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【so.】田口 吉美[昼休み]

 渡り廊下へ出たら大勢が固まっていた。みんなの視線の先に何かが落ちていて、それを伊村が確認している。

「人じゃない!」

 伊村の叫びを受けて、委員長もそこへ近づいていった。

「みんな安心して、これは人体模型です」

 事故なのか? 何なのか? いまいちよく分からないけれど、ふつうは人体模型には制服を着せないはずだ。つまり意図的に落としたのだろうと思えて、率直に怒りを覚えた。動き出した騒ぎの輪の中に、4時間目にいなかったのりんの姿を発見したから話しかけた。

「どこ行ってた? サボり?」

 のりんは質問には答えず、真面目くさった表情で尋ねてきた。

「何が起きたわけ?」

「ワタシもいま来たから。人体模型が落ちてきたんでしょ」

 和泉つだまるが人体模型に近づいていって見たりしている。ワタシはあそこへ近づいていくほど物好きじゃない。

「わざと?」

「知らないよ。人体模型って制服着てんの?」

「あー。わざとか」

 それで会話が終わってしまったところで、ジョーが大声を上げながら走ってきた。

「おいっ! 教室に戻れ!」


 そのまま流れでのりんと並んで廊下を歩きながら、これは嫌な流れだなと思って言った。

「これさー、体育館に呼び出されるんじゃね?」

「全校集会?」

「聖オモンパカールじゃん」

 うちの校長は「慮る」が口癖で、何かと慈愛で結論付けるオハナシを、すぐに集会を開いて披露しがちだ。だから校長はいつの間にか聖オモンパカールというあだ名を付けられて、ワタシ達は上の学年から教えられてそれをそのまま受け継いでいる。

「あり得る」


 教室へ戻ったら校内放送が入って、予想通りに体育館へ移動することになった。廊下を歩きながらナオの姿を探したけれど見当たらない。中断が入っただけで、まだ話は終わっちゃいない。逃げ足だけは速いネズミみたいな奴だ。昼休みなのに昼食が食べられない所為の空腹とあいまって、イライラが何乗にも増幅されていた。


 ガチガチに寒い体育館の床の上に座って、何の意味もない校長の話を聞いている。

「先代から引き継いだわたくしなりに、一生懸命、身を粉にして尽くしてきたつもりでありましたが、まだまだ未熟であったようです」

 この場にいるほとんどの生徒の脳内は、きっと弁当かパンのことばっかりじゃないかと思う。一体このクラスで何人がまともに校長の話に耳を傾けているのだろうか。

「まだまだお伝えしたいことはたくさんあるのですが、慈愛の精神で、隣人…隣の席のお友達でも結構です、もう一度、皆さん、お互いのことを知ってください」

 言葉が空回りしているなと思った。今更、クラスメートの何を知る? 中高一貫校だからもう5年は同じメンバーで、力関係だって固定されている。今更越境する必要がどこにある?


 長い長い演説が終わって、パンを買いに行ってもいいのかと思ったら、教室に戻れと委員長がオウムみたいに繰り返している。胃のあたりにはイライラがバチバチと火を放っていて、頭の中ではウンザリ感がズシンとのしかかっている。教室へ向かう行列の沈黙をさっちんが破ると、みんながボソボソと会話を始めた。

「ヨシミさあ、4時間目、山浦っていた?」

 やまちに聞かれて思い返してみたけれど、美術の時間に山浦はいなかった。アイツが今日の事件の犯人だと暗示されているみたいで、笑ってしまった。

「いなかった」

「やっぱり」

 近くを歩いていたのりんが、その前のつだまるに言った。

「山浦でしょ? 犯人」

「マジで?」

 つだまるが振り向いて驚いたように言うと、のりんは自信満々で言った。

「いないじゃん、アイツ」

 結論、そうなんだろう。山浦がいくらサトミと仲が良かったからって、やっていいことと悪いことがある。今回のは確実に、アウトだ。ため息混じりにワタシは言った。

「ホントに死ねば良かったのにねー」

 いっそその方が今のこの悶々とした気持ちは抱えていなかったんじゃないか。サトミの自殺の理由が分からない以上、一刻も早い記憶の風化を待っている状況だっていうのに、再燃を煽るような真似しやがって。

「アンタが死ねば良かったよ」

 突然目の前に現れた埋田に叫ばれ、ワタシは頬に平手打ちを受けた。思わず頬を抑えて立ち止まると、のりんが追い打ちをかけてくる。

「それはないわ。見損なったわ」

 そう言い捨て、つだまるややまちを引き連れて歩いていった。廊下の真ん中に立ち尽くすワタシの両脇を、後ろを歩いていた奴らが追い抜いていく。ワタシが頬を抑えたまま動かないので、近づいてきたナオが背中を撫で始めた。変な噂を言いふらした贖罪のつもりか。ナオは苦し紛れに橋本が首謀者だと言い逃れしたけれど、そのことを問い詰めるつもりでいたら、昼の事件で有耶無耶になったんだ。お前はお前で絶対に許さないぞと心に誓った。

「教室、もどろ?」

 もうひとり、ジンさんがそばに居てくれたみたいで、優しい声を掛けてくれた。すぐにはそれに答えず、呼吸を落ち着けてからワタシは歩き出した。ナオもジンさんも無言でワタシについてきてそのまま教室に入った。

 誰もワタシに声をかける奴はいない。いま全ての悪者はワタシになったような錯覚を覚える。黙って自分の席に座って、机の上に両掌を広げて見つめた。この疎外感は小6の1学期、些細な言い合いからいじめられた時以来だ。それから卒業まで、クラスには誰も味方がいなくて、悔しくて公立校に行かなくて良いように頑張って中学受験をしたんだ。幼馴染すら味方してくれない孤立は、もう二度と味わいたくなかった。
 …待てよ。あの時、なぜサトミは味方してくれなかったんだろう。幼馴染で、当然同じ小学校だったじゃないか。小さい頃にあげたヘアピンを、ずっと大事にしててくれたくらいの関係だっていうのに。なぜだろう。今まで考えたこともない疑問が生まれた。

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