青の終わりを知れ

 お風呂の入り方が違ったの。私は確かに彼女に育てられて、彼女の価値観に依って生きてきたのに、お風呂の入り方が全く違っていたのです。私は彼女にお風呂の入り方を教わって、一緒に入っていた時代も当然あったというのに。

 進学をしました。なぜなら私はそれなりに勉強ができたし、親元を離れたかったからです。それに離れるべきだとも思っていました。私の母親は明るくて快活で善い人間。でも私とはちょっと相性が悪かった。

 彼女は日々を朗らかに過ごすことに重きを置いていて、対して私は日々はでろでろだったとしても成果さえ上げれば良いと思っている人間。私が重きを置くのは直感と知性で、つまりは勉強さえできれば他が少々難ありでもよろしいでしょう、と。そうでなくちゃ自分が保てないという面もありますが、それはまた別のお話。

 だからそうでない、というか真逆の判断基準を持った母親とは相性が悪かった。私も彼女も頑固なところがよく似ている点というのが悪い方に作用したとも言えましょう。

 進学をしたのです。私の故郷は大学なんて存在しない田舎で、進学イコール一人暮らしという意味を生む場所です。そして私は実家を出ました。私と母親は相性が悪いだけで仲が悪いわけではないので、母親は時々私の部屋へとやって来ました。

 そこです。そこなのです。部屋へ来て泊まるということは、お風呂に入るということ。私の部屋のお風呂は風呂釜と洗面台が一体になったカタチのものです。正式名称があった気がしますが、忘れました。

 それはともかくとして私はこのお風呂をユニットバスとほぼ同じものとして捉えました。つまり、湯を溜めてない風呂釜の中で身体を洗うものだと思ったのです。だから湯船に浸かりたいときは ①お湯を溜める ②浸かる ③温かいお湯を堪能する ④お湯を流す ⑤全身を洗う ⑥上がる だと。それが面倒なので普段はお湯は張らず、シャワーですませていますが。

 しかし母親は違いました。風呂釜と洗面台が一体になっているということは風呂釜の隣には、何やら空間が存在するわけです。私はそれを洗面台の床だと思っていました。反して彼女は浴室の一部だと思っていたのです。驚きました。私が積極的に濡らす箇所ではないと思っていた箇所で彼女は身体を洗っていたのですから。

 それを知ったとき、私は本当に膝から崩れ落ちました。ええ。ええ。本当に。実際に。

「嘘でしょう!」

  お恥ずかしいことではありますが、そう言って酷く喚きました。疑問にさえ思っていなかったところで齟齬があったから。

 確かに私の浴室の捉え方なら、場所に無駄が多すぎます。一人暮らしの狭い部屋としてはおかしいのです。調べたことはありませんし、何が正解かなんて知りたくもありませんが、彼女が合理的なのでしょう。でも私は混乱しました。こんなに濡れる筈のないところが濡れていたから。完全に想定外。あわわ。そんな気色の悪い声が漏れる始末です。

 私は私の思春期の終わりを明確に知っている。

 これ。この時点で私の思春期は終わりました。終わったと完璧に自覚がありました。そんなことで。と思われるかもしれませんが、こんなことで、です。

 お風呂のの入り方が違ったからというわけでなくて、彼女に育てられてきたのにこんなところに違いがあるなんて。というお話。

 私に彼女以外の価値観が近くにあったことはありません。だって私は母子家庭ですもの。父親の記憶はさっぱりありませんし、私の人生に父親が必要だと思ったことは一切ないのです。さっぱり。そんなもの必要ないと思うほど、彼女主導の母子家庭は明るいものだったのです。そりゃあ経済的には楽とは言えないものですけれど、もし父親が酷い人間だったのならばと考えたら、いないほうがよほどマシです。もちろん私にとってはという話ですので、弟妹はどうかは知りませんが。

 私と母親は本当に似ていると思っていたのです。いえ、顔も声もだいぶ似ているのですが……。もっと、ありとあらゆる箇所が同じだと思っていました。

 そうです。同じだと思っていたのです。

 だからお風呂の入り方が想定外に違っていたとき、あっ、となりました。彼女と私は違う人間なのだわ。って。

 もちろんそんなこと分かっていました。なんなら母親に対して、あなた私のこと他者だと、別の人間だと理解してないでしょう。と思うくらいには、分かっていました。でも分かっていなかったのです。

 完全に意識の外で他者なのだと、ぽろりと突きつけられました。

 それから、本当に少し楽になったのです。進学で物理的に距離が離れたというのはありますが、どうしてなの? 私の母親でしょう。と感じることが無くなったからです。傲慢な期待が無くなったとも言うべきでしょう。他者に対して不適切な期待を投げていたことに自覚的になりました。

 これが私の思春期の終わりで御座い。

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