秋田の酒蔵

アナザーストーリー:「人と本と旅」編~その②~

そんな体験なんてしないで済むならしないほうがいいと思うこともある。
これが正しいんだと思っていたものがまるで虚構だって気づくこともある。でもそんな体験も全て意味があって、今につながっている。

そんな風に思えれば、今を味わうことも、自分を信じることも、もう少し出来るかもしれない。伊川のcafeにはそんな人たちもまた訪れる。

山下 有希乃さん 46歳 メディア編集会社経営

大企業でずっと広報の仕事をしていた。その後仲間に誘われて転職をした。
しかし、うまくはいかなかった。自分の内側の声を無視して、外からの評
価こそが自分の拠り所だとして生きていた。そんな私が、今、人生の転機
を迎えている。

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“このたび、起業することになりました。小さな小さなメディアではあり
ますが、各地に眠る素晴らしいモノやそれをつくる人にフォーカスをし、
取り上げながら、その人の人生も含めて伝えていきたいと思っています。
そして、私たちのメディアを通じて、本当に素晴らしいモノ、人が、本当
に伝わってほしい人に伝わればと強く思っています。”
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「これでよしっと。」

挨拶状の原稿を書き終わった私は、ホッと一息ついて、スタバのパイクプ
レイスローストの豆で挽いたコーヒーを一口飲んだ。

いつもながら、雅美の入れるコーヒーは、本当に絶品だ。彼女はバリスタ
でもある。昔アルバイトをしていたとあるcaféでバリスタの資格をとろう
と決めたんだと言っていた。

なんでもそのcaféは、外壁は蔦(つた)に覆われ、入口の近くにはオーナー
のこだわりを感じる可愛い手作りポストが置いてあり、10人も入ればいっ
ぱいになってしまうような小さなCaféだと言う。

「私は効率より、一つひとつ丁寧に味わって生きたいと思っている」とい
う雅美の口ぐせ、どうやらそこのオーナーに影響を受けてのものらしい。

そんな雅美がいてくれたからこそ、私は今こうして、本当の自分の人生を
生きようと決意することが出来たんだと思う。

私は外資系企業に勤めていた。広報のマネージャーだった私は、日々仕事
に忙殺されながらも、高い給与と最年少女性役員候補としてのプライドに
やりがいを感じていた。

3年前、入社して1年くらいした頃、夫から「俺たち、もう一緒にいないほ
うがいいんじゃないか?」と言われ離婚をした。正直、そうなるんじゃな
いかっていう予感もあって、意外とあっさり別れてしまった。

でも、自分が思う以上にダメージが大きかった。私は女としての価値がな
いんじゃないか? と自己嫌悪の気持ちが湧くたびに、それを打ち消すかの
ように仕事に打ち込んだ。意地になっていた部分もあると思う。私に対す
る社内での評価は自分の価値を証明するかの様なハードワークと比例する
かのようにどんどん高まっていった。

しかし、心の底では、満たされずに叫んでいる自分がいることに気づいて
いた。気づきながらも、「そんなはずはない」と言いながら、その声をも
っと心の奥底のほうに押しやっていた。

夫と別れてから1年、つまり、今から約1年前、私は雅美に再会をした。久
しぶりに会いたくなって連絡をしようとしたら、なんと彼女から連絡があ
ったのだ。なんというシンクロだ。

彼女は再会の場所に、『人生が変わるCafé~人と本と旅』という場所を指
定してきた。

「ずいぶん大仰な名前ね。」雅美が指定したCaféの名前を聞いて、私は彼
女にそう言った。人生なんてそう簡単に変わるわけない。いや、もしかし
たら簡単に変わるのかもしれない。自分が思ってもみない方に。なんでこ
うなっちゃうんだろう…という理由の見えない後悔とともに。

雅美とは大学時代からの親友で、20代の頃はよく一緒に遊んでいた。私と
は見た目も性格もまるで正反対なのに、なぜか不思議とウマがあった。人
に何か言われるとよく反発していた私も、なぜか彼女の言うことには素直
になれた。

