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Dr Scott Ross: どうやって映画産業で1億円を稼ぐか? 第3部 100億円から始めよう! (翻訳その7)

This is a Japanese translation of Dr. Scott Ross's blog. Please check out the original article to verify the translation. (この記事はスコット・ロス氏の2012年に書かれたブログの翻訳です。翻訳の正確さは保証致しかねますが、日本人にとっても興味深い内容で非常に面白い読み物だと思います。)

 何人からの友達から聞いたところによると、みんなに知られているのだろうが、ブラッド・ピットには超能力者がそばについている。彼は彼の超能力と相談して、彼がプロジェクトに関わるかどうかについて、すべて判断を下すのだと言う。自分はニューヨーカーでバラエティ番組にはまったく興味が無い人間であると断っておくが、その超能力者と会う約束をとりつけた。50代ぐらいの奇麗なペルシャ系の女性が、良く整えられた身なりで気さくにドアをあけて対応してくれた。彼女はWilshire地区の真ん中らへにある、何の変哲のない2部屋ベッドがあるアパートに住み、装飾品が至るところに飾られていた。彼女は会話をテープに録音していた。彼女の「千羽鶴」のすべてを話してみたが、彼女に自分がここに来た目的を悟られたくなかった。私には彼女のクライアントに脚本を渡したいという目的があった。セッションの最後に、私は彼女に150ドルを渡して部屋を出た。ブラッドピットはその役にぴったりだと思うんだ、という言葉を残して。

彼女はお礼とともに、「ブラッドが電話をかけてきて、その役をやってみたい、と言うところを想像しなさい」と言った。

もちろん、そうした。何か月間も。しかしブラッドは私の想像からは何のバイブも感じなかったらしい。

 「千羽鶴」の実現に協力してくれそうな映画スターは他に二人いた。役柄に完璧にふさわしいとは言いがたかったが、トム・クルーズとジョージ・クルーニーである。ジョージは辞退した。彼の取り巻きによると、映画"THE GOOD GERMAN"の後にまた第2次大戦の映画はやりたくないのだと言う。トムも辞退した。何年間もトム・クルーズの製作パートナーである、Paula Weinsteinと話そうとした。彼女に電話をかけ、脚本を送ってみたものの、何の返答もなかった。さらに電話を変え続けた。そして言われたのが、彼らはとてもそれを気に入ったが、すでに日本を題材映画をやっているところなんだ。「ラスト・サムライ」である。

 視覚効果を制作するプロダクションは見た目はとてもかっこいい。

 私はだんだん後ろ向きになっていった。もしかしたら私が思うほどいい脚本ではないのかもしれない。ひょっとすると私が脚本を送った巨匠たちは読んでもいないのかもしない。あるいはもっと視覚的に訴えるものを入れるために脚本を練り上げる必要があるのかもしれない。脚本に付随するビジュアルを製作するために、私は才能のある若いレバノン人のアーティストを雇い、キーとなるシーンにイラストをつけることにした。私はチームの一員として2、3ヶ月働き、3ヶ月後には美しいプレゼンテーション用の素材を完成させた。

 それと時を同じくして、いくつか他のプロジェクトの開発も行っていた。そのうちの一つが超能力スリラーの「INDIGO」である。主役は20代ぐらいの女性を考えていた。その頃「LOST IN TRANSLATION」で銀幕デビューを飾った、スカーレットヨハンソンがぴったりだと思った。彼女のマネージャーに連絡してみた。マネージャはとても興味深いことに、私が生まれ育った地のそばクイーンズの出身であるだけでなく、彼女の母親でもあり、私と同い年だったのである!私たちはDD(デジタル・ドメイン)でミーティングし、すぐに意気投合した。60年代後半、私たちは同じ場所で遊んでいたらしかった。同じ音楽を聴き、映画についての感性や好みも同じらしかった。「千羽鶴」を読んでもらうと、それを大そう気に入ってくれたが、彼女が脚本を変えたいと思う箇所に注釈をつけてくれた。

 ところで、脚本を読んでくれた人はみんな、彼らはプロの文学者であれ、ゴミ収集作業員であれ、心理学者であり、皿洗いであり、みんなが注釈をつけてくれた。みんなが、そう文字通りみんなが、プロフェッショナルとして揃って同じことをするビジネスは、これぐらいしか知らない。これが医療の分野だったらどんなだろうか。

