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ヒプノ終わったメモ

今日ヒプノセッションを受けたので、忘れないうちに色々メモ。

セッションの説明や過去生の詳細を書いていると忘れそうなので、取り急ぎ気づきの部分だけ書いておきます。

私はあなたであり彼である

まず、同じ過去生のシーンに登場する別の人物がそれぞれ全てが過去の自分であると感じるのが不思議であり、面白かった。

例えばです。仮に革命の闘士リーダーのKさんとすると(いきなり中世設定!)、Kさんの仲間で彼を隣でみている存在であるEさんや、はたまたKさんに弾圧&投獄(!!)される王(か領主か)まで、どれもが自分であった、という一見は矛盾を感じる設定。
しかし、よく「潜在意識は主語がない」「一人称二人称の区別がない」、などという話もよく聞くのでそれもなんだか納得なのでした。

正しさを振りかざす暴力

革命の闘士のリーダーKにみる正しさを振りかざして闘う。そこに民衆にとって生命を掛けた尊厳はあるが、同時に暴力は暴力である。正義の名の元に人を殺すことを厭わない。(イメージはフランス革命)そして正義を実行した果てには「成功」や「幸せ」のみがあるわけではない。彼は闘いに勝って英雄となったが、その数年後には孤独に病床で死んでいく。生命は平等で、忖度はしない。

自分の真実を殺す人

Kの隣で彼をみていたEは、民衆のために誇り高き正義心があり、そして同時に人の生命が散っていくその現場に虚しさや違和感がある。人と人が激しくぶつかり合う暴力性や「敵である」というだけで同じ人間の生命を尊厳なく扱う様に恐怖を感じている。しかしその彼が人間として当たり前に感じている内側の感情は彼自身によって無視される。なかったこととして扱われる。そしてそのことに強い痛みを感じている。

ただそうなのである

弾圧投獄された王は冷たく暗くなにもない地下の牢獄で鎖につながれながら、そこに憎しみも後悔もない。ただただ理解できない。自分が一体なんの罪に問われてここにいるのか1ミリも分からず、戸惑っている。彼は彼のやるべきことをやった。それが民衆を苦しめていることなどは一切知らないし苦しめようという意図もない。ただ生まれたその環境で与えられた人生をただただ生きていた。そこに自分の意思はない。”王”という役を全うしただけ。何もない。

いまの私がそのものだった

そして振り返ってみると、セッションを受けながら浮いてくるイメージが正しいのか?勝手な妄想か?思考がつくったことをなぞっているだけなのでは?と自信がなくて、なかなかスムーズに出てこないことが何度もあった。こんなストーリーを口にするのが恥ずかしいと思ったり、これは違うからナシにしようとか。セッションを受ける”私”はいつも自己疑念にまみれていた。感じていることに「いい」「悪い」とジャッジをしてなかったことにする。それはまさにEそのものであったと。

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