愛のもとに立つ在り方
山道を歩いている前の方々に、面白い癖がそれぞれあると気づきました。
歩く途中、折れた枝や枯れ葉を嘆く人と、小さな芽や花に気付いて微笑む人…とても対照的に見えました。私は何故それに目がいったのでしょう?
「どこを見るかはそれぞれ自由であり、習慣になりがちです。
あなたを否定し批判する言葉をぶつける人ではなく、あなたを受容し励ましてくれる方々と会うことです。
そして願わくは、あなた自身がそうであるように努めるのです。
それが愛のもとに立つという意味であり(愛としての)在り方なのです。」
人の欠点や粗(あら)を見つけるのは比較的簡単ですぐできますが、長所や素晴らしいところを見い出すのは見る側の器量も関わるような気がします。
自分を受容してもらってエールを贈られたら、確かに嬉しいですよね。人のどこを見るか意識していきたいです。
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