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✴️指 導 者✴️こども達の最大限の成長に寄与する。サッカー屋⚽️ビジョントレーナー👁目の学校👀療育☘️Laelaps🐺論語指導士📗子ども食堂🍛フードパントリー🥕アウトリーチ🎁etc

マガジン

  • 『論語とサッカー』

    指導者は、専門的能力と基礎的能力の両方を選手以上に高め続けることで、子ども達に前に指導する者として立つことができます。 ここではサッカーを通した人間形成と指導者自身の自己形成のための基礎的能力の拠り所を論語とし、「目指すべきサッカー指導者像」や「目指すべきサッカープレーヤー像」を記していきます。

最近の記事

今女は画れり

冉求曰わく、子の道を説ばざるに非ず、力足らざればなり、と。子曰く、力足らざる者は中道にして廃す。今女は画れり。 冉求日、非不説子之道。力不足也。子曰、力不足者、中道而廃 (雍也第六) 冉求が「先生の考えに不満で実行しないということではありません。私が力不足なのです」と言ったところ、孔子先生は「力不足の者は、途中でやめてしまう。今お前は自分の力は足りないと限定してしまっているじゃないか」と答えました。 孔門十哲 論語には、孔子と弟子の対話のやりとりが多く記されています。

    • 之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者は、吾之を如何ともする末きのみ

      子曰く、之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者は、吾之を如何ともする未(な)きのみ 子曰、不曰如之何如之何者、吾未如之何也已矣 (衛霊公第十五) これではいけない、このままではいけないと思い、どうしたら良くなるか、改善できるのかを考えない者を、私は導いてやることはできない。 選手としての心構え 心が変われば…の話がありました。 心が変われば、態度が変わる。 態度が変われば、行動が変わる。 行動が変われば、習慣が変わる。 今の自らを変えなくてはだめだと思い、自らもがく

      • 之を知る者は之れを好む者に如かず、之を好む者は之れを楽しむ者に如かず

        子曰く、之を知る者は之れを好む者に如かず、之を好む者は之れを楽しむ者に如かず 子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者 (雍也第六) 理解している人には知識があるが、好きな人には敵わない。 また好きな人は、楽しんでいる人には敵わない。 スポーツの語源 スポーツの語源は「disport」、ラテン語での「deportare」(デポルターレ)というが変化して「sport」となったとあります。 デポルターレとは「運び去る」といった意味で、精神的に「気分を転換する」「日常から離れ

        • 學びて思はざれば則ち罔し、思ひて學ばざれば則ち殆し

          學びて思はざれば則ち罔(くら)し 思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆 (為政第二) 教わるばかりで自分で考えないと知識や情報をたくさん得ても力はつかない。逆に自分で思考するばかりで、人に学ばず知識や情報がくても、考えが偏ってしまう。 習い過ぎていないか 日々子ども達を指導をしている中で、習い過ぎる選手になっていないか心配になる面があります。 学校に行った→勉強をした=成長 グラウンドに行った→練習をした=成長 ではありません。 知識を

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        • 『論語とサッカー』
          9本

        記事

          君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

          子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず 子曰、君子和而不同、小人同而不和 (子路第十三) 優れた教養人は、人と協調するが、むやみな同調はしない。 知識人は、安易に同調するが、うまく協調することができない。 君子と小人 「君子」と「小人」という言葉は、論語の中で何度も出てきます。 よく君子は優れた人、小人はつまらない人や物足りない人などの訳があります。 孔子は弟子を含めた多くの為政者や人々に対して、政事や考え方について教えたり、議論したりしています。 その中に全く

          君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

          人の生くるや直し

          子曰く、之れをしいて生くるや、幸いにして免がるるなり 子曰、人之生也直、罔之生也幸而免 (雍也第六) 人は本来、この世に生かされているのは、真っ正直に生きているからである。もし曲がって生きていられる人がいたとしたら、それは偶然に災難を免れているだけである。 素直という武器 素直という言葉は、ありのままで、飾り気のないさま、性質・態度などが、穏やかでひねくれていないさまを指します。 パナソニックグループ創業者で実業家の松下幸之助氏も、著書の中で素直な心を下記の様に記して

          人の生くるや直し

          過ちて改めざる、是を過ちと謂う

          子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う 子曰、過而不改、是謂過矣 (衛霊公第十五) 孔子がおっしゃいました。人は誰でも過ちをおかす。過ちをなおそうとしないことこそが、本当の過ちです。 サッカーはミスがつきもの サッカーのみならず、スポーツはミスが付きもの。 しかしながら、それが大きく勝敗に関わることになるために、トレーニングからそのミスを犯さない技術や戦術的な再現性を高めていく訳です。 フットボールはミスのゲームだ。 誰であれ最もミスの少ない者が勝利する。 ―ヨハン・

          過ちて改めざる、是を過ちと謂う

          徳は孤ならず、必ず隣あり

          子曰く、徳は孤ならず、必ず隣あり 子曰、徳不孤、必有隣 (里仁第四) 人格の優れている人は、決して独りではない。必ずその人を慕って、その周りに人が集まってくる。 徳こそ「指導者の条件」「良い選手の条件」 徳とは、その人が持つ精神的・道徳的な人格や品性を表します。 孔子は、学而第一にあるように「温、良、恭、倹、譲」 つまり、おだやかさ、素直さ、うやうやしさ、つつましやかさ、謙虚さ備えた人物であったと言われています。 各々が持つ「徳」を日々成長させていくかは、選手・指導者に

          徳は孤ならず、必ず隣あり

          『論語とサッカー』

          私は2002年より生業としてサッカー指導者を行っています。 様々な顔のある中で、この子ども達へのサッカー指導、「サッカー屋」が最もメインとなる自身の顔となる訳です。 それを通して、子ども達にどうなってほしいと願っているのか? 日本代表選手になってほしい。 海外で活躍する選手になってほしい。 Jリーガーになってほしい。 そんな選手が中には表れてほしいという想いはあるものの、そうなくてはならないものではありません。 子ども達がサッカーを通して、向上心・素直さ・思いやり・道徳観

          『論語とサッカー』