「有希乃、忙しそうね。ちゃんとご飯食べてる?」

あいかわらず、雅美は優しく、そして見た目はとても40代半ばとは思えな
い。どう見ても30代半ばだ。私もそれなりに若く見えるが、私のように張
り詰めた雰囲気がない。その癒し系の雰囲気がまた彼女をより幼く見せて
いるところがある。

私は、雅美の前では、弱さを見せることが出来る。本当に彼女の存在に救
われている。今私が抱えている葛藤、言葉にならない不安感、それから、
周囲の評価とは裏腹の、なんだか虚しい感覚なんかを話した。

「ねえ、有希乃はさ、周りの評価とか、お金とか、地位とか、そういうの
を一切横に置いて、本当にやりたいことは何?って訊かれたらなんて答え
る?」

「どうしたの、雅美?唐突に」

「いいから、教えて。聞いてみたいの。有希乃の本当の声。」

「私の本当の声?」

「そう、本当の声。」

「いや、私は今の仕事は満足してるわよ。確かに葛藤や不安や虚しさみた
いなものは感じるけど、それはまだ、私が更なる高みにいくために・・・」

「有希乃、本当にそうなの?」

雅美は私の言葉を遮るように、言葉を重ねた。雅美がそんな風に返してく
ることは珍しい。

「今の有希乃は、重たい鎧をまとって自分の外側を固めているみたい。自
分を測るものを全て自分の外側につくっているっていうか…たとえば、評
価される自分、憧れられる自分、すごいと言われる自分…とかさ。」

雅美にそう言われて、ハッとした。思えばいつも自分の価値を測るもの、
証明してくれる何かをずっと探していた。ブランドに身を包み、誰もが名
前を知っているような会社にこだわり、まるでファッションかのように結
婚もし、汐留のタワーマンションに住み…とにかく周りがいかに羨望の眼
差しを自分に向けるかに執着していた。

「でもね、本当に望んでいることは外側じゃなくて、あなたの内側にある
はずよ。それは誰かに評価されるものではなく、どう見られるかなんてこ
ともどうでもよくて、それをしていると心の底から満ち足りた感覚を感じ
られるような何かが、きっと内側にあるはず。」

「そんなこと言われても…。」

「ねえ、有希乃覚えている? 25の時に一緒に秋田に行った時のこと。」

もう20年以上になるが、そういえば雅美とはよく旅をした。その一つに秋
田に行ったような気もする。

「あの時にね、有希乃が言ったこと、私今でも覚えているの。いや覚えて
いるというより、それが叶ったら素敵だと思っている私の夢。」

「夢?」

「そう、夢。」

「有希乃はね、あの時に、『日本には世界に誇れるような、本当に偉大で
小さなものづくり、伝統を継ぐ人たちがたくさんいて、その価値を、当人
も自覚しなきゃいけないし、もっともっとたくさんの人に知ってもらいた
い。いや、知ってもらわなきゃいけないんだ』って言ってたの。」

「私ね、実は今、週に1、2回くらい、このCaféでバイトしているの。私
もね、このまま私どうなっていくんだろう?って漠然とした不安と焦りが
あって…。いろいろあって前の会社も1年前にやめちゃって…」

雅美もいろいろ苦労してきたんだ。そういう顔を見せない雅美ではあった
が、うつむき加減の顔に、寂しさや彼女の葛藤がなんとなく映って見えた。

「そんな時、名前に惹かれてこのCaféに寄ったの。そこでここのオーナー
の伊川さんに会ったの。彼はビジョナリーワークデザインというプログラ
ムの個人向けキャリアセッションをしていて、ちょうど私はこのモヤモヤ
を誰かに聴いてもらいたいと思っていたから、1度ライトセッションとい
うのを受けさせてもらったの。」

