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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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2020年5月の記事一覧

新生活

そうこうするうちに、オーケストラで新しい友達ができた。人懐っこいビオラ奏者のカーティア、そしてバイオリン奏者のマルコと,チェロのパオロは揃ってラヴェンナ出身で同郷というだけでなく、二人そろって背が高く美男だった。彼ら3人は、私がイタリア語を解さないと分かっていても毎日私に話しかけに来てくれた。私にとって素晴らしかったのは、カーティアが子どものような無邪気さで、誰とでも友達になる才能を持っていることだった。私たちは自然とひとつのグループを作り、休憩時間には連れだって,向かいのバ

雨の夜の出来事

ミラノで始まったばかりの仕事と家探しで疲れ果てていた或る晩、電話が鳴った。出てみると、オーケストラ専属の合唱団員の女性からで、私が事務局の掲示板に貼った「アパート探しています」の紙を見たとのことだった。彼女の家のアパートがちょうど一室空いたので、良かったら今夜見に来ないかという事だった。 時計を見るともう21時近かった。私と母は顔を見合わせたが、実際に部屋探しは困難を極めていて、私たちは今週トルトラさんのアパートを出て、日本人マダムの経営する小さなホテルに移ったばかりだった

仮の住まいからの初出勤

トルトラ婦人の真っ白なアパートで、私は27歳の誕生日を迎えた。九月も終わりに近づき、その日の朝はシーズン最初のプログラムであるマーラーの「復活」の初リハーサルの日でもあった。私はどきどきしながら、一週間後にマーラーでのこけら落とし公演を控えた新しいホールのある、ナヴィリオ地区へと向かった。この地区というのは大小の運河が顔を覗かせ、古き良きミラノの面影が残るいわゆる「下町」のような独特の界隈である。市電がポルタ・ティチネーゼの門をくぐり抜け、ゴトゴトとサン・ゴッタルド通りへ入っ

ミラノの5日間広場

二度目のミラノは相変わらず埃っぽくて、私は母を連れて Piazza-5giornate(ミラノの5日間広場)でトラムを降りた。二週間の間、私たちの「仮の住まい」となるマダム・トルトラのお宅は、賑やかな街中の広場に面したデパートから目と鼻の先というところにあった。 ちなみにミラノの5日間とは、1848年まだオーストリアの統治下にあったミラノが、オーストリア帝国の支配に対して蜂起した5日間に由来するらしい。皮肉にも150年後、その「オーストリア帝国」から私たち親子はこの広場を目