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【so.】山浦 環[2時間目]

 現代文の授業が終わると、私は素早く廊下へ出てロッカーへ行き、生物の教科書とノートを掴んで教室に戻った。ちょうど席を立った栗原の後についていくように歩き出した。

「許せない。ジョーのクソ野郎」

 廊下へ出て、ついついさっきの怒りから愚痴ってしまった。栗原は生物係だから、次の時間の観察を準備しなければいけない。その邪魔にならないように手伝いながら、私は栗原に協力を求めることにした。

「栗原にも手伝って欲しいんだ」

 生物準備室の前で栗原は私を見つめ、「何を?」と尋ねてから準備室のドアをノックした。
 もごもごした返事のような物が聞こえたから中に入ったら、栗原は島田先生から作業の指示をされた。一緒に入ってきた私については何も気にしていないみたいで、先生はのたのたとトイレへ行ってしまった。

「考えるから。もう時間がないし」

 さっきの問いに答えると、栗原が掬うメダカを、私は開いたビニール袋で受けとった。あっという間に作業は終わってしまって、栗原が水の量を調節している間、私は何気なく準備室にあった人体模型を見つめていた。何を手伝ってもらおう。考えなきゃ、考えなきゃ。人体模型は丸坊主のクセにお腹の中の消化器官は丸見えで、気味が悪いなあと思った。

 生物の授業が始まったけれど何の興味も持てないし、今日の放課後までに何が出来るか必死に考えたかったから、席には座ったけれどスマホを触っていた。何か思いつくことはないか、適当に調べたり読んだりするんだけど、考えが上手くまとまらない。

「ねえ、面談で何かあったの?」

 同じ班の大和が面談から戻ってきたみたいで、私に尋ねてきた。私はスマホから目を離さず、「別に」と返してやった。それ以上、何も言っては来なかった。
 怒りと焦りで、肺の下あたりが痛い。微妙に頭を動かすだけで、長い髪の毛が頬を擦って不快感がある。イタリアへ行ってナメられたくなかったから、実は昨日、限りなく髪を短く切って金髪にした。今は、切る前と同じくらい長い黒髪のフルウィッグを被って隠している。ネットで随分安く買えたけど、どうせ1週間もしたらボロボロになるんじゃないだろうか。今日さえバレなければ良かったし、今のところ誰にもバレていないみたいだから、安く済んで良かったけれど。
 妙にさらさらなウィッグの毛先を指でいじり回していたら、私の頭の中に、さっき見た人体模型のツルツルな頭の形がぱっと浮かんだ。次の瞬間にはFILOで栗原にメッセージを打ち込んでいた。

「思いついた!」

「人体模型を屋上まで運んでって、私の格好をさせて、屋上から突き落としたらどうなるだろ?」

「どうせ私今日で消えるから、最後に騒ぎを起こしてやるわ」

「三条が揉み消そうとしてることだって、暴けるかもしれない」

 返事も待たず、私は次々にメッセージを飛ばした。

「騒ぎになるよ」

 栗原からは、顔文字も何もない、素っ気ないメッセージが返ってきた。

「望むところよ。お願い。協力して!」

 そして鹿のルーニーが間抜けな顔をしているスタンプを送信した。栗原は笑ってくれたかな。

「栗原には迷惑かけないようにする。私だけの仕業ってことにする。だからお願い」

「ちょっと考えさせて」

 栗原の方へ視線を向けると、スマホをしまってしまったようだった。これ以上押すのはひとまずやめておこう。授業は結果をプリントに書くようにと渡されたけれど、私にはこんなもん書く意味がもう無いから、無視してスマホをいじっていた。隣の委員長がピリピリしている様子が手に取るように分かった。私は明日から消えるから、ひとつイライラが消えてよかったね、と心のなかで呟いた。

「山浦さん、突然変なこと聞くんだけど」

 授業が終わって栗原の方へ行こうとしたら、月山さんから声をかけられた。今までほとんど会話したこともない相手で、何かバレたのかなとドキドキした。

「なにかな?」

「あの…美術部って…今度見学に行ってもいいのかな?」

 そうか、このクラスで美術部なの、私だけだった。顧問の宮原先生なら快く引き受けてくれそうだけど、まさかこんなタイミングで言われるとは想像もしていなかった。私は思わず渋い顔をしてしまった。

「まずい?」

 ここは冷静を装わなきゃ。明日も明後日も、普通に学校にいるはずの山浦環を演じなければ。

「ううん、先生に話しておくよ」

 精一杯の作り笑いで答えたら、月山さんは恥ずかしそうに去っていった。生物室を見回したら、栗原がひとりで机の上の顕微鏡をしまっている。他にはもう誰もいない。

「答えは?」

 私が尋ねると、栗原は落ちついて言った。

「やる」

 生物準備室には死角があると栗原は言う。先生は普段ずっと職員室にいるから安全だとも言うから、チャイムが鳴るまでふたりで寄り合って隠れていた。修学旅行の夜みたいな、スリルあるドキドキ。こんな感覚を味わうのも、大人になったら出来ないんだろうなあ。

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