どうして市場に座布団があるんだ?
チャ・コ・リ🤩
パンプロナから北上するバスが、山中の朝露に冴えた緑の中を通り抜ける。四方八方に牛が放牧されている様子に、まるで絵画の中に入り込んでしまったような感覚に陥る。視界に入る家屋の数よりも牛の数のほうが圧倒的に多い。
フランスと国境を分け合うバスクの大地。バスが傾斜を何度も上がったり下がったりを繰り返し、ようやく、イサベル2世が避暑地に訪れたというサン・セバスティアンの町が見えてくる。
バスク地方の人々は独立気質が強いことで有名で、彼らは21世紀の今でも、その独特の文化・伝統を大切に守り抜き、スペイン語でもフランス語でもないバスク語を公用語としている。スペインとフランスの両国の影響を強く受けながら、この地方独特の文化を作り上げている彼らは、自分たちを「バスク人」だと断言する。
斬新な調理技術や食材を取り入れたヌエバ・コシーナ(新鋭料理)という新たな流れが20世紀に料理業界に生まれて以来、多くの腕利き料理人がこの地から続々と誕生した。バスク料理の質と芸術性の高さは、今や、世界中から注目されるところとなっている。
世界屈指の「美食の町」として各国からの観光客がバスクに訪れるようになった裏には、そうした、世界レベルの超一流料理と平行して、タパスやピンチョスといった庶民派料理がこの四半世紀に一気に飛躍した背景がある。
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ようやくバスは、町の端っこにあるターミナルに到着する。ターミナルのすぐ側にあるマリア・クリスティナ橋から海を仰ぐと、全身が湿気を帯びた潮の匂いに包まれる。どこに降り立ったのかと戸惑うほど美しい装飾を施された美しい橋は、フランスのセーヌ川に架けられたアレクサンドル3世橋を模して造られたものだと聞いた。早く到着したので時間も充分ある。ここから市街地までのんびり歩いていくことにした。
そうだ。先ずは、名物地酒《チャコリ》を試飲してみようと、頃合いの店を探し歩く。
《チャコリ》というのは、微かな発泡性のある白ワインで、アルコール度は9度程度と低く、ビスカヤやゲタリア地域を中心に生産されている。
「チャコリをグラスで!」
朝のアルムエルソには早すぎるのか、人気のないバールのカウンターで威勢良く注文したものの、返事がない。おまけにカマレロには、(誰?客?)という顔つきをするだけ。聞こえてはいるはずなのに、何度、言っても無視。しまいにはこちらもやけくそになって、「チャコリィィィ!!!」と叫ぶ始末。
ようやく口を開いた赤毛のカマレロが私を制する。
「チャ・コ・リッ!!!」
どうやら、無視された原因は、日本人特有のアクセントらしい。言葉の最初の母音にアクセントをつけてしまいがちだが、《チャコリ》の正しい呼び方は最後の「リ」の後ろの母音「i」にアクセントがつく。アルファベットの綴り方も発音も「CH」で始まらず、「TX」という、チャでもシャでもない微妙な発音で始まる。注意して見ると、メニューに書かれている料理の名前も意味不明なものがいくつも並んでいる。
カウンターの隅から出されたラベルのないボトルに入ったチャコリは、自家製ワインなのだろうか。透明に近い薄黄色の微発砲で、味わいは酸味がしっかりとした辛口。アルコール度数は高くはないけれど、正直なところ、このワインだけストレートで飲めるほど好みの味ではなかったと白状する。
なんとか、注がれた一杯を飲み干すと、無視されていたはずのカマレロが、なぜか別の種類のチャコリをもう一杯、ご馳走してくれた。
チャコリのハードルは二杯目もやっぱり高かった。けれど、カマレロのハードルは、一体どこにあるのかすらよく分からないままだった。
バスクの人たちは、心を許すまで時間がかかるけれど、一度、信頼感が生生まれると、たとえ旅人であっても、まるで家族のように扱ってくれるのだと聞いたことがある。
いろいろとカルチャーショック。なかなか手強い場所に流れ着いてしまったと唇の端を噛んだ。
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市民が集まる市場がスーパーマーケットよりも断然好きだ。何しろ、その土地の匂いが至る所に充満していて、入口から入った瞬間に、クジラの胃袋に入り込んだような複雑な空間にグイと引きずり込まれる。食材の匂いだけではない。人々の会話や熱気、波動、交差する色彩。計り知れないほどの情報がゴッチャになって飛び掛かってくる。
厚さ5センチはあるだろう白い物体が数枚、山積みになっている。豚の脂身なのかと、近くまで寄ってみるとどうやら肉ではない。よく見ると、塩漬けにしたバカラオ(鱈)の切り身だった。こいつが白い婚礼用座布団のように何枚も積まれている。
