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作業療法の源流〜作業療法におけるジェーン・アダムズと呼ばれた女性

今回は、ジェーン・アダムズとジュリア・ラスロップから治療としての作業を学び、アドルフ・マイヤーと習慣訓練を行い、前回のトレイシーと共に作業療法を実践し、広めていったエレノア・クラーク・スレイグルについて書いていきます。今回でプラグマティズムと作業療法の関わりを書いていくのは最後になります。最近は作業療法士以外の人に興味を抱いていただくことも増えてきて嬉しいです。ちなみに上の写真の建物は、ハルハウス記念館です。

ハルハウスのアダムズやラスロップとの出会いから治療的作業の習得へ。

スレイグルは作業療法の母として知られ、創設者の中で最も知名度の高いと考えられてます。またアメリカの権威ある作業療法の講義であるエレノア・クラーク・スレイグル講演は、彼女の名前にちなんで名づけられたものです。
スレイグルは、1870年、ニューヨーク州ホバートで生まれ、1894年にロバート・E・スレイグルと結婚し、シカゴに移住しました。

エレノア・クラーク・スレイグル

スレイグルは「強い個性を持った女性で、広い視野と魅力、威厳、そして称賛と尊敬を集める存在感を持っていた」と言われています。シカゴに滞在中、彼女は心身障害者のための社会福祉事業に関心を持つようになり、1908年、38歳の時に、シカゴ大学社会福祉行政学部の前身であるシカゴ市民慈善学校にソーシャルワークの学生として入学しました。
この学校は、セツルメントハウスのシカゴ・コモンズの代表であったグラハム・テイラーが初代学長、ハルハウスのジュリア・ラスロップが初代副学長でした。この学校の設立は、進歩主義的運動の一環として、「教育、訓練、調査、出版を通じて、市民的、慈善的、社会的な仕事の効率化と生活・労働条件の改善を促進する」ことを目的としていました。

この学校で、治療的作業に基づく一連のコースを受講するようになり、ハルハウスの女性たちと密接なつながりを持つようになります。この結びつきから、1909年にニューヨークで行われた夏期講習「病人のための作業」で生徒たちを指導するまでになりました。また公共施設や民間施設の視察は、各教育プログラムの一部でした。1911年、彼女が40歳前後の時、カンスキー州立病院を視察した際、スレイグルは、劣悪な環境と患者にとって有意義な活動の欠如に衝撃を受け、彼女が精神衛生運動による健康改革に関心を持ち始めました。そして、アダムスやラスロップの助言により、ハルハウスで行われている、ジュリア・ラスロップとエミール・G・ハーシュが教える「好奇心を満たす作業とレクリエーション」というコースを受講しました。

このコースは、アーツ・アンド・クラフツ運動の哲学を精神疾患を有するClの治療に応用したものでした。教育方法論は、当時としては非常に斬新で、学生は理論的な読み物を通して学び、臨床経験も積むことができました。また、作業によって筋肉と心がどのように連動するのかを教えようとし、それはゲームや演習を通して学ぶことになっていました。このコースは1908年から教えられていたもので、看護師と病院助手の両方を対象としており、アドルフ・マイヤーが支援していました。スレイグルは、このコースを修了すると、ミシガン州とニューヨーク州のさまざまな病院で働き、重い精神疾患を持つ人々のための介入を行いました。このクラスは、ラスロップや他の指導者の知識を取り入れて作られたもので、作業による治療が行われました。そのため、スレイグルは著作で、ジェーン・アダムスとジュリア・ラスロップはソーシャルワークと治療的作業の使用における重要な人物であり先駆者であったと述べています。

1913年のジュリア・ラスロップとジェーン・アダムズ、
マリー・マクドウェル

習慣訓練の実施と作業療法の教育と精神衛生運動の参加

そして少しずつ治療としての作業に関する教育という彼女の仕事に対する評価は高まり、精神衛生運動の指導者や「治療的職業」について語る著名な人物との接触も増えていきました。その中には、作業療法の創始者の仲間となるダントン、トレーシーが含まれ、友好関係を結び、意見交換を行うようになりました。特にダントンとは、治療的作業を共有するための協会を設立をすることを協力し合う仲になり、全国作業療法協会の設立に繋がっていきます。ダントンは学術的な仕事を担い、スレイグルは、ハルハウスの女性たちとのネットワークを作り、行政へ働きかける役割を担いました(スレイグルは、ハルハウスの女性たちと同じように、社会運動のを重視する人だったからですね)。

