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Dr Scott Ross: どうやって映画産業で1億円を稼ぐか? 第4部 150億円集めてみよう! (翻訳その8 最終話)

This is a Japanese translation of Dr. Scott Ross's blog. Please check out the original article to verify the translation. (この記事はスコット・ロス氏の2012年に書かれたブログの翻訳です。翻訳の正確さは保証致しかねますが、日本人にとっても興味深い内容で非常に面白い読み物だと思います。)

(その7からつづく)「千羽鶴」のために合衆国の映画会社から資金を集めることが、近い将来には起こり得ないことを私は学んだ。そこで国外での資金集めと配給を探すことにした。日本の映画会社と配給会社から始めるのが一番だと思った。

 過去数年、国外の映画セールスエージェントの数人に会った。Kathy Morganは国外のセールに何年も携わっていた。私はKathyが好きだったし、何よりDD(デジタル・ドメイン、ロス氏の会社)で私がチームで製作していた映画が彼女は好きだったようだ。Kathyは、日本でも有数の映画会社であった松竹の広報でもあったベテランの国外セールスマンであるPenny Karlinと連絡を取ってくれた。PennyとKathyは親切にも松竹の社内の人達、上層部の役員クラスまで会わせてくれた。松竹は「千羽鶴」に興味を持ってくれたかのように思えた。ハリウッド映画のうち日本を題材にしたものは日本では必ずヒットするから、興味があるだろうと考えた。ラストサムライは、合衆国では111億円稼いだが、日本では119億円も売り上げがあったのだ。

 また日本に旅行することになって、再びフルコースの格式高い夕食会に招かれた。松竹のトップらに会って、「千羽鶴」製作のための資金と配給の交渉をしようとした。日本人との交渉は、それ自体をまさに芸術的に行わなければならない。言語のやりとりが難しいのももちろんだが、本当にややこしいのは文化的な部分にある。日本人は細かい書面上の取り決めを避ける。決定までのプロセスは途方もなく長いし、相手のことを本当に知って取引の前に意義深い関係を築く必要があるのだ。さらに、前にも書いたが、日本語ではYesもNoも「はい」なのである。Noの時は歯の間に空気を吸い上げるという違いがあるが。

「取引」終了。そして記者会見まで。

 視覚効果を製作するスタジオ、デジタル・ドメインは、日本で最も古い映画の製作、配給から映画館の経営までを行う松竹との、国をまたいだ共同製作をすることになりました。

 それぞれの会社は、壮大なラブストーリー「千羽鶴」を製作する上でパートナーとなり、松竹は25億円近い映画の制作費を出資して、日本での配給権を手にしました。

 「千羽鶴」はデジタルドメインの最高経営責任者であるスコットロスが数年もの間情熱を傾けて作成した物語で、25億円の製作資金を得ることができました。あと125億円の制作費が必要です。

 以上のプレス向け資料が発表されたすぐ後、まったく残念なことに松竹は会社の財政状態に問題があることが判明、役員クラスの人達の多くがいなくなった。結果として、新しい経営者達はこの取引を中止することに決めたのだ。

 東京にいる間、自分の拠点の周りで非常にお金持ちの個人を訪問した。日本で最も大きなケーブルテレビ「WOWOW」の所有者である。この紳士は実際「千羽鶴」に感動した。そして彼と彼の会社が、制作費150億円のすべてをまかなう約束をしてくれた。ある条件をつけて。私は嬉しくなった。通訳がその条件を訳すのを待った。どうやらスティーブン・スピルバーグが監督するという約束を取り付けてくれば、その場合に限って、彼は150億円のお金を映画の製作用資金口座に送ってくれるという。私は空しくなった。スピルバーグが契約してくれるのなら、彼のお金は必要ないことを説明しようとした。私たちは、形だけの写真を撮った。彼と手を取り合ってニッコリしているものの、写真のすぐ後で大きなお辞儀をして彼とは「サヨナラ」した。

 ここまでで、読者の皆さんは私がこのプロジェクトを立ち上げるのにずいぶんと入れこんでいたことに気づくだろう。「千羽鶴」に私は情熱を傾けた。「千羽鶴」を大きなスクリーンで見るために努力し続けた。私のライフワークになり、いろんな面で私の残りの人生を決定づけることになったのである。

