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ソーシャルワーカーとカウンセリング

ソーシャルワークの教科書を紐解くと、ソーシャルワーカーの仕事としてカウンセリングが挙げられています。また、英米のソーシャルワーカーの文献を渉猟していると、そこにはソーシャルワーカーがカウンセリングをしている記述に遭遇します。英米での実践はともかく、日本においてさえ少なくとも理論的にはソーシャルワーカーの職務の一つとしてカウンセリングが位置づけられているようで、標準的な教科書にもカウンセリングについての言及があります。
 にも関わらず、ソーシャルワーク実践の現場においては「カウンセリングはできない」「カウンセリングではない」「カウンセラーではない」という言辞がまことしやかに流通している現実があります。また、公認心理師資格が設置された際に、少なからぬソーシャルワーカーが現任者すなわち経験者として(!)資格を取得している事実もあります。別に同定した訳ではないのでカウンセリングは出来ないと発言した人と現任者として公認心理師資格を取得した人とが同じとは限りませんが、俯瞰的に見れば整合しない事実のように見えます。以前も同じテーマでnoteを書いたような気がしますが、わたしにとってはこのテーマは未だに判然たる結論を得ていません。

 確かに、ソーシャルワーカーたる三福祉士養成課程において精神分析や認知行動療法、ロジャース式のカウンセリング技法など(限定列挙です)の直接支援の具体的な技術水準を担保することは要件になっていません。その意味で、三福祉士であるというだけで主要な心理資格を有する臨床心理技術者と同じ水準でカウンセリングができると直ちに言うことは難しいでしょう。また、クライエントがカウンセリングという言葉の意味としてこれらを具体的に想定している場合、ソーシャルワーカーが冒頭のように発信することには妥当性があります。筆者もその意味で「カウンセリングします」と言うことはできません。

 しかし、ソーシャルワーカーの臨床実践には、クライエントの心理状態を取り上げること、重要な対人関係についての議論を交わすこと、クライエントの輻輳した状況を整理することを手伝うことが含まれます。そうやってクライエント自身の内的な変化を促進させるような働きかけを行うことはソーシャルワーカーの中核的な職務の一つです。そのすべてをカウンセリングと呼べるとは考えにくいものの、高橋和巳が言うようにカウンセリングが「自分を確認する作業」なのであれば、ソーシャルワーカーの関わりにはカウンセリングの性質を具備したものが含まれているのではないでしょうか。これらの共同作業がカウンセリングに対するクライエントのニーズを部分的にでも充足するのであれば、それを控えめにカウンセリングのようなものくらいには言って差し支えないと思います。少なくとも形だけ整えた構造面接よりよほどカウンセリングらしいとは思います。オフィスに座してクライエントとセッションを重ねる英米本流のソーシャルワーカーが行うのそれとはだいぶ趣を異にしますが、カウンセリングのようなものを提供するカウンセラーのような人ではあり得るわけで、わたしはこの「のようなもの」の方がむしろ性に合っているのかも知れません。

 さて、少なくとも都会の市中にはカウンセリングオフィスが林立している現在、あえてカウンセリングのようなものをソーシャルワーカーが提供する意義は何なのでしょうか。これもまた繰り返し申し上げてきた事ですが、有料実費、予約制、構造面接を特徴としたソフィスティケートされたカウンセリングの対象は非常に限定的なものに留まります。カウンセリングのニーズが持つ多様な性質とバックグラウンドに対して、実際に供給されているカウンセリングの多くは硬直的なものに留まっています。カウンセリングの基本構造がカウンセラーの自由を担保する一方で、対応出来ないニーズが出てくることも避けがたい。ソフィスティケートされたカウンセリングが取りこぼしてきたニーズは確実に存在しています。その点がカウンセリングと「のようなもの」とを分ける決定的なポイントなのだと思います。出来ることをするのか、必要とされていることをするのか。ソーシャルワーカーは後者であるべきだとわたしは信じています。

 もちろん、カウンセリングのニーズが明らかになったとき、カウンセリングを受けられるように援助するというのも有効な手段ですし、そのマッチングもソーシャルワーカーの仕事であり得ます。カウンセリングのようなものをあえて優先的に提供するメリットは大きくありません。支援の質を考慮すれば、カウンセリングを受けることができるクライエントにあえて「のようなもの」を提供することは有害でさえあります。しかし、ニーズを満たすカウンセリングが受けられないとき、あるいはカウンセリングによってはニーズの一部が満たされなかったとき、取りこぼされたニーズが見える場所にいるソーシャルワーカーはどうするべきなのかを考えたとき、次善の支援の一つとしてカウンセリングのようなものがあってもよいのではないでしょうか。

 おしまい

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