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それを回復と呼べというのか|『心的外傷と回復』読後評

 10年近く前に一部を斜め読みしただけのJ.ハーマン『心的外傷と回復』を再び手にとって読み直していましたが、その体験はわたしにとって非常に強い不協和音を伴うことになりました。これほどまでにつらい読書体験というものはかつてなかったかもわかりません。しかし、それについてあるコメントを頂いたことで、不協和音の基になる通奏低音がなんであったのかを知ることができました。同書についてはこれまでも折に触れて言及してきましたが、その決算的な意味も込めて書き記しておこうかと思います。

 本書には回復に関するとても力強い志向性が見られます。それは序文の「つながりを取り戻す」という言辞に集約されています。回復とは個人と世界とを再接続することである、というわけですね。個人と世界とのつながりが一度は健康に形成された場合、単純性PTSDや捕囚など後天性の場合についてわたしから特にコメントできることはありません。彼らの治療と回復はまさしく「つながりを取り戻す」ものになりましょう。彼らのつながりはかつてあったものだからです。しかし、その理路を児童期慢性外傷に敷衍するには「つながりが一度は形成された」という論理的な前提が必要です。わたしが読むところ、ハーマンはその前提を真だと考えているようです。それは彼女の力強い回復への志向性のドライブでもあります。たしかに、実際の治療技法や考え方の多くが実際に役に立つこと、特に児童期外傷被害者の身に起きる不具合の多彩さ、俄かには納得しがたい心理を系統的に解き明かしてみせたことの意義は計り知れないものがありますが、それはつながりがあったとする前提が真であることを意味しません。

 そもそも児童期外傷の起点はどこでしょう。ハーマンはそこを突き詰めて論じてはいませんね。あるいは論じられなかったのかも知れません。米国において精神分析家が男性中心主義的だった故かもしれませんが、彼女は精神分析の財産を正当に摂取できていません。良く言えばプラグマ的、悪く言えばつまみ食いでしょうか。あるいはフェミニズムがマスクしたからかもしれません。投影や祈りであったのかもしれません。
 出生外傷にしろ調和的相互滲透的渾然体にしろ、何しろ精神分析の最も大きな財産の一つは「個人と世界とのつながりは人が産まれた瞬間からすでに始まっている」というを命題を打ち建てたことだとわたしは理解しています(これはわたしが不勉強なだけで精神分析以外の分野でも同様の研究があるかとは思います)。裏を返せば、外傷もまた産まれた瞬間から始まり得るということです。外傷的状況に目をやれば、それが子供が産まれ落ちて何年かしてから唐突に現れるものではない点からも、外傷が任意の時点からではなく産まれた瞬間から始まっていると言い得るはずです。ハーマンは科学性の要請からか米国の凄惨な虐待を基にしたからか、外傷というものを激烈で象徴的なものに限定して取り上げる向きがあります。しかし現場にいるわたし達は、外傷的な原家族関係というものの裾野が法律や科学の定義の外側に広がって、一貫した無関心、情緒的無視、反対に気まぐれで一貫性を欠いた矛盾する反応、発言の意味と声色や態度の整合性の欠如、各種モラルハラスメント、もっと単純に主たる養育者の無力にまで及び、それらもまた子にとって大いに外傷的であると生き延びた人たちから教えてもらってきたではありませんか。それらがある日突然出現するという前提には看過できない陥穽があります。
 そのように外傷的状況を出生直後からあるものと考えた場合、生き延びた慢性外傷患者には、健康に生長した人が持つつながりを一度は獲得したのか、という問いが生まれるはずではありませんか。しかし彼女は、そこにつながりをいわば自明のものとして見出しました。そこに問いを立てませんでした。だから彼女にとって回復は「つながる」ことになったのですよね。そのことがわたしのこころに不協和音として響いていたのです。力もいらない、つながりたいわけでもない、生きていていいのかもわからない、重き荷を負って往くばかりが如き今生の閉じるときを待つばかり、そういう人間に「あなたも私たちのように生きたがるべきだ!」と力強く手招きされるような、ときには手を引かれるような、そういう名状しがたい不快感でした。まあでも本邦でもそういう人のほうが大多数でしょう。つながりを無邪気に信じるか、又はどれだけ共感したつもりでもこころの何処かでつながりの望ましさを信じている、そういう人の方が臨床家においてさえ一般的でしょう。自然状態としての「つながらない」がわからない。そういう結着がつながりというものでもありますから特に悪いことだとは思いません。患者を群れに返す牧羊犬ではありませんから、専門家になるのはおやめになったほうがいいとは思いますが。