塩漬けのバカラオはメルルーサと並び、スペインでは珍しい食材ではない。その昔、運搬手段が十分でなかった頃、保存の為に塩漬けにされたバカラオがイベリア半島を縦断したのだという話は、アホ・アリエロの話の中でも触れた。
バカラオを塩漬けにして乾燥させるという技法は、既にフェニキア人の間では一般的な保存法であったものを、更に手を加え、精錬させたのがイスラム教徒達だった。以後、レコンキスタによってキリスト教徒の手に渡ったバカラオ。宗教的な規制により肉を食べることを許されない期間にも食することのできる貴重な食材として、スペインの食生活に欠かせないものとなっている。
ここバスク地方には、そのバカラオを使った代表的な料理がいくつもある。《バカラオ・ア・ラ・ビスカイナ》、《プルサルダ》、《バカラオ・アル・ピルピル》といった料理がこれにあたる。
一言でバカラオの塩漬けといっても、塩加減や干し加減の違うものがあるらしく、バカラオ料理の本が出版されるほど料理のバリエーションが多いのだと、市場のおばさんが教えてくれた。
スミにも置けない墨煮の話
バスク料理とスペインのその他の地方の料理との大きな違いは、料理を構成するソースにあると言われている。
通常、料理の素材と調理の仕方で最終的な料理の味が決まるわけだが、バスク料理の場合、ここにソースが加わる。つまり、メインの素材を調理したものにソースの味が加味されて、ようやく一つの料理が完成する。
ソースはメインの材料共に調理する場合もあれば、別々に作って最後に合わせる場合もある。後者の場合、ソースの味次第で、主素材の味ばかりか料理そのものを殺すことになるため、シェフは細心の注意を払うことになる。
代表するソースは4色。
バカラオのビスカヤ風という意味の《バカラオ・ア・ラ・ビスカイナ》は"赤いソース"を特徴とする料理の代表である。ソースの赤い色はおもに赤ピーマンによって表現されているものの、単にパプリカで色づけたものから、トマトや生ハムの出汁をきかせた濃厚なソースにアレンジされたものまで様々。いずれにせよ強烈な朱色が特徴的な赤いソース。
さらに、前途で述べた、親しみのある響きの”ピルピル”。この料理の作り方がまたユニーク。たっぷりのオリーブオイルの中で、にんにく、唐辛子と共にバカラオの入ったカスエラを弱火にかけ、カスエラごとゆっくりとクルクル回す。すると、バカラオから次第にゼラチン質が溶け出してオリープオイルが白濁しはじめ、もったりとしたピルピルソースが誕生する。これが白いソース。
では、その他のソースの色は?というと、パセリをベースにした鮮やかな”緑”。そしてイカ墨の”黒”と続く。
黒いソースの代表的料理であるイカの墨煮《チピロネス・エン・ス・ティンタ》は、この辺りのバールだと、大体どの店にもある。墨なので黒いのは当たり前なのだけど、本当に真っ黒で、お歯黒姿が脳裏によぎる。けれど、食べてみるとイカの味が滲み出たソースが何とも絶品なのだ。
(あぁ、白いご飯が欲しい……)と思わず口から出る。
そんな声が聞こえたのか否か、この料理を注文すると、白いご飯が同じプレートに添えられていることがある。お子様ランチさながら、小さなプリンカップをひっくり返した状態で添えられることもあって思わず童心に帰ってしまう。もちろん、中央に旗なんて立っていないけれど……。
真っ黒のソースと白いご飯を混ぜる。日本の白米のようにフワリとした米ではないが、こうして食べていると、どうしても日本のことを思い出す。
日本に古くから伝わる久米島を中心とする沖縄料理にも、イカ墨を使った料理が存在する。歴史の教科書にも登場するイエズス会のザピエルはナバーラ地方、ロヨラはバスク地方の出身である。
どちらかと言えば、イタリア料理の食材として認識されているイカ墨。実際には、イカ墨料理は大航海時代に、キリスト教と共に日本に伝来したのではないかという説がある。
イカ墨料理に白いご飯。ひょっとすると、当時、日西間で食文化の交流があり、日本の米食文化がここに根付いたのでは!?
スペインとフランスの間で形成されたバスク地方に存在するのかもしれない日本の文化。そう考えるだけで脳味噌がむずがゆくなってしまうのは私だけだろうか。
お歯黒かどうかなんて、もう、そんなことはどうでもよくなってしまった。
さあ、お次はピンチョス。尾骶骨のあたりから、期待がモソモソと背筋を這い上がっていった。
《サン・セバスティアン2 に続く》
さて、いかがでしょうか。
イカ墨料理に限らず、海外から日本に入ってきた料理、日本から海外へ入っていった料理はいくつもあります。
不意に、その昔、旅行中に懐かしい味を思い出したり、あるいは、旅先で急に日本を思い出させるような味に出会ったり。
今回のお題は、そんな、アナタの体験、思い出を語ってください。
お題の回答はいつものように、来週水曜日のSpacesで。
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