 引き続き、日本で資金を提供してくれる会社を探し続けた。フジテレビ、東宝、セガ、任天堂。みんな興味をもってくれたものの、歯の間に空気を吸い込みながら「はい」と言うだけだった。日本人の友達と奥深い会話をするうちに私は理解し始めた。日本はまだ第二次大戦での敗戦を広島と長崎の原子爆弾とともに受け入れる時期になっていないのだ。ドイツとは異なり、日本では第二次大戦が語られることは稀だ。いろんな意味で唯一負けた戦争を苦々しく思っている。そしてある意味で、経済による世界支配はその復讐だったのだと。

ニューヨークシティに戻った。Jeremy Levenと彼の二人の「アシスタント」たちが脚本の書き直しに忙しくしているはずだった。すでに書いたことだが、DDはオフィス代とLevenの直下で働く従業員にお金を支払っていた。Levenを選んだのは彼の過去の作品が良かったからだけでなく、彼が他の有名な脚本家と違って、実際にお金が支払われた脚本を自分で書いていたからである。読者の皆さんには「え?」と思った方もいるかもしれない。しかし、若い脚本家たちを雇って、その有名な脚本家の監視下で脚本が書かれている場合もあるのだ。

 Levenと仕事ができるのは実にエキサイティングなことだったから、彼のバージョンの脚本を読むのが楽しみだった。脚本には(私を含めないで)すでに4人が関わっていた。私はLevenのアシスタントのうち一人と親しくなった。私が直接雇ったからである。毎日のようにLevenのニューヨークの事務所にいる彼女に連絡をとった。2、3ヶ月たってもLevenから何も送られてこなかった。心配になってきた。Levenのアシスタントに話をすると、Levenは別のプロジェクトの仕事もしているという嫌な情報を耳にした。これじゃ話が違った。結局、Levenをクビにした。Levenは怒って訴えると脅して来た。この時点で、もう懲り懲りだった。彼は脚本家協会に掛け合って、「千羽鶴」に様々な問題が起きるようにしむけてやると言っていた。私はLevenの作ったものは一切使うつもりはなかった。

 何年もかけた。途方もない努力を重ねた。私はついに「千羽鶴」をあきらめることにした。本当に残念だったが、ここに来て私にはなすすべがなかった。George W Bushがホワイトハウスに居すわり、映画をコントロールするメジャーな製作会社のうち二つは極点に保守的である。一般市民が製作する地域に原子爆弾を落としたアメリカの話を映画化するのは、こんな状況では不可能に思えた。一方で、脚本に問題があったのかもしれなかった。もっとも、シナリオを読んでくれた人のみんなから好意的なリアクションを得ることができたのだが。

 8年もの間、ツヅキさんの1.5億ものお金を、恒久の平和を願う映画を製作する夢を追うことに費やした。1945年8月6日から60年の歳月が流れた。時代は変わり(イランを除く)9か国が核兵器を所有している。現代の戦争兵器は、広島に落とされた爆弾の千倍もの破壊力を持っているのである。

そして私は今も毎年、鶴を折り続けているのである。

あとがき

私がデジタルドメインを2006年に売却した時、新しい所有者であるWyndcrest Holdingsのトップでデジタルドメインの新しい最高経営責任者になったJohn Texterは「千羽鶴」を私に返してくれなかった。今日でも、デジタルドメインの書庫のどこかにファイルがほこりにまみれて眠っているのだ。ある日、もしかすると、デジタル・ドメインがこの重要な映画を製作するか、あるいは私に返してくれるかもしれない。それが実現するのなら、私は千羽鶴を折り続けたい。

(この翻訳シリーズは今回でおしまいです。)

最近の氏の動向については、Dr. スコットロスのツイッター http://twitter.com/drscottross
オリジナルブログ http://scottaross.com をどうぞ。

タイトル画像は2012年10月13日におこなわれたVESサミット http://www.fxguide.com/featured/ves-summit-2012/ における、スコット・ロス氏のお姿です。

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