 結局、ハーマンが回復とつながりを同じ線の上に位置づけるのはある意味でつながりそれ自身の作用によるものだと、わたしは理解しました。つながりを自明視し、当然にほかの人間もつながりを求め、つながりがあることが望ましいと信じ、つながりに至高の地位を与え、反対に孤独を恐怖することが、つながりの持つ作用です。言葉は悪いですがGleichschaltung、強制同一化ですね。エンクロージャーでもいいでしょう。愛着〈アタッチメント〉と呼び変えてもいい。本質的には一緒です。膨大な刺激の中から知覚を定義し、ほかの解釈を排除する首尾一貫したプロセスを経て、人は共通基盤を手に入れます。共通であることがつながりの土台であり、安心の源泉になります。そこには、快を求め不快を避け、生きることを力強く(かつ自明なものとして)志向する社会通念上の人の姿があります。つながりの土台を得た人はまた、その優しい強制の中に安んじることができます。ハーマンもつながりの持つ安心に患者を引き込もうと腐心したのでしょう。それは「いつか自分たちと同じ気持ちになってもらえる」という、願いのような祈りのようなものかも知れません。

 彼女の考える回復はしかし、つながりを知らない人たちを自分たちと鎖で"つながれる"ことになると、わたしは思います。彼女ほど熱心で聡明な人でさえ、つながりの中で安んじてきた人にはその業の深さがわからないのかと、ひどく落胆したものです。愛されてきた人間の限界をそこに感じました。
 愛されずに生き延びてきた人にとって、愛を知り愛を通じて世界とつながる人たちと同じように振る舞うことは、果たして回復と呼び得るものでしょうか。彼らは最初から愛〈つながり〉を知らない、同じ物質世界をパラレルに、つながりの安らかさを知らないままつながれたかのように、感覚的にわからない人たちのあいだを縫うようにして生きてきた人たちです。その彼らにとってつながりをあるべきものとして強いられることほど苦しいことはないと、わたしは思います。生きていくために不承不承する人間ごっこという苦行を回復だと、仮面に受肉することが回復だと、わたしには呼べません。それは愛されてきた人たちがつながりの中に感じる一抹の煩わしさや安全基地の存在に安んじて反目することとは非線形的に異なります。そもそも生きる原動力が違うのに、どうしてそんなにつながることを求められましょうか。どうしてそんなによくなることに強力な内的原動力を持ち合わせていましょうか。それを回復だと奉じる治療者が虐待、愛着、外傷の専門家として立ち現れることそれ自体が外傷的だとさえ言えます。どれだけ欲しても決して手に入らなかった、あるいは手に入らないことがわかったときの絶望がわかりますか。それらがさも取り返しがつくかのように見せびらかされることの鋭利さがわかりますか。当然つながりたくなるはずだよね、と信じてかかることの業の深さがわかりますか。ああっ!せめて本書の題が『心的外傷と適応(adaptation)』であったなら、このような戯言を延々と書き連ねなくてもよかったのに!

 わたしの中に確固たる代替案があるわけではありません。ですが、ハーマンの言うような世界の中に規定された存在としてではなく、ときに交わりときに離れる世界とパラレルな存在としての回復があり得ることを、わたしは彼らから教えてもらいました。そこではつながりは手段であって目的ではありません。また、愛〈つながり〉のある人間と異なり、抑圧ではなく自由意思で交わったり離れたりできるようですが、愛〈つながり〉のある人と同じになったのではありません。ようです、という微妙な言い方をするのは、わたしにはかろうじて「そうある」ことが認識できる程度だからです。そんな不確かなものを頼りに人の回復の手助けをするものではないと言えばそれはそうです。ですが、ないかもしれないつながりを見出してそれを志向することの害を思うに、わたしはそのようには関われない、そうも思います。気持ちの面で群れに混じりたくてもいいし離れていたくてもいい、その上で行動として群れに混じっても混じらなくてもいい、その人がこころ安らかにあるならどのような形であってもそれを回復だと歓迎したい。それもまた多様性、個別性ではないか、個人を尊重することではないかと、今は思います。



 

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