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【so.】岡崎 正恵[始業前]

 ファインダー越しに鹿の顔を切り取る。鹿は何度見てもどんな角度から見ても飽きない。厳寒の橘公園の空気は透き通っていて、放し飼いの鹿の瞳まで透き通って見える。海に迫り出した砂浜に立つ鹿。公園の柵をまたぐ鹿。発情して気が立っている鹿。毎日毎朝早くにやって来て鹿の写真を撮るのを日課にしていたら、一頭一頭の区別がつくようになってしまった。

「あーお腹すいた」

 駅前のマクガフィンズ・ハンバーガー、通称マックの朝セットを紙袋から取り出した。気化せずに120度のお湯が入ってるんじゃないかってくらい熱いお湯も冷めてきたから、黄色い袋からティーバッグを取り出してお湯に沈めた。そしてネギ味噌ケチャップマフィンをひとかじり。不味いを通り越した味の暴力が逆に刺激的で愉しい。それを以前アヤリンに力説したら「頭がおかしい」と言われたけれど。マクガフィンのはフードじゃなくってアトラクションなのにさ。
 海の遠くを漁船が走っていく。ストレートティーを飲み込むと体の内側を照らされるように暖かい。毎朝こんな楽しいことの出来るのが最高に楽しい。こんな毎日がずっと続けば良いのになと、私はいつも思っている。
 朝ごはんを終えてまたいろいろ写真を撮っていたら、メモリーがだいぶ一杯になってきたことに気がついた。換えのメモリーも持ってないし、部室へ行って写真をパソコンに取り込んで、メモリーを整理しないといけないな。私はいつもより少し早めに切り上げて、普段朝には寄らない部室へと向かった。

「あれっ開いてる」

 鍵穴の向きが逆だったから思わず呟いてノブをひねった。扉を開けると、パソコンの前で栗原がびっくりした顔でこっちを見ていた。

「岡崎さん、おはよう」

「おはよう」

 どうしたの?とか言う間もなく、栗原は荷物を掴んで出て行ってしまった。

「逃げなくてもいいのにねー」

 独り言を言いながら私はパソコンの椅子に座って、自分のカメラをケーブルで接続した。取込指示のメニューの「はい」を3回押して、緑色のバーがいっぱいになるまでじっと見つめていなければいけない。
 栗原がなんでいたんだろう。確かに栗原も写真部員だけど、鍵も持っているのにあまり顔を出さないから、びっくりした。写真部は3年生がいま受験だから来ないし、1年生の2人は放課後しか来ない。だから部室は、体育の着替えに使ったり、お昼をここで食べたり、私とアヤリンの2人が自由に使っているような状態だった。
 栗原は何を見ていたんだろう。立ち上がっていたのは写真のプレビューで、開いてみたら、教室で撮った写真のようだった。

「これ、私の撮ったやつか」

 なんか見覚えのある写真だなと思ったら、私が年末に撮った写真だった。日付は…終業式の前の日か。体育の前、みんなが着替えて外へ出ていこうとしてる時だ。並んだ机の上に並べられた制服の置き方がバラバラで、なんだか面白いなと思ってシャッターを切ったんだったっけ。

「早くしないと遅れるよ」って私に言ってるジンさんが写った写真があった。そして外へ出て行くジンさんの後ろ姿。私も廊下へ出たけれど、振り返ってさらに何枚か。最後にナオが教室から出て行って、その後の誰もいない教室をさらに何枚か。撮った後は気が付かなかったけれど、なかなかいい構図の写真があってちょっと嬉しかったから、★を付けてみた。
 でも、栗原は何でこんな写真見てたんだ? 今朝の写真の取込はまだまだ終わらない。別に栗原と喧嘩してるわけでも何かあったわけでもない。けれど中等部からもう5年近い付き合いになるのに未だに私に対して「さん」付けで呼んでくる。アヤリンとも別に親しいわけでもないし、距離があるなと思う。別に私のことが嫌いだったらそれでもいいんだけどさ。

「けど、あの写真は撮れないなー」

 両手を頭の後ろで組みながら、私はドア脇の壁を向いて独り言を言った。壁には部員みんなの自信作が1枚ずつ現像して額に入れ吊るしてある。その中の栗原の撮った風景写真は、私の心を掴んでずっと離さないのだった。

次の時間


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