【so.】栗原 信子[4時間目]
「栗原さん、ホットティー飲む?」
どぎまぎしながら歩いていたら、後ろを歩いていた埋田さんに突然声をかけられた。足を止めて振り向いたら、缶の紅茶をひとつ差し出されていた。
「余っちゃったんだ。貰ってくれると助かる」
「ありがとう…」
ホットティーと言うからさぞ熱いんだろうと警戒しながら右手で缶を受け取ると、ぬるかった。そう思うと同時に埋田さんに「冷めてるでしょ」と言われたから、思わず「うん」と言って笑ってしまった。
教室へ戻って、音楽の授業の用意をして、埋田さんと音楽室へ行くことになった。
「栗原さんは、写真部だったよね?」
「あ、うん」
「写真撮るの?」
「あんまり…」
幽霊部員の身としては、あまり写真のことを切り口に話されても面白い話はできなかった。
「こんど見せてよ」
「えっ…と、見せられるものがなくって…」
「いいよ、そのうちで。考えといて」
「わかった」
とりあえず言ってみたものの、悩ましいなと思った。
「わたしね、たまきがいなくなっちゃったら、友だちがいなくなっちゃうんだ」
「え…」
恐る恐る隣を歩く埋田さんに目を向けると、彼女は前を向いて歩いたまま、俯きがちに話していた。
「だからさ、友だちになってくれる?」
「…う」
「高2にもなって、結構恥ずかしいこと言ってない、わたし?」
「あ…ごめん」
彼女なりに頑張って話しかけてくれているらしいと分かると、すごく申し訳ない思いが湧いてきた。わたしも頑張って心を開かなきゃ。
「どうかな?」
「でも…私でいいの?」
「もちろん。たまきの友だちだもんね」
「うん」
ちょうど音楽室のある階まで階段を上りきったところだった。
「悪い、ちょっとトイレ」
「うん」
埋田さんは照れ隠しか、トイレへと行ってしまった。待とうかどうしようか迷ったけど、直ぐ目の前だから音楽室へ入ることにした。音楽室の前の下駄箱に、脱いだ靴を入れていると、荘司さんと川部さんがやって来た。
「栗原氏、先刻はどうされた?」
そういえば3時間目は体育をサボってしまったんだった。
「ちょっと気分悪くて、保健室に」
わたしは得意じゃない嘘をついた。
「川部氏が凄かったのですよ。卓球のトーナメントで優勝したんです」
「へえー、凄い」
卓球? てっきりグラウンドでサッカーをやったんだとばかり思っていた。
「それほどでも…」
恐縮する川部さん。いや、優勝だなんて凄いじゃないか。
「運動部の人たちにも勝ったんでしょ?」
「ええ、まあ」
「凄いじゃない。わたしには出来ないな」
「栗原氏に言われるともうちょっと誇っても良いような気がしてきました」
川部さんと、ふふふと笑った。埋田さんが頑張って話しかけてくれたからだろうか、わたしも普段より、他の人に明るく接することができたように感じた。
授業はいたっていつも通りに、ソプラノとアルトに分かれて歌の練習をした。窓の向こうに見える校舎棟の屋上には、たまきがマロと隠れている。向こうの方が上層階だから、その姿を見ることは出来ない。けれど、ついついそちらの方に視線を向けてしまう。ふと気がついたら、さっきから埋田さんも同じように窓の外をちらちらと見つめていた。
授業が終わって、いよいよ決行するんだなと窓の外から屋上を見上げていると、荘司さんから声をかけられた。
「栗原氏、行きませぬか?」
「あ、うん、行くね」
「教室に戻って、お昼食べましょう」
「食べれるかな…」
川部さんが尋ねてきたけれど、これから起こることを知っていたわたしは、思わず懸念を口走ってしまった。
「あ、体調ですか」
「いや違くて…あ、いや、うん、そう…」
そうか、前の時間をわたしは体調不良で休んだことになっていたからか…でも、変に訂正するよりそう思われていたほうが都合がいいかもしれない。
3人で階段を降りていると、誰かの甲高い悲鳴が遠くで起こった。ついに始まったんだなと思って、少し大きく息を吸った。
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