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あなたのキャリアと経営の邪魔になるもの、それは「べき(Should)」

アメリカで順調なキャリアを積む人、起業したり経営役員になり成功していく人たちに共通点があります。それは「Should」を人に向けて言わないということ。「Should」は日本語で「〜すべき」です。私自身、20歳後半になるころアメリカで働いている間にこの点に気づき、英語でも日本語でも極力「Should・べき」を言わなくなりました。(個人的にはここに気づくのが私は遅かったと感じています)

人は成長していく過程で、物事に多面性があるということに気づきます。しかし、この「べき」を使う人の特徴としてこの多面性があることに気づいていない、または認めていないという点が挙げられます。例えば、学校や仕事で複数人でプロジェクトをしていたとします。その場合、全ての人にそれぞれの考えがありますが、考えを発言する人とそうで無い人がいるのは皆さんも体験しているでしょう。この場面で「〜べきでしょう」という発言を繰り返すメンバーがいれば発言をしない人は、更に発言する気持ちを失っていきます。何故なら、「〜べき」を多用する人を見ていて「どうせ自分の意見には耳を傾けないだろう」と思って発言しなくなるのです。「べき」という言葉は、人を黙らせる力があります。

有名な話で、コップに水が半分入った状態を「半分しか無い」という人と「半分も入っている」という人がいると言われます。世の中の事象というのは、全てにおいてこの例に当てはまります。しかし「べき」を多用する人は、この例では「半分も入っていると思うべき」と自分の意見を他人へ押し付けることになるのです。更にいうと、決まって「べき」を多用する人は社会で孤立している人が多いのも特徴です。それは日本だけでなく、私の住むアメリカでも同じです。管理職トレーニングや、キャリアコーチングでは「べき」の力は強力過ぎるのでできる限り使わないこと。そして、「べき」を他の言葉へ置き換えてみることを教わります。例えば、「このプロジェクトはどうにかして来月末に仕上げるべき」と言う代わりに「このプロジェクトはどうにかして来月に仕上げたいものだね」という感じです。この2つの文章の印象を考えてみてください。前者は自分の意見を押し付けてくる人のイメージが湧きませんか?逆に後者は英語でEncouragement(エンカレッジメント)= 包容するイメージが湧きます。

この少しの違いだけで、その人が周りの人を巻き込んで一緒に物事を進めていく人なのか、そうでない人なのかが判断されてしまうのです。もし「べき」を多用していたら、そういう人は徐々に学校や会社でも孤立していくでしょう。皆さんの周りでも注意深く観察してみてください。

社会の中でも「あの大統領は〜すべき」とか「あの議員は〜すべき」、「あの発表はこうであるべき」という意見をよく耳にしませんか?聞いている側としては、耳障りの良い言葉ではありませんよね。耳障りがよくないということは、その人の意見をあまり聞かず遠ざかる原因になっていきます。

最後にアメリカのキャリア教育でこの「べき」について学ぶもう一つの点をお伝えします。それは、自分の心の中に「べき」という文章が思い浮かんだら、必ず「べき」でない言い方に置き換えてみる訓練をするという教です。こうしていくことで、人の心というのは「べき」を消すことができ、徐々に周りの人を包容し巻き込むリーダー的な存在になっていくと言われています。

日本でもこのべき論が説明されている記事がいくつかありますので、参考までにここにリンクをリストしておきます。

東洋経済: 「べき論」を語る人が孤立しがちな本質的理由
ダイアモンドOnline: なぜ日本人は「べき論」を振りかざして衝突するのか

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