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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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#日記

ボローニャでのクリスマス

イタリアでミレ二ウムに向けての興奮が静かに高まる中、クリスマスが訪れようとしていた。私が初めて日本に帰省しない年の暮れをどう過ごそうかと考えていたところ、カティアがナターレ(クリスマス)を一人で過ごすなんてあり得ない選択だと言ってボローニャの実家へ招待してくれた。私は嬉しさとは別に、ヨーロッパのクリスマスがどれほど家族にとって大切なイベントなのかを熟知していたし、それはあくまでも身内の集いだと思っていたのでひどく躊躇したのだったが、どうしてもとカティアが言うのでボローニャに行

カティアの家の食卓

私といつも一緒にいたウテがいなくなり、寂しそうに見えたのかもしれない。持ち前の気取らない態度と、人の警戒心を溶かすピュアな笑顔を持つカティアが、私を度々仲間たちとの映画や食事などに誘ってくれるようになった。そんな時いつも一緒だったのは背の高いラヴェンナ出身のマルコと、親友のパオロだった。 私たちは一緒に、イタリアで公開されたばかりだったリュック•ベッソンの「ジャンヌ•ダルク」を観に行った。イタリア語吹き替えで、私には全くと言っていいほど理解できなかったのだが、あの「ニュー・シ

ウテとロマーノ

27歳のウテには50歳の恋人ロマーノがいた。 画家のロマーノはうっすらとした白髪で、前歯の間にわずかな隙間があった。お世辞にも美男とは言い難い彼は魅力こそあるものの、どう見てもウテの恋の相手とは思えなかった。親子というにも彼らの容姿はかけ離れていた。 二人はミュンヘンのアーティストがたむろするカフェ•バーで出会った。ロマーノの最初の言葉、それは[初めまして]に続いて、[僕のモデルになってくれませんか?]だった。 それから一週間もしないうちに、ウテはロマーノのアトリエに自分の

新しい友達

マーラーのコンサートの週に新しい友達ができた。 絹糸のように細くてしなやかな金髪を背中まで垂らした北欧系ドイツ人の彼女は  ウテという名で、オーケストラのハープ奏者だった。 ボッティチェッリのヴィーナスを思わせる完璧に美しい顔は、時々血が通っていないかのようで人を不安にさせるのだが、いったん微笑むと、その顔はとたんに子供のあどけなさを湛えた。 私たちが初めて言葉を交わしたのはマーラーのコンサートの休憩時間だった。 すらりとした長身をぴったりとした黒い衣装で包んだウテは、真

雨の夜の出来事

ミラノで始まったばかりの仕事と家探しで疲れ果てていた或る晩、電話が鳴った。出てみると、オーケストラ専属の合唱団員の女性からで、私が事務局の掲示板に貼った「アパート探しています」の紙を見たとのことだった。彼女の家のアパートがちょうど一室空いたので、良かったら今夜見に来ないかという事だった。 時計を見るともう21時近かった。私と母は顔を見合わせたが、実際に部屋探しは困難を極めていて、私たちは今週トルトラさんのアパートを出て、日本人マダムの経営する小さなホテルに移ったばかりだった