そう言うと、雅美はコーヒーを一口飲んだ。そのコーヒー豆は、バリスタ
である雅美がセレクトして仕入れたものらしい。

「そしてね、伊川さんが、“自分のこの先の未来を見つけるまででもいい
ので、ここで少し手伝ってみる?“って言ってくれたの。」

「Caféを手伝いはじめてからも、セッションは定期的にやってもらってい
てね。ある時、私がさっき有希乃にしたのと同じ質問を伊川さんからされ
たの。周りの評価とか、お金とか、地位とか、そういうのを一切横に置い
て、本当にやりたいことは何?って。その時に浮かんだのが、有希乃が昔
言っていた一言だったの。」

「ねえ有希乃。あの頃の夢を、私と一緒に形にしてみない?」

あまりの驚きに、私はコーヒーを吹き出しそうになった。

「何、雅美?!とつぜん何を言い出すの?」

雅美の目は真剣だった。

「私は、有希乃も知っていると思うけど、割と文章を書くのは得意だと思
うの。」

「そりゃ、もちろん知っているわ。得意も何も、あなたのライターとして
の腕は一流よ。それは私が保証する。でもあなた、そのライターの道をあ
きらめたじゃない。」

「そう、私ね、仕事でずっと記事を書いている時、何のために書いている
んだろう?ってわからなくなっちゃったの。私は誰のために、何のために
記事を書いているんだろうって。自分の考えと社の方針の違いから、記事
を書くことを苦しく感じることもよくあった。」

「でも、プロのライターとして、求められている方針に従い、どんな分野
の記事も書いていくことは当然といえば当然でしょ。」

「そうなのかもしれないね…。でもね、私はその違和感に耐えられなかっ
たの。会社をやめてからは、ライターとは違う仕事をしようと思っていろ
いろやってみたわ。面白いと感じたこともたくさんあったし、素敵な人た
ちとの出会いでとっても楽しく仕事ができていると感じたこともあった。
でもね、なんかやっぱりモヤモヤしていたの。」

私は真剣な雅美の表情から目をそらすことが出来なかった。

「そんな時、伊川さんからの問いかけに浮かんだのは、有希乃が語ってく
れた夢だったの。私は自分の才能や力を、本当にいいと思うものや人、応
援したい人のために使いたいって思ったの。あの有希乃の夢を、有希乃と
私と一緒に形にすることができたら、どんなに素晴らしいだろうって思っ
たの。」

私の頭の中に、イメージが次々と浮かび広がっていった。日本の美しい里
山、伝統的なモノや行事の数々、小さいながらも素晴らしい企業や人、そ
の人たちの笑顔、佇まい、日常の営みや、ひとつひとつ魂を込めた仕事ぶ
り。まるで小説かのような、映画のワンシーンかのような映像や写真、そ
して、雅美の文章。WEBとリアル、メディアと旅、地域発世界へとつなが
る町の産業、本当に自分を活かせるはたらき方を求めてくる若者が後継者
となっていく姿…etc.

人生が変わる瞬間というのは、実はたくさんあるのかもしれない。小さな
選択ひとつひとつが人生をつくっていると考えるのであれば、それは無数
にあるだろう。しかし、その中でも、ゴトッと音を立てて変わるような瞬
間というのが、人生の中にはいくつかある。

そう。あのCaféでの雅美との会話は、まさにそんな瞬間だった。

「“人生が変わるCafe”とはよく言ったものね。」私は一人呟いた。実は
あのCaféのオーナーの伊川さんは出資者の一人であり、私たちの新会社の
顧問をしてもらっている。

彼の手がける地域活性ブランディングは、その地域の一人一人にVisionを
描いてもらい、内なる想いを思い出させ、“誇り”というものに氣がつか
せてくれる対話が中心だった。それは、まさに私がイメージした展開には
不可欠と感じて顧問をお願いしてみたのだ。

彼は
「君たちがやろうとしていることはVisionary Workerを育み応援するこ
とそのものだから、すごく共感している。」そう言って、私たちのバック
アップを快く引き受けてくれた。

私の人生が、こんな風に展開していくなんて本当に思いもしなかった。確
かに人生なんて簡単に変わる。自分が思ってもみない方向に。しかし、そ
れはいつも悪い方向ばかりではない。心にある夢と、それをわかちあって
くれる仲間がいれば。

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■その①:今井 航さん(33歳/システムエンジニア)

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