「ドクター、本当に患者の頭蓋骨を切り出すのですか?」皿洗いが執刀医に尋ねた。

ゴミ収集作業員もつけ加える。「感染している部分から血を抜き出すためにヒルを使うべきではないでしょうか。」

スカーレットの母親は私を個人的なディナーに招待してくれた。スカーレットの「LOST IN TRANSLATION」BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)受賞を祝うためである。それは彼女の自宅で催された。その当時私たちは離婚間際であったが、妻を連れて出かけることにした。その晩、30人ぐらいの人がそこにいたが、みんながみんな、世界的に有名な俳優、女優、プロデューサ、そして監督であった。メグ・ライアン、ベン・キングズレー、ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、ウィノナ・ライダー、といった面々である。実際、みんながとにかく有名人だった。私とその連れを除けば。VFXオタクの私にしてみれば、実に刺激的な夜だった。

 次の日、スカーレットのエージェントであるWilliam Morrisから電話があった。興奮した。彼が言うには、スカーレットの母親をパートナーで「千羽鶴」のプロデューサとして迎え入れるべきだと言った。なぜなら、結局私はメジャーリードでプレーするのだから、彼のようなメジャーなエージェントの助けが必要なのだ、と。私は飛び上がって喜んだ。「これで千羽鶴は軌道に戻ったぞ」と自分で思った。

スカーレットの母親が新しい脚本家たちを連れてミーティングの場を設けた。彼らの多くは非常に著名で、そのうちの何人かはWilliam Morrisがエージェントをしていた。スカーレットの母親はまた別のプロデューサをテーブルに連れて来た。エージェントのWilliam Morrisの妻であり、ハリウッドの中でも最も影響力のある人の娘でもあった。彼らの全員と知り合ったことで、とうとう、大勢の観客の歓声をバックにヤンキースタジアムでプレーできるのである。私たちは、脚本家達と話し合いを持つことで、最終的にはJeremy Leven("THE LEGEND OF BAGGAR VANCE", "THE NOTEBOOK", "DON JUAN DEMARCO")に落ち着いた。熟年した脚本家であり、1度監督も経験したことがあり、ギャラも高かった。話はまとまり、私は彼と彼の妻を日本に連れ出した。彼は彼の住んでいるニューヨークに事務所が欲しいと言い出した。彼は自分の住んでいるアパートにある作業場に、調査員と助手も必要だった。すべては手配され、私たちは新しい脚本家を手に入れたのだ!

スカーレットの母親と私たちは実にうまがあった。私たちは他のプロジェクトも始めて、カンヌ映画祭にも出席した。「千羽鶴」の海外配給についてのミーティングもした。カールトンホテルの一階にある窓の無い小さな部屋に宿泊した。部屋のお値段は「un bras et une jambe(片腕と片脚)」ぐらいだそうだ。しかし母親はスターのマネージャであり、ソニーピクチャーズのはからいで6階のスイートルームに宿泊していた。さらにソニーは車と運転手、さらにはカンヌのすべてのパーティとプレミアのチケットまで手配したのだった。最高だね!スカーレットの母親と私はCroisetteを腕を組んで歩いた。まったくフランス人みたいだったよ。素敵なレストランで夕食をとった私たちは、大量のシャンペンを飲みながら詩人ランボーについて語りあった。

 ある晩遅くのことだった。スイートに宿泊している彼女から電話があった。明日のミーティングについて話がしたいという。呼び鈴を鳴らすと、ドアを開けた彼女の中には、下心のようなものがあるのが分かった...! 私は慌てて出て行こうとした。「今ちょうど妻と泥沼の離婚の真っ最中で、彼女の心の中にあるものよりも、ビジネス上の関係の方が重要なんだ」と説明した。

 1週間がたち、LAに戻った私はひどい電話をあるエージェントからもらった。彼の妻に関してとんでもない誤解があったようだ。女性を軽蔑するような、彼を怒らせるようなことは何もなかったと説明した。彼にフルーツのかごを送った。すべては忘れられたのだ。

嗚呼、ハリウッド!(続く)

(※) タイトル画像は映画「LOST IN TRANSLATION」の一場面です。

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