またその革新的な介入方法から、スレイグルはボルチモアのジョンズ・ホプキンス病院ヘンリー・フィップス精神科クリニックで、マイヤーが率いる最初の作業療法科を立ち上げることになりました。そしてマイヤーと協力して、作業療法の最初の介入方法である、作業、休息、遊びのバランスを求める習慣の訓練を開発しました(作業バランスは今でも作業療法の重要な概念ですよね)。
スレイグルは、マイヤーとその手法を大幅に改善し、慢性疾患を有するClを「再教育」することを目的とし、「価値のある」生活に必要な新しい習慣を身につけさせ、個別のプログラムの中で有害な習慣を置き換え、これらの習慣を「より良い」もの、または健康に役立つものに置き換えることでした。
この方法は、個人の変化と社会に対する意味の中で、習慣、環境の要求、創造性、経験に関する彼らの理論化から、アダムス、ジェームズ、デューイ、パース、ミードのプラグマティズムの理論的基盤に一部基づいていました。マイヤーはスレイグルを体系化された活動を応用した作業訓練の方法を初めて体系化した人と認め、後に、スレイグルが作業療法のサービスにおけるモデルであったと指摘することになります。

アドルフ・マイヤーは、デューイやジェイムズ、アダムズと
親交があり、精神衛生運動の創始者でした。

1913年、彼女はメリーランド州の精神衛生会議に出席し、そこでハルハウスで知り合ったシカゴ市民慈善学校の学長、グラハム・テイラーと再会しました。スレイグルはテイラーとラスロップに、今後数年のうちに作業療法を学んだ専門家の需要が大幅に増加するとして、両者が教える作業のコースの継続性の重要性を示唆しました。テイラーは精神衛生における作業療法の重要性だけでなく、結核患者の予防や治療に応用できる可能性を見出していました。その結果、1914年、彼はスレイグルをシカゴに招き、市民・慈善学校で作業療法に関する一連の講義を行うことになリました。こうしてスレイグルは、作業療法と精神衛生改革運動の拡大にフルタイムで参加するようになり、精神衛生運動に身を投じるようになリました。
イリノイ州精神衛生協会の支援のもと、スレイグルは慢性疾患を抱える失業者を対象に、作業的なスキルを強化するための地域ワークショップを指導し始めました。当初、ワークショップは、慢性的な精神疾患を持つ人々を対象としていましたが、需要が大幅に増加したため、身体障害など様々な人々にもワークショップが開かれるようになったのでした。

作業療法におけるジェーン・アダムスと呼ばれるように

1915年、フェミニスト運動、プラグマティズム、アダムスの影響を統合して、スレイグルは、ハルハウスに属し、イリノイ精神衛生協会の管轄下で、ジェーン・アダムスの支援を受けて、米国で最初の作業療法の専門学校を設立しました。「作業療法におけるジェーン・アダムス」と呼ばれるようになったのは、彼女の作業療法への多大な貢献があったからだと言われています。

スレイグルの指導のもと、学校のコースには、芸術、工芸、身体的レクリエーションと同時に、医学教育、生理学、心理学、社会学の内容も取り入れられるようになりました。その目的は、心身を病む人々、障害を持つ兵士、学習障害を持つ学齢期の子どもたちと関わることができる学生を育てることにあり、ハルハウスの特殊なスタイルを踏襲したものでした。そして専門家を養成するだけでなく、ワークショップを通じて障害者を支援することにも力を注いでいました。スレイグルは、精神衛生運動や結核運動に携わる男女や、彼らのプロジェクトに資金を提供した慈善家の女性グループとともに、身体リハビリテーション病院や診療所、精神科病院、多くの看護師と提携し、スーザン・トレイシーと協力して作業療法を広げていきました。

そして1917年、ダントンと共に、クリフトンスプリングス(ニューヨーク)で専門家のグループに出会い、ハーバート・ホール、ジョージ・バートン、マイヤーといった作業療法を支持する医師や活動家を迎え、全国作業療法推進協会(NSPOT)を設立しました。設立総会に至る書簡の中で、バートンは、厳選されたグループをビッグ・ファイブ、グレート・ファイブと呼んでおり、その5人とは、バートン、ダントン、スレイグル、ジョンソン、トレイシーでした。そして、スレイグルは初代副会長に任命され(初代会長はバートン)、論文も発表しました。

