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永久に切なく愛おしい記憶 2

本記事は連載予定の小説です。
セミフィクション。実話を元にした創作作品です。

初めての方は1からお読みください。

https://note.com/vitrail/n/nd821503bd351


待ちに待った3月初旬。
ついにこの日が来た。

私は、空港に立っていた。
やたらと高い天井が私の気持ちをも押し上げる。

持ち慣れないスーツケースに引っ張られるようにここまでやって来た。
キャスターがエスカレーターのステップに乗り上げる時のなんとも言えない擦れる音が、都度私にこれから知らない土地に行くのだと煽ってくる。

スーツケースなんて今まで持っていなかったからこのために新しく買ったのだ。
綺麗でピカピカのスーツケースが誇らしげに見える。


今回の留学プログラムには同じ大学の中国語専攻の女の子が2人と男子が1人、私以外にいると聞いていた。
それから、経済学部の男子が1人いるらしい。

私は空港でその女子2人と合流した。
留学に行くと決まってから、彼女たちとは話す機会があった。
彼女たちが受けている中国語の専攻クラスに私も特別に混ぜてもらったりして、分からないところがあると助けてもらった。
とても頼りになる存在なのだ。

待ち合わせ場所に着くと、先に1人待っていた。
学年は同じだけど浪人生をしていたから少し年上の千佳。

———————

背が私よりも少し低い千佳は、落ち着いた性格で一緒にいて疲れなかった。
一見内気でどこか影を感じる、物悲しさを秘めていたけれど、笑うときは思いっきり笑ってくれた千佳。

大学の寮に住んでいた。

一度だけ千佳の部屋に行ったことがある。

初めて行ったその寮は年季の入った建物で、各自の部屋が等間隔に並ぶ廊下にはみんな部屋に置けない荷物を並べていてごった返していた。

中には靴箱の上に炊飯器があったりと、なにやら寮の生活は窮屈そうだなと思いながら、千佳の部屋に入った。

部屋は四畳半くらいの小さなもので、シングルベッドと少しの荷物で埋まっていた。

私はそのベッドに腰掛けながら千佳といろいろな話をした。

「ねえ、千佳には彼氏とか、いるの?」

「…うん、地元にいるから遠距離だけどね。」

「そっかぁ。」

地元がどこだったか聞かなかったのか、忘れてしまったのか、もう分からない。

適度な沈黙を挟みながらする彼女との会話は心地よかった。

————————

「おはよ〜千佳。早いね!」

「おはよ、凛月。パスポートちゃんと持ってきたー?」

ちょっと茶化すように、ニヤニヤしながら私をからかった。

私は一瞬ヒヤッとした。
でもたしかに右ポケットにある。ポケットに突っ込んだままの右手の指先であのパスポートの表紙の感触を確かめていた。
何度も何度も確認して家を出たんだから、あるに違いないのだ。

「もー驚かさないでよ。緊張してるんだから。あ、なっちゃんは?まだかな?」

なっちゃんは同じ学年で歳も同じ。
少しおっちょこちょいでぼんやりとした空気をまとった女の子。
いつも、ニコニコしている。

名前は夏江って言うけど、なっちゃんが彼女の雰囲気にはぴったりだからなっちゃんて呼んでいるんだ。

「うーん、そろそろ来るんじゃないかなぁ。いくらなっちゃんでもさすがに今日は遅れてこないでしょ。」

千佳がそういうと2人でクスクスと笑い合った。

私はフライト情報が一覧で表示されている電光掲示板を見上げた。

大連、大連、大連、、、

上から順に大連を探した。
そう、私たちが留学するのは、中国の北の方、大連という都市だ。
ここは親日の人が多く、私がホームステイする家庭も、お母さんが現地に住む日本人用の学校で中国語を教える先生をしていて、彼女の中学生の息子も日本語を勉強しているということだった。


