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憤せずんば啓かず、悱せざれば発さず

子曰く、憤せずんば啓(ひら)かず。悱(ひ)せざれば発(おこ)さず。
一隅を挙げて、三隅を以て反せずんば、則ち復(ふたた)びせず。

子曰、不憤不啓、不非不発、挙一偶不以三隅反、則不復也、
(述而第七)

孔子先生が言いました。心に求めるものがあってもまだそれがはっきりしない時は、それをこうだと示してやらない。
求めるものがわかっても表現できない時は、それをこうだと引き起こしてやらない。
一部を示してやって、それで全体を掴もうとしない時は、それを二度と教えることをしない。

発奮する情熱

子曰く、憤せずんば啓(ひら)かず。悱(ひ)せざれば発(おこ)さず。
は、「啓発」という言葉の語源ともなっています。

サッカーの中で言えば、
選手達自ら「どうしても教えてほしい」「どうしても知りたい」「どうしても現状を解決したい」といった強い意欲を持たなければ、こちらからそれを伝えない。
選手自身の意欲がどの程度表れているのかによって、指導者も伝え方を変えていく。
ということになるかと思います。

子ども達を伸ばしてやりたいと思っていても、選手自身の意欲や情熱が足らず、変化を与えられていないことを感じ、自分自身の指導に悩み苦しむことがあります。
またそれは近年になって特に感じることです。

心に火を灯す

トレーニングの中で、多種多様なテクニック,個の優位性,グループの優位性、タイミングの優位性,ポジションの優位性などを積み上げたとしても、試合で肝心の闘争心が抜け落ちてしまっていては、それは空虚なものとなります。
トレーニングにおいても、感情なく、憤なく取り組んだところで自分のモノとはなっていきません。
心が燃え、エンジンとなって、自らを突き動かす。
更にそれに対して応援したいと思う周囲の心までを動かすことができる「憤ある選手」であってほしいものです。

念願を貫く

青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
念願は人格を決定す 継続は力なり
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ
ー住岡夜晃(浄土宗の宗教家)著『讃嘆の詩』

これは「継続は力なり」の言葉の由来と言われています。
「念願」を持って取り組んでほしい。

SAMURAI JAPAN日本代表の10番でもある堂安 律選手は、動画の中でこういっています。

「心・技・体」の重要な割合は、メンタル(心)9、技術0.5、体0.5。
しかも、「技術」+「体力」×「メンタル(心)」であって、心が掛け算となり一番重要だと思っている。
ー堂安 律

憤せよ!

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