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ダメな自分をまるごと受け入れる

先週のニュースからの動揺は落ち着きつつある。もうあまり関連する記事は読まなくても大丈夫になった。過去は嘆ききったし、自分の苦しい体験も言語化することで落ち着けたみたい。

どうやったら沼の底から抜け出せるのか

これはずっと考え続けている。実際にいまも毎日がなんだかダルくて眠くて、気がつくと無為な時間を過ごしてしまっている。毎日時間がたっぷりあるように思えるのに、1日の終わりで何もできていないことに愕然とする。「明日こそ」と誓いながら毎晩眠りについて、次の日も同じ誓いを立てる日々を繰り返している。

ちなみに、ガツガツと忙しく仕事をしているような状態でうつ症状が出てしまった場合は(8年前はそうだった)、圧倒的に身体が疲れているはず。まずは身体を休めるだけでも、健全な思考が取り戻せるという実感がある。

だけど、それを超えていよいよ身体が動かないレベルになってしまうと、とにかく毎日が眠い、だるい。これは身体を休めるフェーズを超えていて、動けなくなっているとき。その時は、できるならなんでもいいから身体を動かしてみるのはいいかもしれない。運動でもいいし、無理やり遊びに行くのもいいかもしれない。
それによって少し頭の霧が晴れて少し健全な気持ちになれるけど、注意したいのはそれだけだとすぐに(もしくは時間をおいてから)元に戻っていく可能性がある。

どんな自分でもOKを出す

そうやって気がつくと、この繰り返しのループを抜け出すために「何かをしよう」と外にばかり意識が向いている。

そして今日ふと気がついたのは、「明日こそ取り返そう」と何か不足してしまった過去をどうにか挽回しないとダメだと思いこんでいること。無為に過ごさないで意味あることをして過ごせる日がやってきたら、そのときやっと自分は自分にOKを出せると思っている。だから、それができるまでの自分はダメなやつで、このままでは生きていられないと思っているわけだ。

これは究極の自己否定。これじゃあ苦しいわけだ。がんばれないよ。動けない。ダメな自分はいちゃいけないと思っているんだもん。

そう、いま私に必要なのは、本当に何もできなくて変化できなくてダメダメなままの私をOKと受け入れることだろう。
これはニュアンスが難しいけど、”ダメな私もOK”という単純なものではない。”ダメな私もOK”という言葉には、本当はちゃんとしているけど(いるはずだから)、いまダメになっちゃってる自分でも別にOKだよ、というものではない。
”ダメな私”は本当にダメなのだ。このまま、何も変わらない。これが自分の本当の姿で、それでもそんな自分でOKだ、というほど。決定的にあきらめていまの自分をOKとすること。

ダメな自分を受け入れた先に変容はある

このダメな自分は一生このままかもしれないけど、もしそうだとしてもOKだよ、というほどに自分にOKを出すことができたなら、きっとその先に変容が待っているはずだ。自分を受け入れられれば意識がかわる。その意識から選択していこう。

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