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永久に切なく愛おしい記憶 1

本記事は連載予定の小説です。
セミフィクション。実話を元にした創作作品です。




あの日、君が私に飛ばしたウインクから放たれた星のかけら。
今も私の胸に刺さったまま、時折平穏な日々の中にきらりと輝いて見せる。

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大学2年の秋ごろのことだった。
暑く茹だるような日差しと熱気が少しずつ弱まり朝は少し乾燥した空気が通るようになった頃、私の大学生活は、一年目と比べればだいぶ落ち着いて、一緒にいる友達の顔ぶれも定まってきていた。

学校という場所では、適当に割り当て与えられたクラスという枠の中から人間関係を徐々に選定していかなければならない。
それは社会に出ても、作られた組織の中で働くならば同じことと言える。

私がそれに気がついたのは、この頃だった。ずいぶん、時間がかかったけれど。
それまで私は、何も考えずに気付いたら周りにいる人たちと過ごしてきた。私なんかが心配しなくても、一定の集団の中では、誰かしらが必ず中心の核となり、それをとりまく幾つかの小さなグループにまとまっていく。
それはまるでポロポロとした白玉粉に水を少しずつ足しながら捏ねていると、メインの塊と無数の小さな集まりになりながら、形を成していくように。

大学も例外ではなく、入学するとまずは新入生オリエンテーションと称して学年旅行があった。
適当なグループに分けられ、その班で自己紹介をし合い、観光したり、夜には班対抗ゲームをしたりして親睦を深めた。
否応もなく、この与えられた班で、友達のような衣を纏ったなんだか脆いその関係は、中身がスカスカな天ぷらのようなものだった。

私の班にはたしか10人くらいいたと思う。
その中で一番元気で、テンションが上がるとうるさいくらいの女子2人とよく過ごしていた。でもよく考えたら全然私のキャラとは合わなかった。

彼女たちはタバコを吸ってみたり、合コンをしてみたり、毎月どんなネイルにしようか盛り上がっていたり、キャバクラのバイトをしていたり、急にガールズバンドをやってみたり…地味で物静かな私とは全然別の世界で生きているようだった。

行きたくもない大人数の飲み会に参加して、ぼーっとしていて気づいたら隣にヤバい奴がいた、みたいな感じだ。

彼女たちの破天荒な性格や趣味に振り回されるのに段々と疲れていき、レベル別のクラス分けで別々になり、選択式のクラスはなんとなく違うものを選んだりして次第に疎遠になり、もっと落ち着きのある友人へとシフトしていった。

そんな2年目の秋のある日。

もう大学生活には慣れたし、高校の頃抱いていた、大学生活へのキラキラとした憧れも消え失せていた。
同学年の学生の中にはすでにあの学部の誰と誰が付き合っているとかそんな話が溢れていた。

でも、私には関係のない話だ。
私には大学でも彼氏なんてものはできそうにないや、とすでに諦めていた。

そもそも私が在籍するこの外国語学部にいるのは女子ばかりなのだ。他の学部との交流も、総合的な授業で教室が同じになる以外、ほぼない。

私はただ淡々と日々の授業をこなした。良い成績を残しておけば、就職活動でも有利に違いないと思っていたから、授業はかなり真面目に取り組んでいた。

それが功を奏したのか、ある時、第二外国語として履修していた中国語の教授から私に声がかかった。

私の専攻は英語だったけれど、第二外国語として中国語を選択していた。これも就職で需要がありそうだし、有利になりそうだという打算からだった。
だから専攻の英語と同じくらい、いやむしろそれ以上に中国語は真剣に勉強していた。

「おーい、河合。ちょっと、いいか?」

薄暗い教授棟に毎週の課題を提出しに来た私にいつもより嬉しそうな教授がニコニコしながら声をかけた。
中国語学部の原山教授だ。

「え、なんですか?」

原山教授が私が熱心に取り組むのをみて特に気に入ってくれていたことは気づいていたけど、素直じゃない私は敢えてぶっきらぼうに答える。

手招きに導かれるまま、書類が山積みになって壁を覆い尽くしている教授の部屋に入ると、古い印刷物のインクの匂いがもわもわと漂っていた。

「なあ、河合。お前少し中国で勉強してこい。」

原山教授は嬉しそうに言った。

それは半ば強引な言い方で一体何の話をしているのか一瞬分からなかった。何をして来いだって…?

教授の白いヒゲが、窓から入る日差しでキラキラと輝いているのをぼんやりと見つめながらキョトンとしていたが、このままではいけないと我に帰り、こう返すのが精一杯だった。

「…え?あの、どういう意味ですか?」

「お前、前に留学はお金の面で難しいって言ってたろ。ちょっとな、提携の中華文化大学の校長にお願いしてみたんだよ。
中国語学部ではないのにすごく頑張っている学生がいて、二か国語を同等に勉強できるようにしてあげたいんだけど、って言ったら賛同してくれてね。
いろいろ事情を話したら、今回は学費を全額免除してくれるそうだ。
どうだ、いい話だろ?」

教授はどうだこれならもう留学しない理由はないぞ、と言わんばかりの満面の笑みを浮かべながら、その輝く白髪のヒゲたちをゆっくり撫でながら私を見ていた。

突如現れた留学という選択肢。

外国語学部にいたら当然みんな考えることだけれど、私には無理だろうなと思っていた。

お金がなかったのだ。毎月の奨学金とアルバイトで学費を賄っていたから、それ以外にうんとお金のかかる留学なんてものは私には贅沢すぎた。

しかし今回教授と、その提携の中国の大学の学長の好意で学費は特別に免除してもらえるという。

原山教授からは以前から留学を勧められていたがお金がないことを理由にやんわりと断っていたのだった。しかし今回、その言い訳もまんまと潰されてしまった。行かない理由などあるだろうか。 

1ヶ月の短期とはいえ、憧れの留学がもう目の前に広がっていた。

「えっと…行ってみたいんですけど、いいんでしょうか、私で。」

まさか行けると思っていなかった留学。いざ行けるとなると少し戸惑う。うまく現地でやっていけるだろうか。
でも、行かなかったら後悔するに違いない。こんなチャンスはそうそう無い。
私の気持ちはもう決まっていた。

「行ってきなさい。」

教授は目を瞑ったままそれだけはっきりと言うと、事務室に行き留学手配の担当者に私を紹介して、嬉しそうに微笑むと、またあのインク臭い自室に戻って行った。

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あの時の私は少し捻くれていて、素直に嬉しいと喜べなかったし、ありがとうと口にすることができなかった。

あの教授の提案がどれだけありがたいものだったか理解していたけれど、素直にお礼を言えた記憶がない。

今でも時々、原山教授は元気にしているだろうか、と思うことがある。
そしてあの時、素直にありがとうございますと言えなかった私。
それは純度98%のビターチョコレートを頬張った時のように苦い思い出となって、時々私の心で溶け出す。

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それからあっという間に留学手配に関する手続きは進んでいき、バタバタと時が過ぎた。

気がついたら、冬を迎え、年が明けて少し経っていた。2月は毎年長い冬の短い日照に飽き飽きして憂鬱だ。

でもこの年はどことなくまだ春は先だと言うのにワクワクしていた。
無事に下りた留学のためのビザが印刷されたパスポートのページをぼんやりと見つめていた。
夢見た留学がもう来月に迫っていた。

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