小説【アコースティック・ブルー】Track7: Message In A Bottle#2

 窓口で案内されたフロアに辿り着き「刑事課」の看板を目にすると、とてつもなく大きな事件に巻き込まれてしまったような気がして、セイイチとケンジの二人は心許無い不安に駆られた。
 担当の刑事が来るまで、受付の前のベンチで待つように言われた二人は、まるで借りてきた猫のように大人しく腰かけている。

 時刻は夜の八時を回っていて、一般的な公務員ならとっくに帰宅している時間のはずだが、刑事課受付のカウンター越しからは、沢山の刑事たちが忙しなく働く姿が見えた。
 大体の刑事は険しい表情で、熱心に資料を読み漁ったり、パソコンのモニターを睨み付けているが、中には大声で電話口の相手と何か話している刑事もいて、困惑と呆れが混じった表情で早く受話器を置きたそうにしているのが見てとれる。
 酔っ払いが増えるこの時間は、厄介なもめごとや訳の解らない通報が多いらしい。ロックバンドなどやっていれば、警察の世話になるようないざこざに巻き込まれることも少なくなかった。そのたびにこうして一つ一つ親身になって対応してくれていたのかと思うと頭が下がる思いがした。
 慌ただしい署内のこの空気には特別な緊張を感じる。何度訪れても絶対に慣れないとセイイチは思った。

 セイイチと並んで連絡を待っているケンジも、落ち着かない様子で心配そうに俯いている。警察からの電話が店に入ったことで動揺したケンジはひどく取り乱した。
「ユウコちゃんが警察に連行された」と何度も繰り返すばかりで、なぜそうなったのか電話口の会話を殆ど理解していなかった。
 今は落ち着いているが、ユウコの身を案じるその横顔はいつもの朗らかなケンジの表情からは打って変わって暗く沈んでいた。

「おい、もしかしてセイイチか? ケンジまで」

 廊下の奥から歩いて来た恰幅のいい中年男性が、ベンチに腰かけていた二人に気づいて声をかけた。
 少しパーマがかった白髪交じりの髪は自然に任せるままに無造作にウェーブしていて、最後にクリーニングに出したのは何時なのかと思えるくらいよれよれの安いスーツを着ているので、くたびれたような印象を与える。

「あ、葉加瀬さん。無沙汰してます」

 以前にも何度か世話になったことがある葉加瀬という名の刑事で、普段は人情に厚い人のいい刑事なのだが、怒らせると非常に厳しく容赦がないので、二人にとっては心から恐れる人物でもあった。目じりの下がった温厚そうな表情をしているが、刑事としての本能を宿した両目は眼光鋭い。

「何だお前ら、また何かやらかしたのか?」
「そんなんじゃありませんよ。今日は別の用事です」
「ガっハっハ。わかってるよ。冗談だ。おまらもすっかり大人になったもんだな」

 豪快に笑う葉加瀬の後ろから制服の警官がユウコを伴ってやって来るのが見えて、ケンジが少しホッとした様子で「ユウコちゃん」と呼びかけた。

「なんだ、迎えに来たっておまえらっだったのか?」

 制服警官に促されて、葉加瀬の隣に歩み出たユウコは、何かを必要以上に恐れているような不安げな様子で迎えに来た二人の表情を窺い見ていた。
 少し憔悴し、沈んだ表情のユウコを心配してケンジが「大丈夫?」と声をかけるが、ユウコの視線はケンジの隣に立つセイイチに向けられていて、それに気づいたケンジがセイイチを見ると、今にも怒鳴り散らしかねない形相でユウコを睨みつけているのが解った。

「葉加瀬さん、生活安全課じゃなかったですか?」
「ガキのおもりは後輩に任せたよ。今は窃盗犯係だ」

 セイイチが騒ぎ始める前に空気を変えようと試みるケンジ。
「俺みたいな頑固者じゃ現代の若者にはついていけんよ」と葉加瀬が顔を顰めながら笑うと、俯いたまま佇んでいたユウコの背中を押して「さて、このお嬢さんの処分だが—―」と話を戻した。