…あった。10時55分発、予定通り。
ゲートはG。

国際線のチェックインはかなり早く済ませなければならないから、まだ出発まで2時間くらいあったけれど、いよいよ行くんだ、という緊張感がこみあげた。

視線を電光掲示板から落とすと、視界になっちゃんの姿が見えた。

「なっちゃーん!おはよー!遅いよー!」

千佳が手を振りながら言った。
それを聞いて慌てたなっちゃんは大きなスーツケースにふらふらしながら走ってくる。

私と千佳はまた顔を見合わせて笑った。

「おはよぉ、ちかちゃん、りっちゃん。ごめん、お待たせ!」

りっちゃんって言うのは私のこと。
凛月(りつ)だから、りっちゃんていうあだ名をつけてくれた。

「おはよ、なっちゃん。まだ時間あるから大丈夫だよ。ゲートGだって、行こっか。」

私はそう言って、もう一度頭上の電光掲示板に目をやってから、そのままゲートGがあると思われる方へ真っ直ぐに率先して歩き出した。


「ねえ、凛月!そっちじゃなくてこっち、こっち!」

千佳の声がしてハッとした。
声がする方に振り向くと2人がずいぶん遠くにいた。
どうやら私は反対方向に黙々と歩いていたらしい…今度は千佳となっちゃんに私が笑われてしまった。


急いで2人の方に向かおうとスーツケースの向きを変えようとしたけれど、どうにも使い慣れていない私は間違えて持ち手の長さを調節するボタンを押して短くしてしまい、どうしたら戻せるのかわからなくて少し慌てていた。

すると見慣れない誰かの手が私のスーツケースに伸びてきた。

「はい、これで大丈夫。」

落ち着いた優しい声がした。
いとも簡単にスーツケースの持ち手を元に戻してくれた。

そりゃそうか。
持ち手の長さを変えることくらい、簡単でなきゃ使いづらいじゃないか。

そんなツッコミを自分にぶつけながら、その手の主を目でたどっていくと、見知らぬ同じ年くらいの男の子が微笑んでいた。
彼も大きなスーツケースを持っている。

通りすがりにみかねて助けてくれたに違いない。
空港っていろんな人がいて、みんな荷物を持って不慣れにソワソワしているから、いつもより少し誰かを助けたくなったりする、そんな気がする。
トラベラーズハイだな。


「あ…。ありがとうございます!」

ダサいところを見られてしまった照れ隠しに不器用な笑顔を自分の顔に上塗りしてお礼を言った。
それと同時に軽くお辞儀をすると、私は千佳となっちゃんのいる方へ急いで向かった。

ゲートGに着き、チェックインを無事済ませると、すでにフライトの搭乗開始を待つ人でごった返していた。

私たちは空いているソファに腰掛けると、チケットに書いてある席を見せ合った。

「凛月となっちゃん、席はどこ?」

そう言って千佳が私となっちゃんのチケットを覗き込んだ。

「凛月がC33で…なっちゃんはE48かぁ。私はB26だって〜、みんなバラバラだね。」

「そっか、予約別々だもんね。ねぇ、Eって通路側?窓際?」

「え〜、もしかして真ん中の列の真ん中くらいだからどっちでもないんじゃない?」

「まじー!?それはやだな…」

2人がそんな会話をしているのをぼんやり聞きながら、じゃあ私は通路側かなぁ、なんて思っていたけれど、緊張とワクワクの間を行ったり来たりしていた私は、会話もそこそこに一面ガラス張りの搭乗口側の窓から、次々と飛び立つ飛行機を見ていた。

あぁ、私ももうすぐああやって知らない国に行くんだ…。
海外に行くのは初めてじゃないけれど、これが人生で2回目。
しかも初めて行ったのは小学生の時だから、もうずいぶん久しい。

あの時は、出発前にいつも片時も離さず抱っこしていたお気に入りの猫のぬいぐるみをレストランに忘れてきてしまって、出国寸前に気づき母に懇願したけれど、もう戻る時間がないと言われて、泣く泣く諦めたのを今でも覚えている。