NSPOT結成時の写真。スレイグルは下の右端。

アダムズから受け継いだ哲学

スレイグルがアダムズから引き継いだのは、(様々な移民を保護し、社会へと統合したことから)Clの多様性を重視し、社会変革、または社会へ再構築をしつつ、再教育により、Clを社会参加を促していくことでした。そのためには作業のバランスを整えたり、悪い習慣を良い習慣へと変えていき、作業を通して問題解決をする能力を養うことでした。
そのためには、専門職とClにも対話と傾聴が重要だと考えました。つまり、社会倫理に関わる観点から、作業療法士が価値判断(先験的に「良い・悪い」の判断)をせず、積極的に聴くことを重要視しました(これは、作業療法のクライエント中心に繋がりそうですね)。

もうひとつの中心的な側面は、労働運動や当時のフェミニスト革命、平和主義運動への支持に表れたラディカルなプラグマティズムでした。多くの作業療法士は、このコンテクストにおいて、アダムスがいかにして大勢の人々を集め、人々の権利のために戦うことができたかを観察しながら、訓練を受け、スレイグルも受け継いでいます。既成の権力構造に抗して社会の現実を変えるアダムスのラディカルなプラグマティズムは、スレイグルが受け継いだ特徴の一つでした。
例えば、スレイグルは、Clが劣悪な環境で生活しているということが、Clの人格の構造を乱すようなタイプの行動を引き起こすと主張しています。そこで、平等と尊敬という患者の権利と尊厳を守るために、Clの社会適応を促進しました。スレイグルとアダムスの両者にとって、実践は社会的平等のために行われ、また、新しい習慣の発展は社会的平等を促進するものであると考えました。またスレイグルは子どもの権利を擁護し,好ましくない診断を受けた子どものCl達が収容される病室の廃止に奮闘しました。彼女はまた、「ハビリテーション」の概念を用いたことでも有名です。

スレイグルは、自身の著作の中で、社会的背景における作業療法の課題について問いかけています。それは、そのClが自分の生活や家事、あるいは「裁縫の分野」に満足しているのだろうかと、ジェンダー的な視点から、使用されている作業が彼女たちにとって最適な作業であるかどうかを考えています。
そして、彼女は病人とは何かを考え続け、病人イコール不幸な人、だとすれば、病院の患者と普通の人とではどう違うのだろうか、彼らが「普通の人」に置き換わったらどうなるのだろう。何か違いがあるのだろうかと考えました。そして、私たちが「普通」と考えるものは何か、現実や既成の構造に疑問を持ち、作業療法がこれらの問題に取り組むことができることを示唆しています。
つまり、ジェンダーや社会的偏見により、その人にとって良い作業に結びつくことができないことを問題視し、作業療法はそのようなことを考え、改善に取り組むことを重要視していたのです。これもアダムズから学んだことだとされています。

エレノア・クラーク・スレイグル
多分上記の写真よりも後年の写真

終わりに

これまでにも書きましたが、ハルハウスは、プラグマティズム、アーツ&クラフツ運動、フェミニズム運動、社会改革運動、作業による教育、精神衛生運動など様々な運動と活動家が合流した場所であり、それぞれの運動の共通点は、治療や介入手段として作業(Occupation)を使うということでした。
作業を使用することとは、その実践と思考のプロセスの中で、他者とコミュニケーション(対話と傾聴)を行い、自身の中で過去の経験と今の経験を統合し、想像力と問題解決能力を身につけることで個人を、そして社会を成長させ、変革することでした。
何度も書きましたが、作業療法とは、産業革命や移民の増加などからの、複合的な社会問題を解決する運動の中から生まれてきたものであり、病人や経済的に貧しい人などの社会的に弱い人たちを守り、社会参加に結びつけることを重視していたのでした。

現在でも病院で、施設で、そして社会の中で、自身が望む作業ができないということがあります。作業療法士自身も、作業に根ざした実践を行うことができず、苦しんでいる人も多いのも現状です。しかし、歴史的に考えれば、作業療法士は、Clや家族が望む生活ができるように、逆境の中であっても、傾聴と対話を通して周囲や社会を変革していくという専門性を受け継ぐ専門職なのかもしれません。作業に根ざした実践を行いたい人は、逆境の中だからこそ、どのように周りに理解を得ていくか?を考えないといけないのは、ある意味、宿命みたいなものなのかもしれません。
だからこそ専門性を高めるためには、専門知識を身につけるのはもちろん、専門性以外の知識を学び、そして様々な立場の人や考えに対する理解を深め、対話をする方法を身につけることなのかもしれません。
そして対立に苦しむとき、専門職としてのアイデンティティに苦しむ時こそ、アダムズやデューイ、そしてスレイグルやトレーシーに想いを馳せ、作業療法の源流に立ち返るといいかもしれませんね。

