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人助けの覚書

今日の出来ごとを書いてみる。

私は用事があって出かけていてある建物から外に出たら、目の前でおっさんが転がっていた。前の車道に車が路上駐車されていて、その傍におっさんが地面に寝ている状態だったのだ。
「ん??」と一瞬我が目を疑った。一見すると車の修理でのために車の下に潜って作業しようとしているのかともみえたよ。

するとその人は首だけ起こしてウネウネと体を捻りながら周囲をみている??私の頭の中のはてなが出尽くしたころ、あ、倒れちゃったのかもしれない助けた方がいいかな?と考え出した。
人間で不思議なもので、そうやって助けようかどうしようか考えながら、身体はその前の瞬間にやろうと思ってたことをちゃんとやってて、私の場合は自転車の鍵を入れてガチャンで解錠してた。

とかやってたら、右側からスーツを着た若い人が走って駆けつけてきた。右手から同じく歩いてきた女性も少し立ち止まって様子を伺ってる。次の瞬間に左手からエプロンをしてリュックをした男性が走ってきた。

そして転がっていたおじさんは男性2人の手を借りてなんとか立ち上がり、車のドアに手をかけていた。2人の救助人と何やら話している。立ち止まっていた女性はいつの間にやら通り過ぎていった。きっともう助けが来たから大丈夫と思ったのだろう。と思って、同時に私も自転車を動かしてその場を去ることにした。

そしてエプロンの男性が駆けてきた左の方に進むと、沢山の園児が2列に並んだままその場で待っている。男性の保育士さんが1名ついている。園児の列はもう一つあって、そちらには女性の保育士さんが2名ついている。その列を通り過ぎたところで、あのエプロンの男性は保育士さんで、彼がおじさんの救助のために列を離れたからここで待機してることが分かった。

ここで、やはり私も助けに入った方が良かったのでは?と思い直す。エプロンの先生がいないからこの子たち待ちぼうけなのかな?先生である彼の代わりに、私が助けていればよかったな。男性2人もいたらもう私の出番はないやって思ってたんだけど。。。

そんな軽い言い訳が頭をめぐりながら、、、
さて、私は誰かがおじさんを助ける必要があったから、やらないといけないと思ったのか?それとも、単に目の前の人を私は助けようと思ったのか??

私のよくあるパターンで、「もう私の役目はないからいいか」「もう私は必要ないよね」とか「もうやることないから手を上げなくていいね」ということがとても多い。あーいつもやってるなって思った。

なんかね、このパターンがあまりにも多すぎて、毎回出番なしで去りながなんとなく後ろ髪を引かれる気持ちがあるんだよね。だったらその気持ちにちゃんと向き合おうと思ったのが今回。じゃあ私はどうしたかったんだっけ?駆けつけてみて、もう出番がなくても、ただ「大丈夫ですか?」と手を差し伸べたいんだ。差し伸べた手がもう不要だったら、「もう大丈夫ですね。」といって去ればいいだけじゃないか。助ける人だって、2人より3人いたらその分余裕が生まれるじゃないか。

ということで、忘れないように刻むとすると
人助けは何人いてもいい、あっと思ったら迷わず動く!

で、後で思ったけど、やっぱり”女性である”ことはこういう時の機動力を低くしている要因ではあるね。今回倒れていたおじさんはわりとガタイのいい人だったので、状況がつかめないと「安全だろうか?」とやはり心のどこかで不安がある。
それと、私が気がついた時にもうおじさんは地面に寝ている状態だったけど、左右から男性2人が走って来ていたってことは、きっと私が見る数秒前にそのおじさんが急に倒れるとか転ぶシーンがあったんだろうな。少し離れた距離でそれを目撃した2人が慌てて駆けつけて来たんだと思う。私は絶妙なタイミングでそのシーンをみていなかったので、だからとっさに動けなかったというのもあるなと。

あと、人が倒れている場合、一分一秒を争う事態であることだってあるんだから、迷ってるヒマがあったらすぐに駆けつけるべし!!!刻む。

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