「被害届は出さないんだろ? だったら警察の出る幕じゃない。
 なにか誤解があるみたいだからじっくり話し合うと良い」

 そう言われてユウコはほんの少し葉加瀬の横顔を覗き見たが、相変わらず俯いたまま委縮するように肩を竦めた。

「お前っ―― 何考えてんだっ……!」
「待って落ち着いて。まずは話を聞こう」

 セイイチがユウコに詰め寄ろうとするのをケンジが咄嗟に止めに入り、出鼻を挫かれたセイイチは渋々言葉を飲み込んだ。

「何があったんですか?」

 狼狽えていたせいでユウコがなぜこうなったのか理由も解らぬまま、とりあえず警察署へ飛んできたケンジは改めて葉加瀬に質問した。

 葉加瀬の話では店のギターを持ち出したユウコはそのままSeaNorthnoのリペアスタッフに修理を依頼したらしい。しかし、ケンジの店のギターだと気づいたスタッフが早まって警察に通報したようだった。

「前にもお前さんとこの楽器が盗まれたことがあったんだろ?
 通報した兄さんはそのことを覚えてたみたいだぞ」

 ユウコは相変わらず無言のまま俯き、セイイチは不機嫌そうにそんなユウコのことを凝視している。
 重苦しく沈黙するセイイチとユウコの様子に葉加瀬も気づいたらしく、二人を交互に見たあと困惑しながら白髪交じりの頭をワシワシ掻いた。

「長い間スタジオで預かっていたギターだから、お前の店に譲ったことも覚えてたんだそうだ」
「先にうちに連絡してくれればよかったのに……」
「まったくだ。人騒がせな連中だよ、お前ら」
「すみません……」

 苦笑いしながらケンジが葉加瀬に頭を下げるのを見たユウコは、さすがに気が咎めたらしく「あのっ―― 悪いのは私です。すみません……」とようやく重い口を開いた。 ユウコがあまりにも委縮しているので、気の毒にすら感じたケンジは、隣で何か言おうとしたセイイチを睨みつけて牽制した。セイイチは少しムッとしながらも口を噤む。

「ちゃんと戻ってきたから別にいいんだけど。
 どうしてギターを持ち出したりしたの?」

 ユウコが気負わないように気を遣いながら、話を聞き出そうとするケンジ。それに応えようとユウコも「あの―― 私っ……」と声を発したが、そのあとの言葉が続かず何かを言おうとしてはやめる動作を繰り返した。
 彼女の口を重くしている何かがあるのは確かだが、それが何かは解らないし言葉を選んでいるようにも見える。ユウコの説明を待とうとケンジは思ったが、隣で焦れていたセイイチが先に我慢の限界を超えてしまったらしい。

「どうしてタスクのギターを盗んだんだ!?」

 業を煮やしたセイイチがフロア中に響き渡るくらいに声を荒げる。

「ご、ごめんなさい!
 盗んだわけじゃないんです…… 私……」

 怯えた子犬のように目を潤ませるユウコの姿を見て、ケンジはセイイチを落ち着かせようと間に入ったが、火がついてしまったセイイチを宥めるのは簡単ではないことも知っていた。すると冷静さを欠いたセイイチに対して葉加瀬が無言で睨みを利かせた。セイイチは思わずギョッとしてすぐさま身を引く。
 眼光だけでセイイチを引き下がらせてしまう葉加瀬の刑事としての威圧感にケンジは今ほど感謝したことは無かった。

「あの……私、どうしても確かめたいことがあって……」

 恐る恐るといった様子でユウコが少しずつ口を開き始める。

 

 

 頭に血が上っているセイイチを相手に本当のことを話して理解してもらえるかと不安を抱きながらも、セイイチを納得させるには真実を話す以外に方法はないとユウコは覚悟を決めた。
 セイイチの圧力に負けないように意を決した真剣な眼差しを向けてユウコが事実を伝える。

「あのmartinは私のギターです。」

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