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少女と女の過渡期 金木犀の香る季節



風の中から何かが私を呼び止める。


その秘めやかな気配に振り返り立ち止まると、辺りは瞬く間に金木犀の香りに包まれ、私の心は一挙に45年の月日を遡り始める。



その夏の初め私は17歳になった。

「17歳って、南 沙織の歌もあるし、何か特別な事があるんちゃうやろか?」

期待で胸が膨らむ中、迎えた夏休みが何も起こらないまま、もうお盆が過ぎてしまった。


「何とかせなあかんわ」
と、焦った私は友達に提案を持ちかけた。

「ねぇ皆んな、旅行に行こうよ」


当時、私には同じ漁師町で生まれ育った同級生の大親友が3人いて、毎日のように4人集まり、平凡ながらも楽しく過ごしていたのだが、彼女達も、余りにも変化の無い毎日にうんざりしていたので、直ぐに話しは纏まった。

「何処に行きたい?」

「サザンの湘南みたいな
ところがええわ!」

昭和53年の夏は、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」の大ヒットで幕が開いた。


センセーショナルな桑田節が大旋風を巻き起こし、
「今何時?そうね大体ね」
が、流行り言葉となり、歌の舞台である湘南も全国に知れ渡った。

生まれてこの方、いつも私のすぐ側にある海は地味で垢抜けないが、サザンが歌う湘南の海は、なんてお洒落で素敵なんだろうと、夢が膨らむばかり。

急いで旅行会社に行き、パンフレットから選んだのは、電車とバスを乗り継いで5時間もかかる小さな海辺の町だった。


バスの中では胸がワクワク。

「どんな素敵な所やろ…
きっと湘南みたいよね〜」
と、ピーチクパーチクお喋りが止まらない。


バスはゆらゆらと峠を抜け、やっと着いたのが、寂れた人気の無い海岸だったから、バスを降りるなり、

「うっそー!」

「えぇっ、ここなん?
ここやったら、わたしらの町の方が賑やかやわ」

バスの中では、あれほどぺちゃくちゃとお喋りしていたのに、民宿まで歩く道すがら誰も口を聞かず、商店も無い埃っぽい道を黙々と歩くだけだった。

湘南の華やかな海を夢みていたのに、我が町より地味な所に来てしまったのだから致し方もないが。

「あーあー。あのパンフレットに騙された」


ところがその後、予想も出来ないサプライズが私達を待っていたのだ。

民宿に着いて始めての夕食時だった。
隣のテーブル座っていたのは、なんと!体育会系のイケメン4人組。

彼らの視線を感じ、私達の瞳は急に輝きを放ち初め、目と目で会話仕合い、部屋に戻るや否や彼らの話題で持ちきりになった。

「皆んな、かっこええやん!
仲良くなりたいけど、どうしたらええんやろ?
話しかける勇気もないし」


作戦会議で案は出ず、チャンスが来るように神様にお願いしながら眠りについた。


そして翌朝。

彼らも意識していたのだろう。食堂で顔を合わすなり自己紹介をしてくれた時は、びっくり!キャー嬉しい!

彼らは大阪の高校三年生。
ラグビー部の仲間達だった。


同世代ゆえか、瞬く間に距離が縮まり仲良くなった。

それからは3度の食事はもちろんの事、花火に肝試し、ボート乗り、トランプと。
毎日8人揃って楽しく遊んだ。

彼等には、スポーツで鍛えられた行儀の良さと生真面目さがあり、そしてとても優しい男の子達だった。


夢の様な4日間があっという間に過ぎて行った。 


17歳の夏を彩るには充分な想い出をくれた彼等だが、もう一つ忘れられないエピソードがある。


彼等のリーダー格で親分肌のS君が、私達と同じバスで大阪まで一緒に帰る事になった。


私達はバスを降りてから地下鉄に乗り継ぐのだが、大阪に不案内な私達には地下街は広大で分かりずらく、迷子にならないか不安が募った。

それを心配してくれたS君が、彼の帰路からは遠回りになるにもかかわらず、私達が乗り慣れている駅まで送ってくれたのだ。

「バイバイS君」 

彼を見送った途端、賑やかな地下街を改札に向かって歩きながら、それまで誰一人自分の想いを口にしなかったのに、

「私はHが好き!」

「私はS君!」


と、想いが溢れ出し止まらなくなってしまった。


その時、地下街には初めて聴く歌が流れていた。


[鳶色の瞳に誘惑の翳り
金木犀の咲く道を]


「きんもくせい って素敵な響き。初めて聞くわ。

どんな花なんやろ?」



想い出深い夏が逝くと、シビアな現実が私達を待ち構えていた。



進路の選択が迫り、否が応でも自分の行く道を決定せねばならない。


もう親友達とも、足並みを揃える訳にはいかない。


そして又、私達には恋の季節が訪れていた。
女の子は恋と別れを積み重ね、女の人になってゆく。 


大人への階段を登る時が来ていたのだ。



その秋、私は初めて金木犀に香りがある事を知った。


懐古的な香りに過ぎ去った夏が重なり、胸の奥がキュンと
音を立てた。


誰かを恋しく想ったからではない。
夏の想い出が恋しかった。



あの夏は、少女のままでいられた最後の季節だったのだろう。



あれから、いつの間にやら半世紀。

今年も又、金木犀の香りはあの時代へと私を誘う。


大人への過渡期と呼ばれる17歳。
少女から女へと変わり行った季節へ…  




























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