見出し画像

あの店主の優しさに、もう会えない

ずっと通えると思っていた。
――大阪・曾根崎の焼売店〈阿み彦〉。

画像1

通称・お初天神として知られる露天神社のそばに立つビルにあった名店だ。

お初天神は、1703年に遊女お初が境内で情死した事件を、近松門左衛門が浄瑠璃『曾根崎心中』として著したことで有名になった。
かつて大きな森を抱えていたそうだが、戦後の再開発の波に呑まれ、今はビルに囲まれた狭隘な神社となった。

画像4©KENPEI(Wikipedia)

明治9年創業の〈阿み彦〉もお初天神の南鳥居に軒を並べる店だったが、後に北鳥居のビルにテナントとして入った。
元は寿司割烹だが、神戸・南京町で修行を積み、昭和21年焼売店になる。

ここの焼売が実に変わっている。
餃子なのだ。

画像2

いや、正確には餃子のような焼売なのだ。
二度蒸しした後にラードで焼き上げるから、焦げのついた見た目も、カリッとした食感もまるで餃子。
無造作に包まれた焼売は、ショウガが利いて豚の甘みが引きだされている。

池波正太郎も絶賛した焼売。
というか僕は氏の作品でこの店を知った。

白濁したスープは意外とさらさらで、コショウで結構スパイシー。

画像3

ネットを見てみると、鶏ガラ、牛乳、豆乳と皆言いたい放題だが、正解は豚の脊髄からとったスープだ。
皆が当てずっぽうで言うしかないほど複雑な味わいだったのだ。

「風邪ひきかけたら、みな来よんねや」
ダミ声で、一見こわもての店主が言う。
しかし見た目と裏腹の、とても優しい、白髪のおじいちゃん店主。

「うちの焼売食うたら、風邪どっか行てまうらしいわ」
通いつめた当時は愛媛に住んでいたから頻繁には来れなかったが、そう聞いてからというもの大阪出張で不調の日は必ず行った。
いや、本当に風邪なんてどこへやら。

「うちはご飯置いてへんねん」
コメ好きの同僚を連れて行った時、メニューを見てキョロキョロしていたのを見逃さず店主が言った。
朝昼晩ともコメがないと落ち着かないという同僚は肩を落とした。
僕はビールがあればコメはなくていいのだけど。

「すまんな。昼はあんねんけど」
昼は確かにご飯はあるにはあったが、駅弁に入っているような上から型押しして俵型にした冷たいご飯。
元々寿司店だったというのに、どうやらコメに対する愛情がないらしい。
あるいはコメが嫌いで焼売店に転身したのかもしれない。

「おねえちゃん、ご飯食べたい? ほな隣の吉野家行ってもろといで」
こわもて店主は優しい眼差しで同僚に声をかけてくれた。
この時初めて、吉野家でご飯だけテイクアウトできることを知った。

「ご飯もろてきた? すまんかったな。焼売1個サービスしとくわ」

***

昨年久々に曾根崎を歩いたので、しばらくぶりに食べたくなり足を向けた。
…ラーメン屋になっていた。

2017年〈阿み彦〉閉店。
あの店主の優しさに、もう会えない。

(2022/2/5記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!