見出し画像

わずかでも誰かの役に立てているなら

連日あげた苦しいつぶやきに多くのコメントをいただいた。
その返信を考えるうち自分が行きつ戻りつしているポイントもなんとなく見えてくる感覚もあり、言語化の大切さをあらためて知る。

自分が動かねば環境を変えることはできない。
そんなあたりまえのこと、これまでの人生で数知れず学んできたが、また数知れず忘れてもきた。
動かざること山の如し、のその山を動かそう。

衝き動かされるようにハローワークへ行き、でんと座るおじさまに自分はこうありたいと話した。
仕事を探すというより、自分の意思を言葉にしておきたかったのだ。
勢いに任せて動いたら、ほんの少し自分が解放された気がした。

帰り道、かなりお久しぶりでミスドに入った。
PCを広げ仕事をし、おかわり自由のコーヒーを飲む。
え、こんなにしっかりした味だっけ。
そういえば昔はアメリカンて名前だったと思うけど今はブレンドだ。
コンビニコーヒーの攻勢にさらされて薄めるのをやめたのだろう。

PCに疲れたら、『大学生のための教科書』という本を開く。
サブタイトルは「~自分の人生を切り拓く冒険準備の書~」だ。
大学生になりきって読みすすめた。
「自分はどのような存在で、他者との中でどのような役割が求められているのか…」
キャリアコンサルタントの勉強で学んだことそのものだ。
でも僕には「こうなりたい」はあっても、人からどんな役割を求められているのかはいまだよく分からない。

店内には聞き覚えのある楽曲がいくつか流れていた。
シンディローパーの「Time After Time」に本を置き、目を閉じた。
アイリーンキャラの「Flashdance」は中学校の体育祭の女子のダンス曲だ。
一人だけを目で追ったあの日が一気に押し寄せ、涙がにじんだ。

スーパーで中くらいのイワシを8尾、丸々太ったアジを3尾買った。
急いで帰ってイワシは手で開いて冷凍にし、アジは3枚におろして半分は夕食の刺身に、半分は酢で〆めて冷凍にした。
魚をさばくと心が落ち着くのは、漁撈の歴史ゆえか、はたまた獣の記憶か。

昨日は僕の記事を楽しみにしているというコメントをいくつかいただいた。
これほど嬉しいことがあるだろうか。
わずかでも誰かの役に立てているなら、ここにいることは間違っていない。

ここ数日続いた低迷にそろそろけりをつけよう。

(2023/5/25記)

チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!