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(改稿)どれが本当の自分?

ケータイの画面が傷つかぬよう、フィルムで保護する人が多い。

しかし、そのフィルムは意外にもろい。
いつのまにか傷がついて、すぐボロボロになる。
挙げ句、常に傷だらけのフィルム越しに画面を見なければならないなら、画面を美しく保ったところでそれに何の意味があるのか、よく分からない。

大学時代ドハマリしたスキーも同じだった。

バイト代を注ぎ込んで手に入れたマイスキー板。
傷つけたくなくて結構な値段のするフィルムを貼る。
でも一回スキーに行けば、リフト待ちの列で他人からガシガシ踏まれて、フィルムなんてすぐボロボロ。
結局スキー場では見るも無惨な姿のまま滑るしかない。
そして下宿に帰ってきてフィルムを外す。
部屋の壁に立てかけているときだけ、うっとりピカピカ新品の風情だ。
ん? このスキー板、装飾品だっけ?

フィルムだけではない。

明日を楽しく生きるため、健康のためと散歩を始めた人が、いつしか一日中散歩をするようになることがあるらしい。
結果、散歩に一日の大半の時間を取られ、いったい何のために散歩をしているかがよく分からなくなる。
もしや今日の散歩は、明日散歩する活力を得るため?
そうなら確かにもう散歩はやめられない。

傷だらけのフィルムをまとったケータイ、スキー板。
散歩という手段が目的化、日常化してしまった人。
これを本末転倒と言わずしてなんと言おう。
どれも真の姿がまるで見えない。

職場にヘタをすれば15時間以上もいる自分。
時間的にいえばそれがメインの自分かもしれない。
でも、ヒトはヒトである以前に動物だ。
食う、寝るが真の姿、仕事はあくまで仮の姿と信じている。
職場での時間がどれほど長くてもそれが自分とは言いたくない。

そう強がってもみる。
でも、一日の大半が仕事で消えてしまうなら、それは常にボロボロのフィルムを貼ったケータイやスキー板と同じではないのか?
散歩だけで一日が終わる人と同じではないのか?

強く強く意識を持たねば、時として迷いを生じる。
どれが本当の自分?

(2023/10/16改)

以上は、2007/9/21に書いたエッセイを改稿したものだ。

僕が主宰するメンバーシップ〈エディターコース〉には「改稿チャレンジ」という企画がある。
これは、過去にあげた記事の中で書き直したいものを差し出せば、メンバーみんなでよってたかって改稿ポイントを指摘する、針のむしろ的な企画だ。

改稿チャレンジに挑む人は、みんなの意見を参考にしながらも、最終的には自分の判断で改稿を成し遂げる。
これは改稿する人はライターとしての力を、指摘するみんなはエディターとしての力を育てるための企画。

そこに僕は2007年に書いた記事を差し出したのだ。
さっそくメンバーから「こうしたらいいんじゃない?」「ここ意味分かりにくいかも」と指摘が入る。
うへぇ。

でも自分の文章に朱が入るなんて、しばらくなかったから新鮮だった。
みんなの意見はそのままは反映できなかったが、改稿にあたって大いに参考にさせてもらった。
読みやすくなっただろうか?

ちなみに改稿前の文章がこちらだ。

ケータイの画面が傷つかぬよう、フィルムで保護する人が多い。
常に画面を美しく保つためにフィルムを貼るのだろう。

しかし、フィルムは、すぐボロボロになる。
ガラスなら傷つかないような軽い接触でも、フィルムであれば簡単に傷になるから、タチが悪い。

結果、常に傷だらけのフィルム越しに画面を見なければならず、いったい何のために保護しているのか、よくわからなくなる。

明日を楽しく生きるため、健康のため、と散歩を始めた人が、いつしか一日中散歩をするようになって、本末転倒。

獲得した健康は何のため?

ひょっとすると明日散歩する活力を得るために、今日散歩するのかもしれない。

――いつもフィルムをまとった仮の姿しか見ることのないケータイ。
――散歩という仮の手段が目的化、日常化してしまっている人。

いずれも仮の姿の時間が長いがため、真の姿が見えなくなっている。

ひるがえってみると、職場で難しい顔をした仲間がいる。
よく考えると、自分もそうだ。

ヘタをすれば15時間以上もいる職場。
そこでの自分は、時間的にいえばそれがメインの自分かもしれない。

でも、ヒトはヒトである以前に動物だ。
食う、寝るが真の姿、仕事はあくまで仮の姿と信じているから、職場での時間がどれほど長くてもそれが自分とは信じたくない。

そうは強がってみても、一日の大半が仕事で消えてしまうなら、強く強く意識を持たねば、時として迷いを生じる。

…どれがホントの自分?

(2007/9/21記)

これより読みやすくなってたらいいな。

(2023/10/16記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!