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ミラノの5日間広場

二度目のミラノは相変わらず埃っぽくて、私は母を連れて Piazza-5giornate(ミラノの5日間広場)でトラムを降りた。二週間の間、私たちの「仮の住まい」となるマダム・トルトラのお宅は、賑やかな街中の広場に面したデパートから目と鼻の先というところにあった。

ちなみにミラノの5日間とは、1848年まだオーストリアの統治下にあったミラノが、オーストリア帝国の支配に対して蜂起した5日間に由来するらしい。皮肉にも150年後、その「オーストリア帝国」から私たち親子はこの広場を目指して旅をしてきたというわけである。

トルトラ婦人は50代の気さくで快活な女性だった。服装もさりげないのに上品でぱりっとしていて、どこか育ちの良さを感じさせた。完璧に掃除の行き届いた真っ白なアパートは、汚さずに使わなければというプレッシャーすら感じさせるほどだった。アパートの上の階に病気のお母様と住む彼女は、仕事とお母様の看病でとても忙しい日々を送っていたけれど、私たちをとても気に入ってくれて、時々手作りのお菓子を持ってきてくれたり、家賃を一人分でいいとまで言ってくれた。普段掃除の苦手な母は、トルトラ婦人のアパートだけは汚してはいけないと掃除ばかりしているのがおかしかった。

私の方は、秋の定期演奏会に向けての最初のリハーサルが目の前に迫っていた(ヨーロッパでは九月からその年の演奏会シリーズが始まる)。でも練習だけしていればいいわけではない。アパートを一日も早く見つけなくてはならなかったのである。トルトラ婦人のアパートに荷物を置いた次の日から、必死のアパート探しが始まった。私は物件に関する新聞を片手に、朝からミラノを西に東にと走り回ることになったのだが、このアパート探しはミラノの驚くべき住宅事情とともに、その後忘れられない愉快な思い出となった。

(続)

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