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【so.】荘司 直音[4時間目]

「川部氏、驚嘆いたしましたぞ」

 小ホールから教室へ戻りながら川部氏と並んで歩いている。卓球トーナメントで一躍時の人となったはずの川部氏はしかし極めて冷静であった。

「たぶんさっきのが私の学生生活のピークになると思います」

「そのようなことはありますまい」

「だといいですが…」

 しかしそれ以上川部氏を鼓舞する言葉は見つからずじまいだった。教室へ戻り制服へ着替えると音楽室へ行かなければいけない。川部氏を伴って教室を出ようかと思ったところ着替え終わった橘氏が椅子に座ったままなのに気がついたので声をかけてみた。

「橘氏、音楽室へ行きませう」

「ごめんね、タイラー待ってるんだ」

「左様ですか。では失敬」

 川部氏と二人で音楽室へと歩く。昼も近くなりやっと廊下の寒さも和らいできた様子。階段を上り最上階の音楽室の前まで到着すると丁度栗原氏が靴を脱いで音楽室の下駄箱へ入れているところだった。

「栗原氏、先刻はどうされた?」

「ちょっと気分悪くて、保健室に」

 栗原氏は伏し目がちに答えた。

「川部氏が凄かったのですよ。卓球のトーナメントで優勝したんです」

「へえー、凄い」

「それほどでも…」

「運動部の人たちにも勝ったんでしょ?」

「ええ、まあ」

「凄いじゃない。わたしには出来ないな」

「栗原氏に言われるともうちょっと誇っても良いような気がしてきました」

 川部氏と栗原氏はふふふと笑った。

 皆が着席してチャイムが鳴ったら音楽準備室から葵先生が登場された。けれど岡崎氏の方を向いて黙られている。

「ミス岡崎、余所見は終わりました?」

「バレてた!」

「では先週分けたパートで、オー・ソレ・ミオの練習です」

 やっと授業が始まってまずは先生がお手本として高らかに歌い上げた。そのあいだ余所見を咎められた岡崎氏は悪びれもせずカメラを構えて皆々の顔を撮影している。カメラのレンズがこちらへ向くとなるべく視線を外し顔を背けるようにしてしまうのは単純に撮られたくないからである。
 奇しくも岡崎氏、月山氏、栗原氏と写真部の3名が音楽選択となっているけれど栗原氏としか会話を交わしたことはない。月山氏はなんとなく怖い印象があるけれど勝手に写真を撮ってくるようなことはないのでそれだけでも良い人だと思われる。それに比べて岡崎氏のように奔放な人種とはそもそも合うわけがないのだ。

「じゃあソプラノとアルトは分かれて座ってください」

 平氏埋田氏、岡崎氏とわたしの4名でアルトを構成する。先生がタクトを振って僅か8名のこじんまりとした合唱は行われる。これくらいの人数だとひとりひとりの歌声や動きがよく分かる。クラスもこれくらいの人数で良いし上位カーストの殆どいないこの選択クラスはまだ教室よりも居心地は悪くないように感じられる。カメラのシャッター音を除いては。

「流石にお腹が空きましたねえ」

 授業が終わって廊下の下駄箱で川部氏と上履きを履いている。教室の中にはまだ栗原氏が残っていて窓の外を見つめている。

「栗原氏、行きませぬか?」

「あ、うん、行くね」

「教室に戻って、お昼食べましょう」

 川部氏が提案すると栗原氏はぼそっと言った。

「食べれるかな…」

「あ、体調ですか」

「いや違くて…あ、いや、うん、そう…」

 いまいち要領を得ない返答をする栗原氏と川部氏と3人で階段を降りていると遠くの方から誰かの悲鳴が聞こえてきた。

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