個人的には、この作業療法の源流を学び直して、自身が、高次脳機能障害、失語症の当事者家族という立場から作業療法士を目指したという経緯があるので、本当に作業の問題を抱えている人のために、少しでも力になれるように仕事をしていきたいなと改めて思いました。

これまで拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
今後も歴史のことも書くかもしれませんが、違うテーマも書いていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。

参考文献

1)Morrison R. Pragmatist Epistemology and Jane Addams: Fundamental Concepts for the Social Paradigm of Occupational Therapy. Occup Ther Int. 2016 Dec;23(4):295-304. doi: 10.1002/oti.1430. Epub 2016 Jun 1. PMID: 27245105.
2)Morrison, R. The contributions of Jane Addams on the development of occupational therapy. History of Science and Technology, 12(2), 2022,262-278.
3)Andersen LT,Reed K:The History of Occupational Therapy: The First Century, Slack Incorporated, 2017.
4) Seigfried, C. H. (1999). Socializing Democracy: Jane Addams and John Dewey. Philosophy of the Social Sciences, 29(2), 207–230.
5)Metaxas VA. Eleanor Clarke Slagle and Susan E. Tracy: personal and professional identity and the development of occupational therapy in Progressive Era America. Nurs Hist Rev. 2000;8:39-70. PMID: 10635685

おまけ

最後なので、作業療法の歴史を学ぶための文献や論文を紹介して終わります。学校の教科書になったりするものもあるので、読んだことがある人も多いかもしれません。

人間作業モデルという作業療法の大理論を作ったキールホフナー最後の著作。前半が歴史になっています。キールホフナーは、修士論文で作業療法の歴史分析を行い、必要となっている作業療法理論はどのようなものか?を明らかにすることで、人間作業モデルの構想を練ったと言われています。とても良い本ですが、プラグマティズムについてはあまり触れられてないですね。ただ持つ価値のある本だと思います。

この本も前半がアメリカの作業療法と日本の作業療法の歴史について書かれています。この本もセツルメント運動やアダムズには触れていますが、プラグマティズムについて触れられてないですね。

この本は古いですが、アドルフ・マイヤーの「作業療法の哲学」という論文があったり、スレイグルのことを取り上げた章に、ラスロップやアダムズのことが書いてあります。ただプラグマティズムへの言及は、習慣訓練のことで、ジェイムズについて少し書いてあります。

作業療法理論の本ですが、作業療法の源流を、道徳療法、アーツ&クラフツ運動、プラグマティズムとしています。元々、作業療法がプラグマティズムやデューイの哲学からアイディアを得ていたというのは、この本で歴史の章を書いた京極先生と、大学院生時代に指導をしてくださった寺岡先生による「らいすた」での作業療法の哲学的基盤という講義で学びました。初めて様々な理論をまず学ぶという意味でもおすすめの1冊です。

洋書ですが、非常に濃い作業療法の歴史の本です。著者が多くの作業療法の歴史の論文を書いているので、それも読むと勉強になります。英語で書いてあってもDeep Lとか使えば読めますよ。根気は必要ですけどね。

唯一、全く読んでいない本です(なら紹介するなと言われるかもしれませんが)。上記の『The History of Occupational Therapy』の著者の1人のAndersemが書いているようです。スレイグルに焦点を当てた本で、いつか読んでみたいなと考えてます。論文だとMorrisonがスレイグルやアダムズについて、論文を書いていて、そちらを読んで触発されて、noteを書いたんですけどね。

作業科学の大学者であり、2000年以降の作業療法に大きな影響を与えたのがオーストラリアのウィルコックです。これはAn Occupational Perspective of Healthの第1版で、The Genesis Of Occupational Therapyの章に、作業療法の歴史やどのような活動に影響を受けて成立したかが詳細に書いてあります。プラグマティズムのことはもちろん、デューイとアダムズの関係なども書いてあります。この本に限らず、日本ではウィルコックの書籍が1冊も翻訳されていないのは、大きな損失だと思います。

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/07380577.2018.1464238

最後は、Creating Occupational Therapy: The Challenges to Defining a Professionという上記の『The History of Occupational Therapy』の著者の1人であるKathryn Reedがどのように作業療法の専門性を作られていったかを論じ論文。興味がある方はぜひ。

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