無本番・練習日記2021年10月18日~10月24日

2021年10月18日(月)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
 ここ5年ほどだろうか、一定以上の期間音階などの基礎練習をしないでいると、ある日突然指が回らなくなる瞬間が訪れるようになったのは。10代20代の、気力体力だけで全てゴリ押し出来ていた時代には想像もしなかった現象。昨日辺りからその現象が起こり始めたので、バロックとモダンでジェミニアーニの8番9番を弾いておく。時間制限があったため、曲は弾かないことにした。

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2021年10月19日(火)
練習お休み。

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2021年10月20日(水)
譜読み ラモー、ヴィヴァルディを中心に
 もう一通り楽譜は見終えたのでこの段階を果たして「譜読み」と呼んでよいものやら。
 12月にバロックヴィオラで乗る演奏会の譜面を見る。弾きながら「僕たちはバッハもモーツァルトも、リヒャルトもマーラーも知っている。でも彼らにとっては、彼らが生きた時代の作品が最新の音楽なんだ」といった内容の言葉に思い至る。アーノンクールの著作『古楽とは何か』にも同じ内容の言葉が記されていた。だとすれば、SF作品でいうところのタイムパラドックスを引き起こさない心掛けは、演奏にもプラスに働くのではないだろうか。未来から過去にやって来た人間が未来の情報を持ち込まないように。ヴィヴァルディやラモーが最新(リアルタイム)だったバロック時代、古典派やロマン派を持ち込むことは未来人が未来の情報を過去に持ち込むようなことだろう。タイムマシンに乗った気持ちで楽譜に向かう。
 ドラえもんには会えないけれど、タイムトラベルする方法は案外身近にあるのかもしれない。

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2021年10月21日(木)
練習お休み。

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2021年10月22日(金)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
J.S.バッハ:カンタータ29番Sinfonia(編曲版)
ラモー:『優雅なインドの国々 Les Indes Galantes』より抜粋
 「時にあひたる(ときにあいたる)」という言葉がある。平安王朝で大切にされた考えの一つで、色彩(色彩観)が「季節にあう」ということらしい。季節ではないけれど、演奏にも「時にあひたる」という考え方は必要なのではないだろうか。
「時にあふ」音を出すとなると音符一つ無下にすることは出来ず、普段使っていない筋肉もフル稼働で音を出すことになる。結局バロックのみで練習が終わってしまった。明日はモダンを中心にして、バランスを取ろう。ジェミニアーニの8番で苦戦。少しご無沙汰すると、すぐに弾けなくなってしまう。何とか一通り弾き終えた後は、バッハのカンタータ29番Sinfoniaを中心に練習。こちらは編曲されたものなので、バッハの時代のみならず、編曲者のリアルタイムも考えつつの練習となる。楽器がグラつきがちなオクターブ演奏直後のポジション移動など、技術的な課題も見え隠れ。合わせの開始自体は再来月からとはいえ、リハーサルの時間は限られているからリハ直前になって練習を始めては到底本番に間に合わないだろう。
 ラモーは2曲ほど知らない曲があった。後で演奏を探すことにしよう。

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2021年10月23日(土)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
コダーイ:『ファンタジア・クロマティカ』
 モダンの練習のみに焦点を絞った日。音階を弾いて、時折弾かないと通すともままならなくなってしまうヴューの練習曲から5番。案の定というかやはりと言おうか、弾けなくなっていたのであった。練習時間の半分以上は、この5番のために割かれる。
 繰り返し弾いているうちに、引っかかってしまう場所では無意識のうちに音符を捨てていることに気が付いた。最新の教育や演奏の現場ではこの表現が使われているのかどうか定かではないが、少なくとも一定以上の世代は使っている「音符を捨てる」という表現、該当する音符を「他に比べて軽く扱う」という意味が含まれているのは解る。しかし語弊がある表現ではないだろうか。誰が言い出したのやら。「捨てる」という表現と言葉の選び方に、妙に神経が逆撫でられた練習なのであった。
 最後は『ファンタジア・クロマティカ』を一度通して練習を切り上げる。

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2021年10月24日(日)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
ヴュー:音程のための10の練習曲
 本日の練習テーマ「音符の食品ロスを出さない」。
 昨日から引き続き音符を「捨てる」という表現について考える。この言葉のニュアンスは正面から受け取られているケースが少なからずあるのではないか。「軽く扱う」と直後に注釈があったとしても、最初に受け取った言葉のイメージを拭うのは一苦労。かといって弾いている最中にあれこれ考え自分自身に指示を出すことは演奏に支障を及ぼすため、意識するのは一つが限界だろう。そうして「音を捨てない(扱い方が変わるだけ)→食品ロスを出さない」ことが本日の練習テーマとなった。音を出している間はこれが練習の芯となる。
 バロックでジェミニアーニの8番と9番。よく「出す音をイメージしてから弾く」と指導を受けたけれど、バロックでそれをやってしまうと私の場合不発になる確率がとても高いらしいことがわかってきた。
 モダンでのヴューの5番も同様に、一音たりとも捨てず、無意識に捨てていた箇所は改めて扱い方を探り直す。「滑らかに」「流暢に」「良い音で」などはどちらの練習でも一切考えないことにした。前2つは音楽の緊張感を保持する際のタイプの違いから生まれるものだし、3つ目に至っては音だけ良くても内容を表現できなければ何の意味も成さないだろう。
 長い音はどうなることかと思っていたが、案外「音符を捨てない」考え方は長い音符の緊張感持続にも役立ってくれた。どうやら音符の行き先を見守ることにも共通する視点らしい。

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