小説【アコースティック・ブルー】Track4: IN THE HOLE #4

 目の前で和気藹々としているケンジとセイイチが本当にあの日目撃した二人なのか疑問すら感じてしまう。セイイチに至ってはMor:c;wara時代の面影をそのまま残していて、現役のバンドマンという雰囲気が滲み出ている。気難しい人物だとよく噂されているセイイチが笑っている姿を見ると、とても人当たりが良さそうな人物に思えた。

 何気なく入った店で奇妙な出会いが重なり、ユウコの中でずっと止まっていた時計の針が動き出したような気がした。タスクのことを想うといつも憂鬱な気分に沈んでしまうのに、ここにいるとそんな後ろ暗い気持ちが沸いてこない。ユウコにとってここは特別な空間だった。

 セイイチの存在に気づいたのはユウコだけではなかった。一部の客がステージの演奏に耳を傾けながらもカウンターに着いたセイイチの方をチラチラと窺っている様子が見えた。しかし当の本人は気にすることなくケンジと楽しそうに話し込んでいて、そんな二人の様子をユウコは微笑ましく眺めながらギタリストのICHIROUはどこにいるんだろう?とそんなことを考えていた。
 そのとき、ふと何か物足りない気がして店の中を見回してみた。何に引っかかったのだろうか?と考えながら何気なくステージに目を向けるとすぐにその正体に気づいた。ギターの音が止まっていた。
 機材にトラブルがあったらしく、ギタリストが手元のスイッチをいじってみたり、シールドを挿し直したりしているが一向に音が出ないので首をかしげている。
 バンドのメンバーもギターの音が鳴らないことに気づき、彼のパートをカバーするようにフィルインなどを増やして穴埋めしているが、さほど慌てた様子もなくそんな対応をしているところを見るとやはりかなり腕の立つベテランらしい。
 改めて店内に目を向けると、ケンジのほかにスタッフが1人いて客の注文や給仕に追われてステージ上でのトラブルには気づいていないようだった。他にスタッフらしい人の姿は見えない。
 カウンターをしきりに気にしていた客達はどうやら、セイイチに興味があるわけではなく、ケンジにそのことを伝えようとしているようだとユウコは気づいた。カウンターまでケンジを呼びに行こうかと考えたが、それよりも先に体が動いていた。

 ギターのシールドが繋がったアンプを見ると電源ランプが点いていないため電気系統のトラブルのように思えた。
 ステージの裏手に回りアンプの裏側を見るとそれは随分古い真空管のアンプシステムで、四本並んだ真空管の1本が酷く曇っていた。
 絶縁のために管内にコーティングされている物質が剥離すると真空管の内部に付着して硝子を曇らせ、故障の原因になる。正常に作動していれば目が眩むほどの強い光を発しているはずなのに、真空管は四本とも沈黙していた。どうやら真空管に通電していないのが原因らしい。
 これをすぐに修理するのは難しいと考えて、他に使える物がないか辺りを見回すと客席からは見えない位置にトランジスタアンプが三台置かれているのを発見した。そのうちの1台に電源を入れるとホワイトノイズが聞こえて問題無く作動しているのが解りステージまで移動させる。シールドをそちらに繋ぎなおして再びギターの音色が鳴り始めたのを確認してから、今までチューブアンプの音を拾っていたマイクを新しいアンプに向けて移動させた。
 大きな混乱もなく対応するユウコの手際の良さを見ていたギタリストが嬉しそうに親指を立てて微笑むとすぐに演奏を再開する。観客達のホッとした笑顔がステージの奥から少しだけ見えてユウコも胸を撫で下ろした。

 一仕事終えてたことで落ち着いて演奏を聞きたくなり、そのまま客席へ戻ると驚いた表情で見つめるケンジの姿があった。

「あ、ありがとう。助かったよ。キミ、なんかやってたの?」

 そう聞かれてユウコは返答に困ったが、先ほどのケンジとの会話を思い出して「昔の彼が……」とはにかんだ笑顔を作って言い繕った。ケンジがなるほどと頷いて納得する。
 カウンターからその様子を眺めているセイイチと一瞬目が合ったような気がしてユウコは急に恥ずかしくなり目を逸らした。偶然にも逸らした視線の先に例のアコースティックギターがあり、これも何かの巡り合わせなのかもしれないと感じて、不意に沸き起こった衝動をそのまま言葉に発する。

「あの…… スタッフってまだ募集してますか?」
「えっ?」

 ケンジは一瞬キョトンとユウコの顔を見つめていたが、発言したユウコ自身が一番驚いていた。
 別の人格が勝手に口を開いたような全く意図していない台詞に急に恥ずかしくなり、ユウコは咄嗟に顔を伏せたが、ケンジはユウコの申し出を理解してすぐにパッと嬉しそうな明るい笑顔を見せた。

「あ、ああ……! もちろんだよ! 機材に詳しい子なら助かるよ!」

 ユウコはケンジのそんな優しい笑顔にホッとして肩の力を抜く。
「よろしくお願いします」と深々と頭を下げるとケンジは「そんなにかしこまらないでよ」と照れ臭そうに頭を掻いた。

「それで君、名前は?」
「ユウコです」

 バンドの演奏が終了し観客の間から拍手が起こる。ユウコは人懐っこい笑顔を向けるケンジの肩越しに、カウンターで一人グラスを傾けているセイイチの姿を見つめていた。



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