小説【アコースティック・ブルー】Track2: I still haven't what I'm looking for #4

「オーケー、お疲れKANON」

 ミキシングブースからレコーディングブース内に声をかけるセイイチ。緊張した面持ちでセイイチのチェックを見守っていたKANONにようやく笑顔が浮かんだ。

「今回の新曲はマジで会心っスね!」
「お前が言うと軽く聞こえるな」
「いや、本気ですって。やっぱスゲェっすよ、セイイチさん!」

 KANONの歌録りが終了し、新曲の全貌がほぼ形になった。Kは曲の出来栄えに感嘆しながら自分のことのように喜び、セイイチも我ながら上出来だと頷いて、満足のいく仕上がりを内心で評価していた。
 これからまだミックスダウンの作業が残っている。細かな指示をエンジニアに出さなければいけないため、まだまだ気を抜くことは許されない状況だが、作業がひと段落付いたので一つ肩の荷が下りたような心地だった。

「お疲れ様でした」

 レコーディングブースから出てきたKANONがセイイチに声をかける。

「おう、お疲れ。おかげでいいのが出来そうだよ。
 ありがとな」

 セイイチが手を挙げて応えると、KANONは弾けるような笑顔を見せて、嬉しそうに「ありがとうございます!」と頭を下げた。
 背が高くスリムで、切れ長な二重の大きな瞳にシャープな輪郭のKANONは世間ではクールな女性というイメージが強い。それでもこうして近しい人間にはよく笑顔を見せる愛想のいい女性なので、レコーディングの際にしか顔を合わせない多くの男性スタッフは、そんなKANONの笑顔に骨抜きにされるらしい。
 マネージャーに促されてスタジオを後にするとKANONの立ち去った後の室内には男達のむさ苦しい溜息が聞こえてきそうだった。

「これでCMが決まればKANONさんは来年の顔ですね」
「まだ気が早ぇよ」
「そうですか?松山さんのあの様子じゃ、決まったようなもんじゃないですか」
「だといいけどな」

 CMの話を聞いて以来セイイチは、内野あかりと同じように何も無い荒野でKANONが歌う姿を想像して楽曲のイメージを膨らませてきた。まだ形にはなっていないが、Kの言う通り今回の新曲の完成度の高さは、更なる秀作が書けそうな自信をセイイチに抱かせていた。

「内野あかりもあのCMで時の人になりましたからね。きっとKANONさんも来年は音楽賞総なめですよ!」
「そんな簡単じゃねぇよ」
「そんなことないですって!今回の新曲ならヒット間違いないですよ!」
「楽観的な奴だね」

 興奮するKとは対照的なセイイチだが、言い知れない期待感が胸の奥に燻り始めているのを自覚していた。
 メロディーが出来上がったとき、これはKANONにとって代表曲になるとセイイチは確信し、すぐにレコーディングを開始しようと言い出した。
 KANNONの歌声は男性キーに近い中域辺りにハリがあり、男性のロックボーリストにも引け劣らない力強さがある。そんなKANNONの声を生かすため、疾走感と迫力のあるハードロックを中心に曲作りをしてきたが、女性の歌うロックは下手をすると聞き手を選んでしまうとっつきにくさがあるとセイイチはいつも感じていた。
 今回は挑戦的な試みとして、意識的に爽やかで耳に馴染みやすいキャッチーさを追求してみたのだが、結果的にKANONが本来持っている女性特有の繊細さを上手く引き出すことに成功し、最高の一曲に仕上がったと自負している。

「音楽賞か……」

 賞が欲しくて音楽を志したわけではないが、着実に歩んできた活動が実を結び、評価されるのは素直に嬉しい。
 そういえばMor:c;wara時代にいくつか賞をもらったなと、セイイチは当時のことを思い出そうとしたが、授賞式会場の独特の空気感に終始緊張し通しだったことしか記憶にないと気付いて、乾いた笑いが込み上げた。

 日本レコード協会会員に属する大手レコード会社各社が協賛して開催する年に一度の音楽の祭典。受賞式会場の高級ホテルには沢山の音楽業界関係者の他、マスコミや芸能関係者が来場し、かつて自分達が憧れたロックスターの面々も顔を揃えていた。
 息が詰まりそうな小さな密室のなかで毎日同じ面子と顔を突き合わせて繰り返すレコーディングの日々。
 噎せ返るような熱気の中、煙草やアルコールの匂いが充満するライブハウスでがむしゃらに演奏に明け暮れてきたメンバー達にとっては眩しすぎるくらい華やかな世界が広がっていた。
 タキシードや高価なブランドスーツで身を包んだ来賓達の中、派手な髪型でチャラチャラした出で立ちのMor:c;waraのメンバーは完全に浮いた存在で、ただでさえ緊張しているのに、どこか浮わついた空気と格式ばった貴賓さとが混在する不思議な空間が醸し出す独特の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。
 受賞式のステージでどんなパフォーマンスをしたか、今では思い出すことすら出来ないほどあの時は頭が真っ白だったが、ひどい緊張のせいでKENJIが終止えづいていたことだけは何となく覚えている。
 ほんの数年前のことなのに随分大昔のことみたいだな。とぼんやりしていると、最近は過去のことばかり思い出してはナーバスになっている自分に気が付いて慌てて頭を振った。

 まだ残っている作業に集中しようと、気持ちを切り替えるセイイチ。息抜きのために喫煙所へ向かおうとすると「煙草っスか?」とKも後からついてきた。
 道すがら煙草の箱を探してポケットに手を入れると例のデジタルプレイヤーが指先に触れた。取り出すつもりはなかったが、煙草の箱と一緒に出てきてしまい、セイイチは慌ててポケットの中に戻そうとする。

「別に隠さなくてもいいじゃないスか」

 Kがセイイチの仕草に気づいて窘めると、セイイチは疲れたように「お前の言う通りだよ」と呟いた。

「今こうしていろんな人間が一緒に同じ目標に向かって走ってるっていうのに、俺はずっと過去を引き摺って生きてるんだ。
 二年も前に録音されたデモだけを頼りにどこの誰かもわからない歌い手を探し出そうなんて馬鹿だよな……」

 セイイチにしては珍しい弱気な発言にKが同情したのか「だけど、そのおかげでKANONさんを見いだせたんじゃないですか」とフォローした。
 セイイチは鼻でフッと嗤うと「ああ、皮肉な話じゃねえか。本来の目的は未だ果たせていないままだ」と寂しそうにひび割れた液晶の画面を見つめた。


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