻み付けておくこともできるし、すべては個々人の自由。
vocanoteに限った話ではないかもしれませんね。語りたいことを語らえる自由な土壌がここnoteにはあります。それがそもそもこの上なく素敵だなと思います。再三推してはいますが改めて、皆さんも思い出した時に読んでみたり、語りたい衝動のままにここへ赴いて筆を執ってみてはいかがでしょうか。
さて、最後になりますが『ひとりぼっちとココロの本と』はYoutubeにおいてもPIPPOさんご本人によって投稿されています。
英題は『Loneliness And Real Intention』。そう、「ココロの本と」は「心の本当」。
この曲は「ココロ」という少女と携えた「本」の話。そして誰しもが抱え、経験するであろう「孤独」と「自問自答」の歌です。
気付きをくれた「ひとりぼっちとココロの本と」の作詞・作編曲者であるPIPPOさんの発言を引用させていただいて筆を置く…キーボードを置く…?とにかく、仕舞いにさせていただこうと思います。
まず何よりリンクを踏んで曲を聴きに行ってくださいね!読んでくださってありがとうございました!
25.ひとりぼっちとココロの本と【曲紹介・感想】
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