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生活の中心としてのバール

劇場の周りには、いくつものバール(日本でいう庶民的なカフェとバーの中間であって、おしゃれなカフェ・バーというのとは違う)があり、私たちはリハーサルの休憩時間ごとにバールへコーヒーを飲みに行った。でもこの際「飲む」という表現が適切かどうか、いささか疑問が残る。というのもイタリアのコーヒーは基本的に濃いエスプレッソで(母いわく「鼻が曲がりそうな」コーヒー)、しかも3口くらいで飲み終わってしまう量なのだ。  だからイタリア人たちは、バールに入って来るとカウンターでそれをさっと飲み、さっと出ていく。それを大体少なくとも一日三回くらい繰り返す。出勤前後、昼食後、午後の眠気覚ましとしての「気付け酒」みたいな感じでひっかけるのである。ウィーンの泡立てたミルク入りの優しい味のコーヒーにすっかり馴染んでいた私は最初、このどちらかと言うとアグレッシブな味が気に入らなかった。それでもいつのまにか慣れて行って、そのうちにカプチーノは朝と午後のおやつに、エスプレッソは食後に、というように周りのイタリア人たちと同じような嗜好に変わっていった。

面白かったのは、オーケストラの楽器ごとに行くバールが異なることだ。  打楽器の連中は「フレンズ・バー」へ。バイオリンとヴィオラは「ラウディトリウム(l'auditorium)」へと向かった。気さくな店の主人たちは、毎日顔を合わせて食事まで運んでもらう、いわば家族のような存在である。バールで私たちは携帯の通話料金をチャージし、トラムの切符を買い、新聞を読み、映画の時間を調べた。しかしなによりもその場所で友達を見つけることができるのがよかった。「ああ、あいつならきっと今頃フレンズ・バーにいるんじゃないか?」というような大ざっぱなものだが、今のようにいちいちスマホで情報を確かめ合う習慣がないので正確さには誰もこだわらなかったし、それが普通だった。あの自由さは、お昼寝、もしくはワールドカップでイタリアが負けた時などに、そそくさと店を閉めてしまうようなイタリア人の生活にとても似合っていた気がする。

そんなバールでの夕方からの楽しみが、「アペリティーヴォ(aperitivo)」という習慣だ。 17時になると, 全てのバールのカウンターはポテトチップスからパスタまで、驚くほどの種類の軽食の大皿で埋め尽くされる。軽食と言ってもそれらは、米入りサラダ、生ハムで巻かれたモッツァレラチーズ、黒オリーブとルッコラ入りのパスタなどバリエーションに富んでいて、一通りお皿に乗っけたら一回分の食事になるほどである。  お酒を一杯注文すれば好きなものを好きなだけ取ることができるので、オーケストラの金欠の連中はこの時間を狙ってやって来て晩飯の代わりにしたほどである。 

そういった風に、バールはイタリアでの生活に欠かせない存在であるが、それはある意味で何かと口実を作って人とコミュニケーションをとるのが好きなイタリア人に非常に適した社交場なのではないかとも思う。だから、そこは日本の喫茶店のように、もしくはウィーンのカフェーのように個人が「本を読みに入る」静かな場所ではない。私はミラノで生活していた間、東京やウィーンのように静かに本が読めるカフェを捜し歩いたが、ひとつもそういった雰囲気を持つ場所には巡り合わなかった。たとえインテリアがアンティークで落ち着いた雰囲気だったとしても、なぜかダンスミュージックがガンガン鳴っていたり、人の話し声が大きすぎたりと、どうも本に集中することができない。色々とその理由について考えてみたが、個人的な結論から言うとおそらくイタリアでは「飲み物や食べ物を提供する公共の場」というのは個人が一人になるための場所ではないということかもしれない。つまりバールは馴染みと会って談笑する場であるし、数少ないサロン・ド・テにしても、東京やパリのように悪く言えば慇懃無礼、良く言えば静かな時間が約束された空間ではない。そこではモンテ・ナポレオーネ通り(*)でショッピングを済ませた有閑マダムたちが高らかに会話を楽しむ可能性の方が高いからである。 わざわざ持って行った本を苦々しい思いで閉じる度に私はよく、なぜこの国では”ひとりの時間”を尊重しないのだろう?と、自分が人懐っこいイタリア人達に日々どれほど助けてもらっているかも忘れてイライラした。 そして留学時代に通ったウィーンのあらゆるカフェの、あの哲学書でも読もうかなという気になる19世紀の雰囲気と、高い天井へそっと届いていく会話、そしてワルツを踊る様な優雅さで銀の盆に載ったコーヒーを音もなく運んでくる給仕たちを本気で恋しく思った。

*モンテナポレオーネ通り:ミラノの有名な高級店街。


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