そんな苦いのど飴のような思い出を頭で転がしていた。

そこから先どんな会話をして、どう機内で過ごしたのか覚えていないけれど、気がついたら大連の空港に降りていた。

千佳となっちゃんと途中で合流し、入国ゲートを通った。

たくさんの人が列になって、淡々とパスポートにスタンプを押してもらっている。

前に並んでいる人がどうやっているのかをよく観察して、私もスムーズにスタンプをもらおうと見ていたけれど、特段何か言わなければならない様子はなく、ただ黙々と差し出されるパスポートにスタンプが押され続けていたので、大丈夫そうだなとホッとした。

ゲートを抜けると、今回の留学に参加する同じ大学の学生、それに加えて同じ手配会社で来ている高校生数名なども手配会社の担当の人と一緒にすでに集合しているようだった。

その後ろにはホームステイのファミリーのお迎えと思われる様々な年齢の中国人の人たちがこちらを見ていた。

この中に、私が滞在するホストファミリーもいるんだ…と思うと緊張から心臓がギュッとなった。

私たち3人もグループに混じると、ビザの申請などでいろいろとお世話になっている手配会社のおじさんに挨拶をした。

「おはようございまーす!」

「おはようございます。えーと、高田千佳さんと、岸辺夏江さん、それから河合凛月さんだね。これで玲明大学の学生はあとふたり来れば揃うね。」

そう言うと、彼は名簿に何やら書き込んでいた。

「あとふたり…って誰だっけ?」

なっちゃんが呟いた。

「ほら、うちの学科の多田くんと、あとなんか経済学部の…広野って人だったかな。」

しっかり者の千佳はなんでもよく覚えている。

ふーん…知らないなあ。
と思っていると、どうやらその2人も着いたようだ。

「おーい、こっち、こっち!」

手配会社のおじさんは明るい声で2人を呼んだ。

「おはよーございまっす!多田です〜」

少し体格の良い、坊主頭の人がふざけた感じでグループの輪に入ってきた。

この明るめの坊主の人が多田さんね…。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な私は、突如現れた大勢の登場人物を何とか記憶しようと必死だった。

その後に続けて、細身で背丈も私と同じくらいの男子もやって来て、私の横に入ってきた。

「おはようございますー、広野です。」

彼を見た瞬間、私は何か大事なものを忘れているような感覚にとらわれた。
また猫のぬいぐるみを置き忘れて来たのだろうか、いやそんなわけない。

ん…、なんだっけ…?

ほんの3,4時間前の出来事が瞬時にフラッシュバックした。

「あ…。」

私の口からふいに出たその言葉にならない音は彼の注意を引いてしまった。

「あ、さっきはどうも。英語学科の河合さんでしょ?中国語めっちゃできるんだってね。俺は広野。俺も経済学部でアウェーだからよろしくね。」

彼は、出発前の空港で私のスーツケースに手を貸してくれた、あの人だった。

なんだ、私のこと知ってたから助けてくれたのか。
トラベラーズハイじゃなかったんだ。
そんなことを勝手に考えていると、少し笑ってしまった。

「ん?めっちゃできるのとこ、否定しないんだ?さすがだね〜」

彼は笑いながら茶化すように言った。

「あ、いやいや!そんなにできないよ、専攻の人に比べたら全然…。
ていうか私、同じ大学の人だって知らなくて…めっちゃ恥ずかしいじゃん。」

彼はとてもフレンドリーで、私もそれに合わせて自然と話すことができた。

「さて、みなさん、これからそれぞれホストファミリーと家に向かってもらいます。
明日からプレ授業なので、大学の言語学部のC棟に朝8:30に来てください、では、今日は以上ですー!」

手配会社のおじさんがそう言うと、みんながホストファミリーの待つ方へ散らばっていった。

「また明日ね。」

そう言うと広野くんは、私に手を振ってホストファミリーの方へ向かっていった。

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