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【so.】埋田 寿惠[始業前]

「明日が来なきゃいいのに」

 思わず本音がこぼれていた。たまきは何も答えない。1月の寒さで朝の街は凍りついている。努めて明るく振る舞わなきゃ。そう思ってたまきに聞いてみた。

「直行便?」

「ううん、アムステルダムで乗り換えて、ミラノ」

「想像もできないわ」

「私だって」

 たまきがイタリアへ留学するって急に聞かされたのは去年の秋くらいだったっけ。それからあっという間に今日がやって来てしまった。毎朝ふたりで橘公園から学校まで歩いていたけれど、明日からはわたしひとりだけの通学路だ。

「あ、ザキオカ」

 写真部の部長ザキオカが鹿の写真を撮っている。これはきっと明日も変わらない朝の光景。

「戻ってくるのは夏頃?」

「たぶん」

 半年の留学で、戻ってくる頃にはみんな3年生だ。たまきはどういうつもりなのか聞いたことはないけれど、戻ってきて卒業できても、また海外へ行ってしまうつもりなんだろうなと思った。ファッションデザイナーを目指してミラノで修行するっていう彼女の夢を、わたしは心から応援したい気持ちでいっぱいだ。けれど年末のことがあって、さらにたまきもいなくなってしまうのは、わたしだけが置いてけぼりになったみたいで寂しい。

「ひとりぼっちになるよ」

 目頭が湿ってきたのが分かったから、バレないようにたまきの方を向かないようにした。

栗原、いい子だよ」

 たまきは、彼女と幼馴染の栗原信子とわたしを、仲良くさせようと頑張ってくれた。一緒に3人で帰ったりもしたけれど、ついに今日まで、それほど仲良くはなれなかった。

「そうだと思う」

「仲良くしてね」

「話が合うといいな…」

 お互いに嫌っているわけじゃないけれど、栗原さんとは何を話せばいいのか、自分から喋るタイプではないみたいで、わたしには掴めないままだった。

「ミラノでは、なんとか服飾の勉強が出来ないか、色々探してみるんだ」

 たまきは明日から、自分の思い描いていた夢の一歩を歩めるんだ。とても羨ましくて、そんな確固たるものを持っていないわたしは、自分がただただ惨めだった。

「どっかのメゾンとか工房とか、なんとか潜り込みたいんだよな~」

「がんばってね。応援してる」

 そっと鼻をすすった。今日は明るく送り出してあげるんだ。

「サトミとの約束だもん。夢に全力で挑むよ」

 たまきからサトミの名前を聞いて、気になっていたことをぶつけてみることにした。

「たまき、もう思い残すことはないの?」

 たまきは口をキュッと結んでから、わたしの顔を見て言った。

「ある。それを今日、どうにか足掻いてみるつもり」

「うん」

「みんな目を背けてる。考えないようにしてる。それはズルいし、あのコも可哀想だよ。そのことを、どうにか思い知らせてやりたいんだ」

「うん。たまきなら、そう言ってくれると思ったよ」

 その為ならわたしも協力させてもらうつもりだ。たまきは、サトミとよく夢を語り合っていた。わたしはそこまではサトミと親密ではなかったけれど、やっぱり事件のことはショックだったし、それから3週間くらい学校を覆っている重たい空気が1月の曇天と相まって、ずっとわたしの憂鬱な気分は晴れなかった。
 校庭へ入ってくすんだ色の校舎が目に入ると、週明けだっていうのにうんざりした。たまきなら、きっと最後になにか大きな風穴を開けてくれるんじゃないかなって思えた。SF映画で宇宙船のハッチが開いて、すべての物が吹き出していくような、そんな出来事を。

次の時間


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