翻訳家としての左川ちか覚書

『毎日新聞』5月21日(土)朝刊「今週の本棚」で『左川ちか全集』(島田龍編・書肆侃侃房)が取り上げられます。評者は翻訳家の鴻巣友季子さん。ぜひご覧下さい。楽しみです。



鴻巣さんのツイートを拝見して私も翻訳家左川ちかについて思うところを少しまとめました。詳しくは全集解説をご覧下さい。

左川ちかの前半期の翻訳(18~20歳頃)は伊藤整の指導を受けていました。問題は「指導」の実態ですが、兄の川崎昇によると、辞書に見当たらない単語などがあると伊藤宅を訪ねていったと。また、同時期の伊藤の翻訳と比べても一致点に乏しい印象から、伊藤は左川の翻訳を基本尊重していたと思われます。


伊藤は自身の同人誌に、伊藤名義と変名を使い回し海外文学・芸術関係の翻訳を多く掲載します。昇を始め使えそうな同人もフル回転させますが、最も頼りにしていた一人が左川でした。精神分析学、文芸評論、建築論など多様なジャンルの訳業を左川に委ね、丸善で購入した洋書を与えていました。
翻訳家としての左川ちかを見出したのは伊藤整でした。

そしてまだ20歳になるかどうかの左川を、春山行夫・百田宗治・北園克衛らも自分の詩誌に迎え、ジョイス、ウルフ、H・クロスビーの訳が掲載されました。当時のモダニズム詩壇では、左川と同年代の若い女性は珍しくはありませんでした。

これは春山・北園・伊藤らもまた若かったこと、そしてモダニズム詩が女性性の自認(恋愛・母性…)をテーマとしなかったことも背景にあります。ただ、同時に翻訳を積極的にこなす女性詩人となると、左川や江間章子など少数になります。なかでもその量と質において左川は稀有な存在といえるでしょう。

詩人としても華々しく活躍した左川は1年ほど中断していた翻訳を再開しますがその傾向は一変します。ジョイスやウルフと異なり、当時日本で注目されていない詩人たちを積極的に訳します。彼女自身が訳したいと思った詩人とテキストを独自に選べるようになり、伊藤たちの関与を脱することになりました。

今後、海外文学・翻訳の研究において左川ちかの訳業はもっと注目されて欲しいですね。ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフは勿論、モルナール・フェレンツ、オルダス・ハクスリー、シャーウッド・アンダーソン、ハリー・クロスビー、ミナ・ロイ、ジョン・チーヴァ―などもいますよ。

とくに左川が日本で最初に訳したミナ・ロイ(ウルフと同年、同じロンドン生まれ)はもっと読まれて欲しいなと思います。フェミニズム批評の隆盛で1980年代以降に再発見されるミナ・ロイ。経緯は左川と似ていますね。フウの会編『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内 詩と芸術』水声社は名著です。


http://www.suiseisha.net/blog/?p=3694


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